かみさまの忘れ人

KMT

序章「昔話」

第1話「昔話」



    KMT『かみさまの忘れ人』



 気がつくと、私は埃を被っていた。


「ゴミはちゃんとゴミ箱に、ってな♪」


 そう言って目の前の男の子は、ゴミ箱の中に捨てられている残りの紙くずや埃を、私の頭の上に思いきりぶちまけた。私の黄色い髪はあっという間に灰色と交わって濁る。メガネにも少々塵が乗って視界がぼやける。


「へへ、似合ってんぞ」

「ひゃ~、こりゃ汚ねぇや。いや、汚ねぇのは元々か」

「ハハハハハ」


 笑う男の子達。この子達はクラスメイトだ。そして、私の世界を完全に支配している。私は私の世界で一番中心に生きているはずなのに、一番惨めな思いをしている。

 部外者が入ってきているのに何もできない。言えない。動けない。彼らにとって、私の世界は汚いゴミ箱なのだ。


「お前を見てると、なんかムカつくんだよ」

「そうそう。なよなよして気持ち悪ぃ」

「トロいし、声小せぇし、すぐ泣くし」


 男の子達から多くの罵倒を受ける私。言っていることは事実なのだから、何も反論できない。無駄に輝く涙が頬をつたう。


「あ! ほら泣いた。ほんと泣き虫だよなこいつ」

「仕方ねぇか、弱ぇんだから」

「そうだな。飽きたからもう帰ろうぜ」


 自分の机の上に乗せていたランドセルを背負って、男の子達は教室の入り口へと向かう。放りっぱなしの紙くずも、埃も、ゴミ箱もそのままにして。ドアに手をかけ、ゴミを被った私の方を振り向いて言う。


「じゃあな」

「そのゴミ片付けとけよ」

「また明日も遊んでやるからな~」


 バタンッ

 乱暴にドアを閉める。静かな廊下に音が響き渡る。その音の後は笑いながら昇降口へ駆けていく男の子達の笑い声と足音。


「……」


 私は涙を流したまま紙くずや埃を広い、ゴミ箱に戻す。ゴミ箱を元の場所に置いて自分の席に向かい、置いてあるランドセルを背負う。そして誰よりも遅れて教室を出ていく。




 なかなか計画的な犯行だ。今日私が日直担当であり、もう一人の担当が休みでいないことを、あの男の子達は事前に確認していた。私が一人放課後に残って、日直の仕事である黒板の掃除と日誌を書くのを待っていた。


 全ての仕事が終わるまで待ってくれていただけでも感謝しろと、彼らは思っていることだろう。教室に私以外誰もいなくなったタイミングで始めた。




 もうみんなにもわかるだろう。小学校3年生の頃、私はいじめを受けていた。理由は彼ら曰く「見ているとなんかイライラするから」「弱いから」という、訳の分からないものだった。そんな程度の理由でいじめを行う人間は、まだこの世界にいるのだ。


「うぅぅ……」


 やっと声が出た。ただの嗚咽だが、声を出せるだけの力はまだあったのだ。私以外誰もいない階段で、密かに弱さをさらけ出した。私は何度も鼻をすすった。


 キーンコーンカーンコーン

 慰めのつもりなのか、帰りのチャイムが鳴り響く。ランドセルがいつもより重く感じる。さっさと帰ろう。私は昇降口へ向かう。上靴を脱いで片手に持ち、自分の靴箱を開ける。




 キー

 中は空っぽだった。朝履いてきたピンク色のスニーカーが無い。


「……」


 一瞬戸惑ったが、すぐに自分を落ち着かせた。頭の中であのいじめっ子達の笑い声がする。どうやら靴はどこかに隠されたようだ。彼らは全然飽きてなどいなかった。


 私は上靴をランドセルの中の空いた隙間に押し込んだ。そして、靴下のまま外に出た。靴下越しに感じるグラウンドの砂利の鋭い痛み。弱点を執拗に狙われながらナイフを刺されているようだった。

 私は痛みに耐えながら、鉄棒やうんていのある室外遊具のところまで歩いていった。遊具付近には大きな雑草が生い茂っている。最初はそこに狙いをつけて探した。


 ザザッ ザザッ ザザッ

 何度草を掻き分けたことだろう。靴は見つからない。指はあちこち切って血が滲んでいた。動かしている間は気にならないが、動きを止めると手は軽く悲鳴を上げる。血の赤と草の緑、土の茶色が混じって、私の手は絵の具のパレットのように汚れる。


 空を見上げると、太陽が山の奥へ沈みかけていた。正門付近にある時計を遠目で見ると、時刻は午後5時26分を指していた。靴を隠されてなければ、あとどれだけ早く帰れただろうか。


