3.謎の手記
「美しき《ヴァンピール》……」
手記を最後まで読み終えたレオンは、掠れた文字で書かれた最後の一文を声に出して読んだ。
これを読んでの率直な感想としては、ただの夢見がちな乙女が人目を忍んで綴るポエム以上のものには思えなかった。
吸血鬼は
現状、なんとか人間と吸血鬼の共存は成せていると言われているが、存在する吸血鬼全てが、人間社会で生きることを受け入れているとは限らない。中には、地球というこの
アシュレイ少女は、たったこれだけの証拠を持って、吸血鬼事件を疑っているのだろうか? それにしては薄すぎる証拠である。吸血鬼事件と判断するには材料が足りない。
「美しきヴァンピール? おれのことか?」
三人分のティーカップを盆に乗せて戻ってきたアルカードが暢気にそんなことを
ほんのジョーダンのつもりだったのに、と肩を竦めた彼は、アシュレイ、レオン、自分の順番でカップをそれぞれの前に置いた。
早速口をつけようとしたレオンが、カップを口元まで持っていっていきなり顔をしかめる。すかさず、「おい、これさっきの洗剤の匂いがするぞ」と、客人などお構いなしに文句を垂れる。
面倒くさそうに肩を竦めたアルカードは、無言で自分のそれとチェンジする。取り換えた方のカップはしまってあったものなので、例の不快な洗剤の匂いはしない。
「うん、で、えーと……アシュレイ? 話を続けようか。美しい
元の席に腰を下ろしたアルカードは、斜め向かいに座す少女に向かって優しく訊ねた。
「えーと……」
彼女は、どのように話を始めればいいか迷うように口を噤んでしまう。
まだあどけなさの残る少女だが、なかなかに利発そうな雰囲気のある少女だ。早とちりで騒ぎ立てて、ろくに考えもせずにレオンの事務所の門を叩いたとは思えない。きっと、吸血鬼事件だと確信できるだけの証拠を持っているのかもしれない。
ここは彼女が落ち着いて、一からきちんと説明できる空気を作り上げてやることが先決だ。その役を買って出たのは、人とのコミュニケーションが固くなりがちなレオンではなく、こういう場面ではその軽薄さをいくらか役立たせることが出来るアルカードだ。両ひざに肘を乗せるようにして前に身を乗り出すと、
「いくらでも待っててやるから、ゆっくり話しな。おれら暇だし」
最後の一言だけは聞き捨てならんとばかりにレオンが食らいつく。
「一緒にするなよ。暇なのはお前だけだろ。――今日のお客は貴方だけだ。落ち着いて、一から詳しく話してくれ」
二人のコミカルな会話に、アシュレイは少しホッとしたように頷き、一つひとつ、順を追って話し始めた。
「親友が、二週間前から行方不明になっているんです」
「その子の名前は?」と、レオン。
「ショーコ・A……。私と同じ学校に通っています。クラスメイトです」
「行先に心当たりは?」
アシュレイはゆるゆると首を横に振り、「全て当たりました。けど、どこにもいません。彼女、交友関係が広くて、休日は出かけていることも多いのですが、無断外泊なんて決してするような子ではないんです」
「警察へは届けた?」
「十日ほど前に彼女の母が捜索願を……。けど、全く――」
アシュレイは、その先の言葉を言いたくないとばかりに顔を伏せた。よほど仲の良い友達だったのだろう。今にもその子の元へ駆けつけてやりたいといった風情がその居住まいから感じられる。
「彼女、家はどの辺? 貴方の家と近いのかな?」
「私は学生寮住まいなんですが、彼女は学校からほど近い一軒家で家族と暮らしています」
「彼女と最後に会ったのはいつ?」
「行方不明になる二日前です。学校で会いました。翌日は日曜日でしたので学校は休みです」
「いなくなる前、その子に何か変わったことはあった?」
「ええ。数日前から急に元気がなくなって、誰が見てもわかるくらいにやつれていました。それと……妙なことを言っていたんです」
「妙なこと?」
「はい。確か……『迎えに来てくれるのよ。あの人が』と……」
「……誰が迎えに来てくれるんだ?」
「わかりません。彼女、だいぶ寝不足だった様なので、寝ぼけてるのかなとも思ったのですが……」
アシュレイは、曖昧な記憶と、親友の発言の詳細を語ることが出来ない無力さに心を痛めているようだった。
レオンは気を取り直して、
「この手記はどうしたの?」と話題を反らした。
「親友の部屋にあったものです。彼女が行方不明になってから、おうちを訪ねた時に見つけました。手がかりになるかもと思って、借りてきたんです」
「手がかり……。このページに書いてあることかな」
レオンは言いながら、隣のアルカードに開いたままの手記を渡す。
「ええ。そのページに書かれたそれ、彼女が行方不明になる前日の日付になってるんです。初め読んだときは、単なる詩の一節かと思っていたんです。けど最後の一文が気になって……」
「ただの家出ではないのか」
問題の個所を読み終えて、手記から顔を上げたアルカードが訊ねると、アシュレイは悲痛に顔を歪めて、
「実は、失踪しているのはショーコちゃんだけではないんです」と言った。
彼女曰く、他にも二人、他クラスの少女がほぼ同時期に行方を眩ませたのだという。そしてその子らもまた、いなくなったショーコ同様、失踪の数日前から普段と様子が違ったようで、周囲のクラスメイトたちは不信感を抱いていたようだ。
