White Lie

猫柳蝉丸

本編



 夜顔――

 花言葉は『夜』、『夜の思い出』、そして、『妖艶』。



     ◆



 また今日も郵便受けにいつの間にか届けられていた。

 花弁だけ摘み取られた花言葉通り妖艶なまでに白い白い夜顔。

 自宅の郵便受けに夜顔が届けられるようになってこれでもう二週間になる。

 勿論、不気味さはあった。

 何しろ意図が分からない。僕の家の郵便受けに夜顔を届けて一体何になると言うのだろう。全く意味不明だ。残念ながら僕に恋する乙女が夜顔を届けてくれているとも考えられない。調べてみた花言葉から考えてみても、秘めた想いを届けるために贈るに相応しい花だとはとても思えないじゃないか。

『夜の思い出』なら無い事も無いけれど、それにしても動機が意味不明に過ぎる。

 一応、贈り主には心当たりがある。

 花が好きで、花の香りをいつも漂わせている様な、その名の通り花の様な人。

 華純姉さん。

 二週間前、唐突に消息を絶った僕の十歳離れたたった一人の姉さんだ。

 幼い頃、早くに両親を亡くした僕は姉さんに手塩を掛けて育てられた。

 自分で言うのも何だけれど、それこそ溺愛と称してもおかしくないほどだったと思う。

 華純姉さんだって学生の身でありながら毎日僕の弁当を作ってくれていたし、アルバイトで疲れているだろうに笑顔で学校まで送り出してくれていた。楽しい事をしたい盛りだろうに庭で花を育てる事以外に趣味らしい趣味を持たず、とうとう僕が大学に入学するまで育て上げてくれた。何もかも、華純姉さんのおかげだった。

 本当に感謝しても感謝し切れない、僕の敬愛すべき姉さんだ。

 その華純姉さんが消息を絶って二週間、僕は警察に届け出を出していなかった。

 何となく、そうすべきではないと思えたからだ。

 心の何処かで分かっていたからかもしれない。

 この二週間ずっと自宅の郵便受けに夜顔を届けているのは華純姉さんなのだと。

 だからこそ僕は、毎日届けられた夜顔を見つめながら考えているのだ。

 華純姉さんが僕に花と共に届けようとしている真意を。

 ずっとずっと。



    ◆



「今日買って来たその鉢植えは何の花なの、華純姉さん?」

「この花? そうね……、この花は夜顔よ、そうちゃん」

「そっか、夜顔だったんだね」

「そっか、って言うのはどういう意味なの?」

「いや、もう秋になるし、朝顔を育てるには時期がずれてる気がしてたんだよ。だから、やっぱり朝顔じゃなくて夜顔だったんだなって思ってさ」

「そうね、夜顔は夏も咲くけど、どちらかと言えば秋の花なのよ。それで今回は夜顔を育ててみようと思ったの。夜だけに咲く白く綺麗な花よ。花が咲いたらそうちゃんにも是非見てほしいわ。そうね、多分、あと二週間くらいで開花すると思うわ。お花屋さんもそう言ってくれていたもの」

「そうなんだね……」

「どうしたの、そうちゃん?」

「あっ、いや……」

「ひょっとして、一昨日の夜の事……かしら?」

「うん、そうだね……、一昨日の夜は、その……」

「その先はお姉ちゃんに言わせて、そうちゃん。一昨日は本当にごめんなさい」

「ごめんなさいだなんて、そんな……」

「お姉ちゃん、焦っちゃったのよね……。ずっと子供だと思ってたそうちゃんに彼女が出来るなんて思ってなかったもの。ずっとお姉ちゃんにお世話させてくれるって勝手に考えていたの。それで寂しくてどうしたらいいか分からなくて、寝てるそうちゃんにあんな事をしちゃったんだと思うわ……」

