第56話「神様なんか」



 バンッ

 凛奈は思いきりドアを開け、鍵をかける。その部屋にはクローゼットがいくつか並んでいた。彼女は小さな窓を見つけて駆け寄る。あそこから外に逃げられないだろうか。


 ガチャッ


「……!」


 凛奈は窓を開けて気がついた。自分は今、城の上階の部屋にいる。下には深い森が広がっている。外に逃げたら真っ逆さまに落ちてしまう。落ちても死にはしないが、大怪我は避けられそうにない。


「凛奈~!」

「あ、アンジェラ!」


 遥か彼方から、人力飛行機に乗ったアンジェラが飛んできた。相変わらずのドレス姿でありながら、パワフルなペダルのこぎぶりで飛行機を操縦する。凛奈は叫ぶアンジェラに向けて手を振る。自分のいる位置を示す。


「凛奈~! 今行くわ~!」

「さぁ、行くわよ! 愛を取り戻しましょう!」

「えぇ!」


 アンジェラはフルパワーでペダルをこぐ。凛奈のいる部屋に向かって、人力飛行機を走らせる。




 ダッダッダッ


「……!?」


 ドアを叩く音が部屋に鳴り響く。陽真がやって来たのだ。全速力で近づいてはいるが、まだアンジェラは追い付きそうにない。恐らく陽真がドアを蹴破り、刺し殺してくる方が先だ。


 凛奈は慌ててクローゼットの中に隠れる。


 バーン

 ドアを蹴破り、陽真が中に入る。剣を構えながら凛奈を探す。窓が開いている。だが、ここは城の上階、窓から外に出たとは考えにくい。すぐさま視線を室内に向けた。


 そして、見たところこの部屋にはクローゼットしか家具はない。つまり、隠れられる場所は数台置かれたクローゼットのみである。陽真は一番近くのクローゼットに狙いを定めた。微かに人間が隠れている気配を感じ取る。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 凛奈は恐怖で震える。陽真の超人的な感覚は凄まじい。既に自分が隠れているクローゼットを見抜かれている。記憶が一切ない彼は、全力で自分を殺しに来ている。いい加減自分も彼と戦う覚悟を決めなくては。


 スチャッ

 凛奈はポケットからナイフを取り出す。いざという時のために、用意していた護身用の武器だ。ついに自分が陽真と戦うことになるとは。望まぬ未来だったが、自分の命を守るためには避けられなかった。


 陽真は彼女が隠れているクローゼットの前に立ち、剣を構える。


「……」


 陽真の手が震える。剣を刺すことを躊躇しているようだ。今まで彼女は現実世界の自分のことを、必死の顔で伝えてきた。そんな彼女を殺すことは果たして正しいのだろうかと、今更になって疑問が浮かんできた。




 アンジェラは凛奈と陽真のいる部屋目掛け、人力飛行機を飛ばす。ペダルを思いきりこぐ。勇気が彼女の足に力を与える。彼女は自分に言い聞かせるように叫ぶ。


「もう私は悩んだりなんかしない。私は自分を信じて生きていく。嫌なことだらけの世界なんて蹴散らしてやる。私は絶対に私の望んだ未来を掴み取る!」




 殺すか、生かすか、陽真は葛藤する。




 アンジェラは思いを叫ぶ。失われた彼の愛を取り戻すために。




「現実なんか……絶望なんか……神様なんか……糞食らえぇぇぇぇぇ~!!!!!」




 陽真は迷いを無理やり振り切り、クローゼットに剣を突き刺す。


 ザッ ブシャッ

 突き刺した剣の隙間から、血が少々吹き出る。白い刃に赤く染み付く液体が、自分の知り合いかもしれない相手を殺したという現実を見せつける。やってしまった。だが、もう関係ない。記憶が無いのなら、もはや他人だ。彼は剣を引き抜く。


 キー

 その勢いでクローゼットの扉が開く。




 カランコロン……

 開いたクローゼットの隙間から、何かが転がってきた。陽真は目線を下に向けると、クローゼットの下に転がる赤いペンキのスプレー缶が目に入った。


「何!?」


 陽真は驚いた。凛奈を殺し損ねてしまった。あの赤い液体は血ではなかった。しかもこのスプレー缶……なぜか見覚えがある。


 これは確か……




「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 バァァァァァ~ン!!!