「……」


 私は手元に目線を戻し、靴探しを再開した。溢れる涙が傷口に落ちて余計に痛まないよう、細心の注意を払いながら。






 時間は待ってくれるはずもなく、午後6時30分を迎えた。奇跡的に靴は見つかった。中庭の噴水の濁った水の中に沈められていた。途中で遊具付近の捜索を止め、捜索ポイントを中庭に集中させてよかった。

 水かさが浅かったためすぐに見つけられたが、元々水が濁ってた上に砂利や雑草や泥が中に詰められていた。ピンク色がチャームポイントなスニーカーが台無しだ。


 一人の女子児童が遅くまで学校の敷地内でうろうろしていたにも関わらず、気づいて声をかけてくる先生もいなかった。今は靴下のまま歩いて帰路に着いている。


「うっ……うぅぅ……」


 やはり出てくるのは情けない声だけだ。助けてくれる人がいないから。心が張り裂けそう。あの砂利の刺さる痛みが、心にまで響く。


 ジャー

 私は真っ暗な公園の水呑み場で、泥だらけになったスニーカーを洗っている。いじめの跡を消すためだ。

 このまま泥だらけで持って帰ったら、親に何があったのかと心配されてしまう。いじめられるのはもちろん嫌だが、私のせいで家族に心配をかけるのはもっと嫌だった。


 パッ パッ

 スニーカーを振って水気を飛ばす。今後もいじめの件は両親には黙っておこう。私が我慢すればいいだけのこと。指の切り傷は、なるべく手を見せないようにして誤魔化そう。帰りが遅くなったことは、日直の仕事に時間がかかったということにして……




「なぁ、そこのお嬢ちゃん」


 ふと、男の人の声が聞こえた。声のする方に顔を向けると、二人の男の人が立っていた。知らない人だ。二人共真っ黒なパーカーを着ていて、フードで顔の半分を隠していた。だが背の低い私から見れば、隠している顔がバレバレだ。


「こんな時間に一人かい? 危ないじゃないか」

「君、可愛いね。おじさん達がいいところに連れてってあげようか?」


 二人共笑っていた。私を見下ろしながら手を伸ばし、不敵な笑みを浮かべていた。いかにも怪しい風貌が、闇の世界の住人のような不気味さを醸し出す。


「ひぃっ」


 思わず声が漏れた。この感情は、間違いなく恐怖だ。私はまだ濡れているスニーカーを急いで履き、ランドセルを背負って……




 ガシッ

 すると、一人の男の人が私の細い腕を掴んだ。すごい力で引っ張られる。怖い。


「怖がらなくていいんだよ。さぁ、おじさんと一緒に行こう。グフフフ」

「おじさん達と一緒に楽しいことしましょうね~」


 気持ち悪い。こんな人達に着いて行って、帰れるはずがない。幼い私でも、そのことは安易にわかる。私は必死に抵抗した。


「嫌! 嫌だ! 離して! 誰か助けて!」


 大声を出して助けを求める。自分がこれほど大きな声が出せることを知って、少々驚く。だが、今のところ誰も来ない。腕を振りほどこうとするも、圧倒的な力の差がある。男の人の腕はびくともしない。為す術もなく引っ張られる。


「さぁ、行こうか」

「嫌! 嫌だ!」


 ザッ

 私は咄嗟に、男の人の腕を爪を立てて引っ掻いた。赤い血がかすかに飛び散る。


「痛っ!」


 その瞬間、大きな力から解放された。反射的に振りほどかれ、地面に突き飛ばされる。チャンスだ。私は公園の出入口まで駆け出した。


「なっ、待て! このクソガキが!」


 男の人は乱暴な声を上げて追いかけてきた。私は逃げた。迫り来る恐怖から必死に。




 最悪だ。クラスメイトにはゴミまみれにされ、靴に泥を詰められて隠され、帰りに怖い男の人から追いかけられる。踏んだり蹴ったりどころの話ではない。私の人生は、地獄だった。


 お願い、誰か助けて……誰か……助けてよ……。




   * * * * * * *




「ちょっと、虫入ってくるわよ。窓閉めなさい」


 少年は母親に注意される。彼は微かに夜空に光る星を見上げていた。新居に引っ越してきて高ぶったテンションを、星を観察して落ち着かせていたのだ、


「おぉ~」


 少年は窓の取っ手に手をかける。




「……」


 閉める直前、誰かの悲痛な声が聞こえたような気がした。少年は静かに外を眺めながら、ゆっくりと窓を閉じた。


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