「か、彼女じゃないんだよ、凜子さんは……」

「そう……なの……?」

「そうだよ、凜子さんとは同じ学科でたまたま帰り道が一緒になっただけなんだ。それで華純姉さんとばったり会っちゃっただけなんだよ、ちょっと残念だけどさ」

「そうちゃんは……」

「うん?」

「そうちゃんはその凜子さんの事が好きなのよね?」

「わ、分からないよ。素敵な女の人だと思うけれど……」

「それが好きって事なんじゃないかしら?」

「そ、そうかな……」

「お姉ちゃんが見る限り、その凜子さんに脈はあると思うわよ?」

「そうなの……かな? 実感は湧かないけど……」

「そうちゃんはお姉ちゃんの自慢の弟だもの。誰だって好きになるに決まってるわ」

「それは姉馬鹿ってやつだよ、華純姉さん……」

「あら、誰だって好きになるって信じてるのは本当よ。お姉ちゃんだって大好きだもの」

「華純姉さん……」

「だからね、そうちゃん。もし凜子さんと何か進展したら教えてね。その時は今度こそ祝福出来ると思うの。そうちゃんの初めてはお姉ちゃんが奪っちゃって、凜子さんには申し訳ないけれど……」

「意味深な言い方しないでよ、華純姉さん……。少しキスされただけじゃないか……」

「うふふ、そうね、ファーストキス、奪っちゃってごめんなさい、そうちゃん。ソファで寝てるそうちゃんの唇を見てたら何だか寂しくなっちゃって……。でも、大丈夫、もう大丈夫なの。お姉ちゃんも少しずつ弟離れしていかないといけないわよね」

「僕も、頑張るよ、華純姉さん。少し、寂しくはあるけどね……」

「あらあら、そうちゃんったらシスコンなんだから」

「華純姉さんの言えた事じゃないでしょ……」



     ◆



 あの会話の翌日、華純姉さんは唐突に僕の家から姿を消した。

 眠っている僕のファーストキスを不意に奪ってしまったのをやはり後悔していたのか。

 それとも、何か他の深い理由があるのか。

 手がかりは郵便受けに毎日届けられる白い花の夜顔だけ。

 けれどそれも長くは続かない気がしている。

 華純姉さんは鉢植えの夜顔があと二週間くらいで開花すると言っていた。

 消息を絶つ前に買っていた夜顔なんだ。それに意味が無いはずがない。

 この夜顔が咲いた時にこそ、僕は華純姉さんの真意を知る事になるのだろう。

 華純姉さん……。この十年、二週間も離れて過ごした事は無かった。

 家庭的で、優しくて、僕が悩んだ時はいつも背中を押してくれた。

 花が好きで、僕達の家の小さな庭には鉢植えがいっぱいで、二人で一緒に朝顔や向日葵、デイジーやパンジーを育てるのが幸せそうだった華純姉さん。

 華純姉さんは、何を考えているのだろう。

 僕はそんな華純姉さんをどう思っているのだろう。

 華純姉さんの事は勿論好きだ。大好きだ。

 華純姉さんが居なければ、僕だって寂しくてどうにかなってしまうかもしれない。

 けれど、それは華純姉さんと姉弟以上の特別な関係になりたいって意味じゃない……と思う。少なくとも僕は華純姉さんをそういう目で見た事が無い。華純姉さんが僕の母親代わりだった事が関係しているのかどうかは分からないけれど、とにかく僕は華純姉さんを姉さん以上の存在として見た事は一度も無い。

 あの日、華純姉さんに僕のファーストキスを奪われた時も、嫌悪感こそないながら戸惑いしか感じなかった。華純姉さんが僕を弟ではなく男として見ているのかもしれないという事実が、僕の知っている華純姉さんの姿とは一線を画していたからだ。華純姉さんが僕の事をそう思っているなんて考えてもみなかった。

 もしかしたら、それは華純姉さんも同じだったのかもしれない。

 あの日、僕と凜子さんが連れ立って歩いているのを目にして、華純姉さんもどうしたらいいか分からなくなったのかもしれない。それで僕の関心を引くために眠っている僕の唇を奪ってしまったのかもしれない。

 華純姉さんには今まで男の人の影は全く見受けられなかった。

 そんな華純姉さんに恋人が出来てしまったら、僕も同じ事をしていただろうか?

