Banshee

葬列

 晴れて訪れた新天地は、残念ながら霧雨に覆われていた。ようやく波の揺らぎに解放されたというのに、なんともすっきりとしないことである。気合いを入れるために着たお気に入りの服や帽子も、これではただ濡らすために身に付けたようなものだ。

 ジェラール。職業、探偵。シレーヌを追い掛けてここまで来たが、幸先はあまり良くなかった。




 そもそも事は数ヶ月前に遡る。

 小さな港町で小さな探偵事務所を開き、小さな仕事で生計を立てていたジェラールは、ある日、町を騒がしていた船乗りの連続殺人事件にかかわってしまった。

 そんなときに事件現場で目撃したのが、銀と黒の人間離れした容姿を持った少女。綺麗な姿と被害者が船乗りばかりであったこと、そしてこれまた偶然に彼女を目撃した甥の証言――歌を歌っていたという情報から、伝説の人妖になぞらえて、ジェラールはその少女を“シレーヌ”と呼称した。結果的に、彼女は殺人事件の犯人でもましてや人妖でもなくただ現場に居合わせただけで、事件は犯人が行方不明となって終わった。


 ――終わったのだが。




 とりあえず何をするにも荷物が邪魔だ。ジェラールは港を抜けて町の目抜き通りを歩いて宿を探していた。灰色の石造りのマンションが立ち並ぶ街並みは重厚で、雨の所為かどことなく陰気だ。人通りはそれなりにある。しかし、進んで出掛けようと思うものは少ないらしく、活気はなかった。

 これでは、聞き込みは難しいかもしれない。それどころか、ここが目的地であった場合、他所者である自分を受け入れてくれるかどうか。


 溜め息を吐きそうになりながらも歩を進め、運河に架かる橋に差し掛かったところで、葬列を見かけた。黒い布を掛けた棺、それを運び立ち並ぶ黒服の集団。誰も一言も喋らず、鬱々とただ列をなす。その悲壮たる行軍は葬列者の人数の多さからか壮観でもあった。

 不躾に見るのは良くない。橋の向こうの光景にジェラールはそっと目を逸らす。


 逸らした先に、女が居た。短い金髪の若い女だ。灰色のスラックスに白いシャツを身に纏い、男のような格好だ。首と腕には細い鎖。耳には小さな石のイヤリング。シンプルでありながらも洒落た格好。

 何が気になったのかというと、彼女はジェラールと同じように葬列を眺めていたのだ。ただじっと。魅入られているかのように。


「知り合いだったんですか?」


 自然、ジェラールはその人物に声を掛けた。これも探偵という職業が為した業である。人見知りをして声を掛けることを躊躇っては、何の情報も得ることはできない。


「知り合いではなかったな」


 女は知らない人間が突然声を掛けたことに驚きもせず、葬列を見つめたまま応じた。


「彼女のことを知ってはいたが」


 彼女。どうやら主役は女であるらしい。どんな人だったのかと尋ねると、


「美しい少女だったよ。誰にも優しく、花のように笑う、誰にでも愛されるような少女だった。よく働く娘でね、彼女が居たパン屋はそれはもう繁盛していたものだよ」


 知り合いではない、と言っていた癖に、まるでその娘に懸想をしていたような口ぶりだった。

 そこではじめて、女はジェラールを見た。


「刺殺だそうだ。動機は分からないが」


 殺人か。ジェラールは顔を顰めた。いきなり物騒な話を聞いた。探偵は事件で飯を食う生き物だが、人死にの話を聞いて嬉しいはずもない。


「発見された時にはすでに死んでいて、その傍らに女がいたそうだ。その女は発見者が声を掛けた途端、怯えるような仕草をして逃げたらしい」

「犯人なのか?」

「状況から判断する限りでは」


 ということは、捕まってはいないのだ。哀れだ、と思う。殺された少女もそうだが、その家族や友人たちは、動機も犯人も分からないままで苦しいことだろう。


「実に儚いものだよなぁ……」


 また葬列に目を戻し、女はうっとりするように葬列を眺めた。


「だからこそ、美しい」


 背筋が凍りつくのを感じた。まさかお前が、と言いそうになって踏みとどまる。違ったら問題だし、そうならそうでジェラールの身が危ない。

 そんな固まったジェラールを見て、女はくすりと笑った。


「不謹慎だと思っただろう? 葬列を見て“美しい”などと言うのはね。だけどまあ、これも性分なのさ」

「性分?」

「私は造形を専門とした作家でね。美しいものが好きなんだよ。この町の美しいものはみんな知っている。だから彼女のことを知っているし、葬列を眺めてあれを美しい、さらに美しくしたいと思ってしまう」


 思ったよりも危険な人物ではないのかもしれない。ジェラールは胸を撫で下ろした。まあ変わった人物に違いはあるまいが。普通あの陰鬱な人々の列を見て感じるのは、同情と憐憫だけだ。


