9.エドワードに関する情報

 アルカードは二本目のマッチを擦って、テーブルの上の燭台とランプに火を灯した。

 蝋燭の芯を燃やす炎が大きく揺れ、テーブルを取り囲むようにして席に着いた三人の顔を赤く照らし出す。ようやく灯りのもとで向き合うことが出来た顔に、アシュレイはほっと胸をなでおろした。


 幕の内側で、カップ同士がぶつかり合う音が聞こえる。視界が確保されたことと、生活の中でよく耳にする音が聞こえてくることで、この廃劇場の中にあった不気味さは束の間、なりを潜めた。


 やがて奥の方から、紅茶の甘い香りが漂ってきて、お盆を持ったエリがそろそろとこちらに向かって歩いてくる。

 盆の上には湯気を上げた四人分のティーカップとシュガーとミルク、皿に盛りつけられた色取り取りのマカロンが乗っている。


「さあ、飲んで飲んで。砂糖とミルクはお好みでね」

「ありがとうございます」

「いただきます」

 アシュレイとレオンが口々に言う。


 客席を背後にしたレオンの真向かいに腰を下ろしたエリは、角砂糖二つとミルクをたっぷり入れてから、ゆっくりと紅茶を啜った。そして、いざ、とばかりに素早く手を伸ばして、桃色のマカロンを手にすると、さくっと良い音を立てて一口噛り付いた。もぐもぐと数回口を動かした後に、これ以上ない程、破顔する。


「うん、おいしい! マカロンと言えば、パラッツォの右に出るものはないね」


 エリは満足そうに大きな独り言を放つと、気を取り直したように、客人の一人へ目を向けた。


「えーと、君がアルカード坊やの? ずいぶん若いんだね。今いくつだい?」


 見るからに自分より年若そうな青年にそのように訊ねられ、レオンは答え方を考えあぐねた挙句、

「二十一……」と、簡潔に答えた。


「へえ! 大人びてるね。ついこの間までお子様だったなんて思えないよ」


「……」


 この男は、言葉の端々に無礼な角が立つな、とレオンは内心むっとした。まだまだ若輩者だなと皮肉を言われたと思ったのだ。


「おい、世間話をしに来たんじゃないんだぜ。ちょっとは黙らんかい」


 アルカードは、ズルズルズルと音を立てて紅茶を啜りながら文句を言った。


「おっとすまんね。客人が来たのは久しぶりだったものだからさ。つい浮かれちゃったよ」


 へへへ、とエリはわざとらしく頭をかいた。


「で、なんだっけ? 依頼がどうかしたの?」


 エリは早くも次のマカロンを頬張ると、右隣に座すアシュレイに目を向けた。


 燭台の炎がゆら、と大きく揺らいだのは、アシュレイが緊張を和らげようと深く呼吸したせいである。

 危うく灯りが消えかけて慌てた彼女だが、周囲の視線が自分に向いているのを悟ると、小さく口を開いて事件の詳細を語った。

 時折、レオンとアルカードによる捕捉を交えながら一通り話が終わると、


「うんうん、なるほどね。話は理解したよ」


 エリは腕を組んでしきりに頷きながら言った。口の周りにマカロンの欠片を張りつけている姿では、あまりに場がしまらないが。


「今日訪ねたのは、エドワードについて知りたかったからだ。お前なら何かわかるだろ? 奴の居場所とか」


 アルカードはやや身を乗り出すようにして訊ねると、彼は少しも焦らすことなく、「うん」とあっさり肯定した。

 アシュレイとレオンはガタン、と身を乗り出して、それは真実まことかと詰め寄る。その反応に気を良くしたエリは、


「ああ、勿論だとも。ぼくを誰だと思っているんだい」


 と、得意げに顎を反らすと、まるで、「説明してやりたまえ」とでも言うようにアルカードに視線をやった。


「……こいつは不思議な能力ちからを持っているんだ。エリの目にえないものはない。人の心も、何万キロと離れた国の景色も、目に見えるもの、そうでないもの、存在するものならば何でもことが出来る」


「えっへん」


 無言の指名を受けてかったるそうに説明したアルカードとは対称的に、エリは鼻高々と言った感じだ。


「あ、でも存在していたとしても視えないものもある。過去や未来とかね。ぼくが視ることが出来るのは《現状》なのさ。今、相手が思っていること。今、遠くの地で起こっていること。今、エドワード・モーリスがどこを拠点にしているか、なんてのは、お昼寝しながらだって視られるよ」


 最果ての地であろうと、それが宇宙の果てに存在する惑星であろうと、そこに双眸ある限り、彼の目に視えないものなどありはしないのだ。

 どこぞの誰かが、彼の不思議な目の能力ちからを目の当たりにして、「あんたの目は神の目だ」と言った。まさしく、エリの両の眼窩には、神から授けられた瞳が宿っている。


 レオンとアシュレイは驚きのあまり言葉を失くして、ただただ目を丸くするばかりだった。

 その沈黙を、心を覗かれる不安によるものだと勘違いしたエリは、

「ハハハハ、安心しなよ。意図して君らの心は読まない。ぼくは見たいと思ったものだけ視るのさ。そうでなければ、ぼくの目はいろいろ視え過ぎてしまうからね」と、目を閉じて耳を塞ぐ仕草をした。