「それとですね……こんな噂がありまして」
言いづらそうにアシュレイが口を開くと、二人は声を揃えて「噂?」と訊ねた。
彼女の話を要約するとこうだ。
ここ一か月ほどの間に広まった噂で、その内容は、夜寝ているときに見る夢の中に、とても美しい男が現れ、彼に魅入られた少女は、数日以内に姿を消してしまうというもの。そしてその夢を見た少女たちの周りで話題に上るのが、とある《香り》について。
「香り? どんな?」
アルカードが、ズルズルと紅茶を啜りながら訊ねる。
アシュレイは困ったように首を傾げながら、「花、の、ような……」と歯切れ悪く答えた。「詳しくはわからないのですが、とても良い香りだと聞きました。夢に出てきたその男から、すごくいい香りがするのだと」
「貴方はその夢を見た?」
「いいえ。私は見ていません。クラスメイトの何人かは、夢でその男にあったらしいのですが、今のところ、姿を消したのはショーコちゃんだけです」
「その匂い、どんなものか気になるな。それが魔力によって生み出されたものだとしたら、おれらが嗅げば一発でわかるぜ。アシュレイ、君はその匂い嗅いだことあるか?」
アルカードが興味深げに身を乗り出すと、彼女はこくりと頷く。
「ええ、ショーコちゃんの部屋で」
親友失踪事件があってから、アシュレイは独自に友人の身辺を調べていたのだという。その過程で気付いたのが、ショーコ・Aの部屋に残された謎の甘い匂いだった。
「彼女の家には何度か遊びに行ったことがあるのですが、その日は、部屋の匂いがいつもとは全く違いました。普段は、ショーコちゃんが気に入って愛用していたルームフレグランスの香り、――確か、ええと、ジャスミンの香りがするんですけれど……。その日、部屋にあったのは甘く心地よく、心が擽られるような、とにかくよい香りでした」
でも、とアシュレイは急に声を落として続ける。「すごく不気味だとも思いました。……私の心胆を寒からしめるような、言い知れぬ不安を感じさせるものとでも言いましょうか」
そう答えたアシュレイの声はさながら、身の毛の弥立つ怪談話を語る講談師のように真に迫った風情だったので、アルカードもレオンも思わず視線を交わさずにはいられなかった。
悪魔や吸血鬼など、人間をターゲットとした魔物は、美しい容貌や香り、巧みな
もしショーコ・Aの部屋に残っていたその不気味な香りとやらが、魔物の手によって発せられたものだとしたら、吸血鬼ハンターの嗅覚でそれを魔的なものか、そうでないのかを嗅ぎ分けることができる。
「きっと彼女たちは、あの匂いに魅入られてしまったんです。その香りに惑わされた少女たちは、夢に出てきた見目麗しい男に攫われてしまうんです」
「それが貴方の周りで囁かれている噂ですか」
レオンの問いにアシュレイは重々と頷いた。
「夢に出てくるその男が、ヴァンピールだと言われています」
「う~ん。行方を
アルカードは沈思するように目を閉じた。
《彼に魅入られる》条件がどんなものなのかはわからない。
計三人の失踪者。その名を、ショーコ・A、隣のクラスの学級委員長を務める優等生マーリア・ダンジェロ、一つ上の学年に在籍している不良少女ソフィア・カルーゾ。
以上のうら若き乙女たちが、時を同じくして姿を消した。
行方不明者の一人、ショーコの部屋に残された禍々しき香気。彼女の手によって残された謎の手記、生徒たちの間に流れていた噂……。
「吸血鬼事件としての証拠にはならないかもしれませんけど、警察の捜査は一向に進展がなくて……。そもそも警察は、吸血鬼事件として取り扱ってくれるはずもなく、見当違いな捜査に精を出すばかりですから。でも私、思うんです。言ってしまえば勘なんですけど、これは人間の手による事件ではないと――吸血鬼事件だと思っています。だからこうして直接ここへ来ました。レオンさん、エドアルド・シェダールの再来と謳われたあなたに、この話を聞いていただきたかったからです」
アシュレイは挑むような力強い双眸で、レオンをじっと見つめた。灰色の瞳に、揺るぎない期待と切望が満ちている。きっとレオンが、これだけの証拠では吸血鬼事件とは言えませんと突き返したことろで、彼女は引かないだろう。
「うん確かに、貴方の言う通り、これだけの証拠では吸血鬼事件と決めつけるのは時期尚早だ。しかし、その《香り》というものが少し気になる」
「友達の部屋でその匂いをかいだ時、どうだった? お前自身に何か変化はあったか?」
アルカードは、長い腕を組みつつ訊ねる。
「いいえ、特には変りないです」
アシュレイが言うのを聞いて、アルカードは「ふむ」と考え込むような素振りを見せた。そんな彼を尻目に見つつ、レオンはぱん、と手を叩いた。
「よし、ではこうしよう。アシュレイ、今から僕たちをショーコさんの家に連れて行ってくれるか。ご家族から話を伺いたいし、彼女の部屋に残った香りについて、現場で詳しく調べたい。これが吸血鬼事件かどうかは、後で決めよう」
アシュレイは、すっくと立ちあがったレオンに、涙で潤む目元を隠すように深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
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