「名前はオーレリア。もし私の作品に遭ったら、気に掛けて貰えれば嬉しいな」


 そう微笑まれ、手を差し出される。ジェラールはその手を掴んだ。


「ジェラールだ」


 向こうに名乗られたとあっては、名乗らないわけにはいかない。それが些か関わり合いになりたくない相手であってもだ。

 オーレリアは握手した手を離したあと、改めてジェラールを上から下まで観察した。


「この町の人間ではないね。旅行者かい?」

「まあ、そんなところだ。人を捜していて……」


 そこでピンと来た。


「あんた、この町の美しいものはみんな知っているって言ったよな」


 芝居がかった台詞だったのでうっかり聞き流したが、確かにそう言っていた。それが見栄やはったりでなく本当であるならば――。


「ああ、そうさ。人でも物でも景色でも」


 肯定の言葉に気持ちが急く。口を開けば早口になってしまった。


「この町に銀色の髪の娘はいないか。年頃はだいたい十六、七で、青いレンズの眼鏡を掛けていて、神か悪魔かと思えるような、綺麗な娘」


 途端、黒い瞳がすっと細くなった。こちらの興奮とは裏腹に、彼女は冷静だった――むしろ冷めているくらいだ。普通、自分の好きなものの話をされると少しは興奮したりするはずなのだが、彼女はそれがない。葬列を眺めていたときの様子や饒舌ぶりから、反応が表に出にくいということはないはずだ。かといって、知らなかったという感じでもない。

 探るような視線が気になる。


「その娘に何用なんだ?」


 答えに詰まった。自分でも馬鹿馬鹿しいことに彼女に会ってどうするかなんて考えていなかった。ただもう一度会ってみたいと思った。

 会って、そのあとどうする。実は、会えた場合にはこの町に住むことまで考えている。でも、そうしたところでどうするのだ。


「……まあいいか。どうこうするつもりはないようだ。案内するよ」


 自分の無計画さに今更気付き、挙動不審になるジェラールに、オーレリアは告げる。


「……え?」

「彼女の居場所だよ。探しているんだろう? 月の女神を」




 大通りから路地に入る。石壁の迫った道の間を何本か経由して、辿り着いたのは猫の看板がぶら下がった喫茶店だ。あまりに普通の場所だったので少し意外に思ったが、そういえばシレーヌと一緒にいた青年が喫茶店を経営していると言っていたのを思い出す。そもそも、ジェラールの故郷に来たのも茶器を買い求めるためだった。

 店の前、扉を開けるに邪魔にならないところに、黒猫が一匹座っていた。じっと探るようにこちらを見つめる、グリーンブルーの瞳。その色に既視感を感じた。

 窓から中を覗いてみれば、木の温もりのある洒落た店内が見えた。静かで落ち着いた雰囲気。だが、客はいないようだった。繁盛していないのは、中心街から離れているために仕方ないような気もする。が、経営は成り立つのだろうか?


 ここまで案内してくれたオーレリアは、何も言うことなく扉を開けた。カランカラン、と低めの音のベルが鳴る。


「やあ、来たよ」


 躊躇いなく店内に入る彼女は、店の常連だったようだ。つまり、シレーヌのことを知っているどころではない。面識もあるのである。ここに来て一発目、彼女を掴まえることができたのはあまりにも偶然が過ぎないか。


「ああ、レラ。今日は遅かったね」


“今日は”。つまり、毎日来ているのか。

 レラ、はオーレリアのことを指しているらしい。なるほど、彼女はリアと名を略してもいまいち似合いそうにない。それよりは男とも女とも判別のつかぬ名のほうがぴったりな気がした。


「ちょっと見物に行ってきてね。それよりもお客だよ」

「催促するなよ」

「そうじゃなくて。イリスにお客だ」


 猫が視線を逸らし、店内に入っていく。それを視線で追っていると、入店を促すようにオーレリアが入り口から身体を退けた。結果店の中を覗き込む形となり、視線を上げるとカウンターに立っていた店主と目が合った。


「君は……」


 店主は――その青年は、見るなりジェラールが誰だか気づいたらしい。猫と同じグリーンブルーの瞳が驚愕で見開かれる。

 やがて驚きが一通り通り過ぎると、青年は表情を失くす。一瞬しか見えなかったが、その僅かな間だけでも分かる朗らかさすら顔から消え失せて、ひたとジェラールを見つめた。


「忠告、忘れた?」


 問う声は責める様子もなく穏やかだった。それだけに、親切を仇にした心が痛む。


「……いや」


 言われるまでもなく、覚えている。覚えていたから先程のオーレリアの質問に答えられなかったのだ。

 夢だと思って忘れろ、という忠告。


「ならどうして来たの。俺たちに関わることのその意味、身をもって体感したでしょ」




 ――彼女は殺人事件の犯人でも伝説の人妖でもなかった。

 けれど、人間でもなかった。

 彼女の瞳。まるで水銀を流し込んだような色の虹彩。およそ人間にありえないその眼は、彼女が意志を持って何かを見つめることで対象を灰に変えた。

 その特異な能力を、彼らは異能と呼んでいた。そして、自分たちは異能者であると。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る