浮気フラグですか?

マティアス様と結婚したその年の暮れ、今日も帰りが遅い忙しい夫を待っていた。


「ねぇ、シア」


隣に立ち、私のために手拭きを用意してくれる侍女に声をかける。


「なんでしょう?」


私の視線の先には、大きめの柱時計があった。


「あの時計、ちょっと気合が足りないんじゃない?秒針しか動かないわ」


「若奥様。時計が早く進めば、早く若旦那様がお帰りになるわけではありませんよ?」


チッ。


もうすぐ日付が変わるというのに、時計の動きが遅くてマティアス様が帰ってこない。


「まさか事故……?」


「ご心配なく。若旦那様は何者もなぎ倒してここに戻ってこられますよ」


そんな戦車みたいな人ではない。


「はぁ……早く本物に会いたい」


アトリエ(と名付けた)に飾られた、数えきれないほどのマティアス様の絵を見回して私はため息をついた。


「あ、そういえば」


「何かしら?」


「実は若旦那様が、女性を伴って連日酒場に出入りなさっていると……」


「え?」


私は色を付けた粘土をパレットの上に置き、その話を詳しく聞くことにした。


ちなみに今作ろうとしているのは、マティアス様の姿をデフォルメした焼き物である。


「使用人や護衛の兵が何人も『見た』というのです。若奥様のお耳に入れてよいものかとためらいましたが、一度お二人でお話し合いになってはどうかと」


「マティアス様が、女性と酒場に……」


なんですって!?

衝撃的な報告を受けた私の顔は、◯゛ラスの仮面タッチになっているに違いない。


「黒髪の女性で美しい方だったと。最初は皆、奥様と一緒に来ているのかと思ったそうなんですが、どう見ても奥様ではなく、それも酒場なんかに来るはずはないかと」


思考が停止する。

そういえばここ一か月は仕事だといって帰りが深夜になっている。

もちろん、夜遅いからといって朝が遅くなるわけではなく、マティアス様の健康状態が心配だったのだが……


「まさか……浮気!?」


「若奥様、まだそうと決まったわけでは」


「そ、そうよね。マティアス様に限って浮気なんて」


否定してはみるものの、私は動揺していた。

え、こんなに美人でスタイル抜群の新妻がいて、早くも浮気!?ちょっとどういうこと!?


自分で言うのもなんだけれど、主人公のライバルとして作り上げられたフォルレットのスペックはかなり高いと思うんだけれど!?


「若奥様?若奥様??」


「…………」


あああ、死亡フラグ根絶にばかり目を向けていて、浮気フラグが立つことなんて微塵も思っていなかった!


「はっ!もしかして、私に飽きた……?」


美人は三日で飽きるっていうから、結婚して半年経ったら理論上は飽きても不思議じゃない。


私は思わず自分の手を見つめた。


「汚い」


粘土が爪に詰まっている。画材が浸透してしまって、ちょっと汚れた指先。画材に水分を持っていかれて、荒れがちだ。


「浮気!」


妻がこんなんじゃ、浮気したくなっても仕方ないかもしれない。身支度はシアがやってくれているから、ズボラな私でもきちんとした身なりではあるけれど、こういう細かいところがいけなかったのかも……!


「どうしよう!浮気されてる気がしてきた!!」


「若奥様?落ち着いてくださいませ!」


突然立ち上がった私を見て、シアが慌ててフォローする。


「ふふふふふ」


何だか笑いがこみ上げてきた。


「わ、若奥様……?」


「おっけー、大丈夫よシア。わかってる。貴族ですから、浮気の一つや二つ、愛人の一人や二人、ひろーーーーい心で目をつむって盲目的に生きていかなくちゃね?ええ、そうよ。死ぬか生きるかだったんだから、生きていてくれるなら例え相手が娼婦だろうが踊り子だろうが、酒場のウェイトレスだろうが、妻として『ほどほどにしてくださいね』って声をかけるくらいの余裕がなきゃ」


「若奥様、目から大量の涙がこぼれております」


おっと、気づかないうちに水漏れが。


「私も、もう年ね……!すっかり涙腺が緩くなって」


「若奥様、まだ十九歳でございますよ?」


「いいの、シア。覚悟はできているわ。推しは推すもの、近づきすぎるとロクなことがないの。SNSも見るもんじゃないわ。そこに映りこんでいる恋人のカケラなんて発見した日には、見つけてしまった自分を呪うことになるんだもの」


「意味がわかりません」


ぐすっと鼻をすすった私は、浮気フラグと共に死亡フラグも立っていることに気づく。

こんなことがお父様とお兄様にバレてみろ、それこそ命を奪われない。フォルレット大好きな二人は、未だに「いつでも帰っておいで」というんだから。冗談で言っているあの言葉が、リアルに変わるのが想像できる。


「シア」


「はい」


「明日の夜、酒場に行くわよ!」


「はぃ!?」


自分の目で確かめなくては。


「あの、行かなくても若旦那様にお尋ねになればよろしいのでは!?」


シアが至極まともなことを言う。

でもそんなことできるわけがない。


「何もなかった場合、問い詰めてうっとおしいなって思われたら嫌!浮気していないのに、仕事で忙しいだけなのに浮気を疑われた場合『こいつ俺が疲れてんのに』って思われるかもしれないじゃない!」


マティアス様は一度好感度を上げたらなかなか下がらないキャラだったけれど、結婚後にどうなるかなんてわからない。だって彼はゲームでは一度もハッピーエンドを迎えられなかったからね!


「あああ、どうしましょう。シア。相手が私より美人でもブスでも嫌。男なら百歩譲って……いやいやいや、ダメ、誰が相手でも嫌!私ったらいつのまにこんなに独占欲が強くなってしまったのか」


頭を抱えて蹲る私。


「大丈夫です、若奥様より美人なんてそうそうおりません。浮気なんて」


「そうよね、そうよね!?浮気なんてしないよね?」


「ええ!もちろんです!若旦那様は、邸の外では彫刻くらい表情の動かない方ですから!」


……それはそれで問題ではなかろうか?


かくして私は、マティアス様の浮気調査に行くことになった。

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