「その少々変わった能力ちからを用いて、エリは魔物社会で情報屋の名をほしいままにしている。三年くらい前にある出来事をきっかけに知り合った」


「そんなぼくがエドワード・モーリスを知らぬわけがなかろう! あいつは数か月前にこの町へ流れついている。人間をこの上ない程に嫌っているくせに、多くの人間を自分に隷属させたいと思っている」


「どうして」

 アシュレイが、この場にいないエドワードを責めるような口調で言った。


「奴は、人間たちに抑圧されている現在の吸血鬼社会に反感を持っている。吸血鬼のちからがあれば、人間を一人残らずこの世界から消すことが出来るのに、それをしようとしない同胞たちに苛立ちを感じているのさ。どうしてかって? 《吸血鬼》は、人間の恐怖の対象でなくてはならないと思っているんだよ。大きな力を持つ者というのは、人間だろうと吸血鬼だろうと、自分より劣るものを虐げたいと思ってしまうものなのだね」


 エリは、「馬鹿馬鹿しい」とばかりに肩を竦めて、ため息をついた。


「そして残念なことにエドワード・モーリスは、大の吸血鬼ハンター嫌いだそうだぜ、レオン君」


 エリはニコニコしながら、組んだ指の上に小さな顎を乗せた。

 吸血鬼ハンターが好きな吸血鬼なんていないだろ、と呆れながら椅子の背もたれに身を預けたレオンは、ガシガシと頭をかきながら「それは困ったな」と適当な返事をした。


「どうして吸血鬼は、人間のことをそこまで見下したがるのですか」


 アシュレイが深く俯きながら、絞り出すように言った。吸血鬼側の身勝手な理由で親友がいなくなってしまったことに、強い怒りを感じているようだった。


「それはエドワードが純血の吸血鬼だからだろう。我が物顔で地上を闊歩する癖に、弱くて短命で、一人じゃ何もできない人間が大嫌いなのさ。吸血鬼は、姿かたちこそ人間に似せることはできるが、基本的に群れないし、他者との関りがなくても生きていける。強くて自由で、賢い生き物だ。だから、自分たちより劣っている人間が、偉そうに世界を牛耳っているのが許せないんだよ」


 エリは、どこか遠くを見るような目つきになって淡々と語った。まるで教科書を読んでいるみたいな声音。自分の考えを声に出しているというよりは、他人の心を見透かして読み上げているかのような感じだ。


「……エドワードの居場所を教えてほしい」


 アルカードが不自然に話を終わらせて、ここへ来た目的を遂行する。


「E通りの奥まったところに霊園があるでしょ? 奴はその霊園の敷地外を取り囲む森の中に住んでるよ」


 E通りの霊園。住宅街から離れた寂しい一角にある。吸血鬼が墓場の傍を拠点にしているなんて、ベタなホラー映画のようだ。


「本当にそこにいるのか」

 レオンは疑わしそうにそう訊ねる。


「本当だよ。もし行ってみて姿が無かったら、その時にクレームは受け付ける」

 エリの口調は自信に満ちていた。


「こいつは信用に値する。おれが保証しよう」


 アルカードが、レオンの肩に手を置いて真面目な顔で言うと、彼は一つ頷いて、席を立った。


「そうか。助かったよ、ありがとう。情報提供料はこれでいいか」

 そう言うとレオンは、ジャケットの内ポケットから財布を取り出して、適当につかんだ金貨を二枚ばかしテーブルに置いた。


「え、くれるの? ありがとう。アルカード坊やはいつもマカロンしかくれなかったのに、君はお小遣いもくれるんだね」


 エリは感動したようにレオンを見上げた。


「悪かったね、ケチな男で。生憎だが、おれはこいつにほぼ無償で働かされてんだぜ。マカロン買ってやってるだけでもありがたいと思ってくれよ」


「今回マカロンを買ったのは僕だ」

「あー……そうでしたね。行こう、アシュレイ」


 ぼやくアルカードに続いて、アシュレイもあわてて立ち上がった。二人は早くも出口へ向かって歩き出している。


「エリさん、有力な情報をありがとうございました。事件が片付いてから、改めてお礼に伺います。失礼します」


 ペコリと頭を下げて踵を返した彼女に、上機嫌な笑顔を向けたエリは、


「うんうん、早く君の友人たちが無事に帰ってくることを祈ってるよ、


「……!」


 アシュレイははっとして振り返った。

 先に行くアルカードとレオンは、エリのミステリアスな発言には気が付いていないようで、彼らの背中はどんどん遠くへ去って行ってしまう。


 エリは、固まったまま言葉もないアシュレイににっこり笑みを投げ、

「さ、行きな」

 と手を振った。

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