「!?」


 突然力強い雄叫びと共に、ものすごい爆発音が陽真の鼓膜を揺らした。なんと、窓ガラスもろとも壁を突き破り、人力飛行機が部屋に突っ込んできたのだ。彼は目の前の光景に衝撃を受ける。


「そこだ!」


 部屋に突っ込んだ瞬間、花音が飛行機から飛び降り、すかさず木の棒を弓で放つ。哀香が渡した掃除用のモップに使われていた木の棒だ。木の棒は陽真の方へと飛んでいく。飛行機が突っ込んできた衝撃で反応が遅れ、彼は防ぎきれなかった。


 バシッ

 木の棒は陽真の右腕に直撃した。陽真の手から剣が弾き飛ばされる。剣は部屋の隅まで吹っ飛び、転がっていく。


「なっ……」


 陽真は体勢を崩す。哀香とアンジェラも素早く飛行機から飛び降りる。


 ドォォォォォン!!!

 反対側の壁に衝突し、人力飛行機の動きが止まる。クローゼットが倒れ、衣服が床に散乱する。部屋はめちゃくちゃとなった。


「凛奈!」


 バァンッ

 哀香の合図と共に、凛奈はクローゼットの扉を豪快に開けて飛び出した。やはり剣は刺さっておらず、彼女は無傷だった。赤のスプレー缶で上手く騙した。彼女は陽真目掛けて走る。


「くそっ……」


 陽真は体勢を立て直しつつ、凛奈に拳を放つ。しかし、凛奈は上半身を下げて拳をかわした。彼の拳が飛んでくるのは三度目だ。三度目となれば、流石の凛奈でももう見切れるようになった。


 バシッ

 そのまま左手で陽真の胸を強く押す。


「うっ……」


 ズカッ

 陽真は床に背中を打ち付けて倒れる。ようやく凛奈でも対抗できるような一瞬の隙を見せた。


「凛奈!」

「行け~!」


 哀香、花音、アンジェラが叫ぶ。凛奈も大声で叫び、飛び上がってナイフを高く振りかざす。


「はぁぁぁぁぁ~!!!」




 ダンッ!!!

 陽真の上に馬乗りになり、ナイフを彼の胸に叩きつける。


「うぐっ!?」


 心臓にナイフを突き刺された陽真は、悲壮な顔で悶え苦しむ。






 しかし、すぐに違和感に気づく。


「……?」


 痛みを感じない。胸にナイフが刺さっているのに、血が出てこない。恐怖が少しずつ蒸発していく。陽真は恐る恐る目を開ける。胸に刺さるナイフをじっと見つめる。


 スチャッ

 凛奈は静かにナイフを引き抜く。


「……!」


 それは、マジックナイフだった。最初から刃は胸に刺さってなどおらず、柄の部分の中に収まっていたのだ。陽真は完全に騙された。凛奈はナイフを引き抜くと、涙をいっぱいに溜めた笑顔で言う。




「ドッキリ、大成功……」

「……!?」


 陽真はその言葉に驚く。この言葉、はっきりと聞き覚えがある。というより、かつてこの言葉を発したことがある。自分が発したのだ。凛奈に向けて……。


“ドッキリ、大成功”


「はっ……今のは……!?」


 一瞬記憶の片隅に、やんちゃないたずら小僧のような笑顔を浮かべる無邪気な少年の姿が見えた。先程の凛奈と同じ台詞を放っている。恐ろしいほどの既視感が陽真の脳を襲う。まさか……彼が……


 ザザッ……


「うっ……」


 記憶にノイズが走る。記憶が陽真の脳に勢いよく飛び込んでくる。凛奈は彼に向かって思いを叫ぶ。


「陽真君! 私を、あなたを、思い出して!!!」

「……!」




 そして陽真は追憶に引きずり込まれる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る