20、包囲網

 ヘンリエッタさんは怒っていない。俺は確かそんな事を言ったな。


 残念だったな、アレは嘘だ。というか、気のせいだった。




「おや、豊穣神様。お疲れ様です~」

「……お疲れ、さまです……」


 書庫を訪れたリオネスさんが俺達を見つけて歩み寄ってきた。


「おや、今日はレイナじゃなく、ヘンリエッタが一緒ですか~。魔法……の練習ではないようですが、何をしているのです?」

「レーヴェスホルンの歴史、先代豊穣神様の輝かしい功績などを学んで頂いている。今日で3日目だな」


 澄ました顔で答えたのはヘンリエッタさん。俺も力なく頷いて返す。


 俺が宮殿を抜け出した次の日から、唐突に勉強漬けの毎日が始まった。ヘンリエッタさんは『詰め込んでも忘れてしまっては意味がないので、無理をしない程度に学んでいきましょう』と言ってくれていたはずなのに、このザマだ。めっちゃ無理してますやん。


 つまりこれは恐らく、俺に勉強をさせる事がメインの目的なのではなく、それによって宮殿から抜け出す時間と心の余裕を奪うつもりなのだ。やっぱ、言いつけを破って宮殿を出た事に激おこなのだろう。


「……なぁヘンリエッタさん。怒ってるなら怒ってるってはっきり言ってもらえませんかね……?」

「怒る? 豊穣神様にわたくしが何を怒る事がありましょう?」


 ……このように、性質の悪い事に彼女はその怒りを全く表面に出さない。もうアレだ、真綿で首を絞められてる感じ? いや、実際に絞められた経験はないけど、多分こんな感じなんだろう。毎日が針のむしろだ。


 その上、伝家の宝刀〝豊穣神命令〟の効き目が薄くなってきた。真正面から否定するんじゃなく、俺を豊穣神として尊重した上でやんわりとかわしてくるんだ。この辺りはメイド長としての年季と経験の為せる業だろう。


 レイナともあまり会えていない。俺を宮殿から連れ出した事に罪悪感を感じているのか、ヘンリエッタさんが何かしら裏から手を回しているのか。


「ふふ、ヘンリエッタは厳しいですね~? 豊穣神様相手でも」

「何の事やら。お前こそ仕事の途中じゃないのか、リオネス?」


「おっと、そうでした。それでは失礼しますね~」

「あ……はい」


 くぅ、ミスった。数時間ぶりに介入してきた第三者であるリオネスさんをうまく誘導できれば、この地獄から抜け出す糸口が見つかったかもしれないのに。救世主をみすみす逃してしまった。


「さぁ、わたくし達も続きと参りましょうか? 豊穣神様」

「え? い、いや、さっき小休止をしようって言ってくれてたような……」


「ええ、ですからリオネスと話して良い気分転換となったでしょう?」

「えぇ……」


 一分にも満たない今の会話が小休止、ですか。くそ、リオネスさんは救世主じゃなかった。むしろ疫病神だったぜ……。



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