 ともあれ。

 恐らく今日、もしくは明日、この夜顔もそろそろ花を咲かせるだろう。

 その開花の瞬間を、華純姉さんの為にも僕は見届けたいと思っている。

 夜顔が花を咲かせるのは夕方から翌日の朝方に掛けてらしい。

 僕はその時をひたすら待つ。

 華純姉さんの真意に思いを寄せながら……。



     ◆



 気が付けば眠ってしまっていたらしい。

 不意に目を覚ました僕は肩を回して時計に視線を向ける。

 午前四時二十分か。

 夕方から午後十時くらいまで粘ってみたけれど、やっぱり夜顔は咲かなかった。

 となると、少なくとも今日の夜まで開花はお預けになりそうだ。

 そう思って夜顔の鉢植えに視線を向けた瞬間、僕は目を見開いてしまっていた。

「えっ……?」

 咲いていたのだ、真っ白な夜顔が。

 僕が眠っている内に開花してしまったのだろうか。

 もしかしたらそういう事も有り得るのかもしれない……?

 いいや、そんな事は有り得ない。

 もし僕が眠っている内に夜顔が開花したとする。それならこの時間に元気に咲いているのはおかしい。夜遅くに咲いたとしても、朝方には萎み始めているはずなのだ。それが夜顔という花のはずなのだ。こんなに今咲いたかの如くエネルギッシュに咲いているはずがないのだ。この花が夜顔であるのならば。

「まさか……」

 僕の頭の中に昔華純姉さんから聞いた言葉が甦っていく。



――朝顔はね、朝に咲く花じゃなくて朝にはもう咲いている花なのよ。



 朝起きると咲いている花だからこその朝顔。

 華純姉さんは言っていた。朝顔は朝陽を浴びて咲いているわけじゃない。陽が沈んで八時間から十時間後に規則正しく咲く花なのだと。日の出ではなく日没にこそ反応している花なのだと。

 つまり、だ。

 これは華純姉さんが言っていた通りの夜顔ではなく、朝顔だという事だ。

 華純姉さんが夜顔だと言っていたから、僕はそれを疑う事すらしなかった。

 こんな朝顔を見るのは初めてだった。

 白い夜顔によく似た妖艶に咲く、真白い朝顔。

 華純姉さんが間違えて買ってしまったのか?

 違う、華純姉さんに限ってそんな事をしてしまうはずがない。花が大好きで花を愛している華純姉さんがそんな間違いを犯すはずがない。必ずその意図があるはずなんだ。

 僕は動悸を抑え、華純姉さんの部屋に入って華純姉さん愛用の花言葉の本を開く。

 目当ての項目はすぐに見つかった。

 朝顔の花言葉、『はかない恋』、『固い絆』、『愛情』。

 これこそ華純姉さんが僕に伝えたい事だったのか?

『はかない恋』を終え、『固い絆』と『愛情』を持って僕に接していくという意味なのか?

 違和感が拭えない。自分でも納得出来ない。

 それを伝えるだけならこんな面倒な事をする必要なんて無い。

 瞬間、戦慄した。

 そうだ、今咲いている花は単なる朝顔じゃない。

 真白の朝顔なんだ。

 僕は震える手でページを捲る。

 あった。

 白い朝顔の花言葉。

『あふれる喜び』、そして――

「ただいま、そうちゃん」

 不意に背後から声を掛けられ飛び上がってしまうかと思った。

 いつの間に帰って来ていたんだろう。

 華純姉さん……。

 今日夜顔……、いや、白い朝顔が開花すると予想、いや、確信して戻って来たのか?

 華純姉さんが帰って来てくれたのは嬉しい。素直に嬉しい。

 おかえりなさい、と笑顔で迎え入れてあげたい。

 けれど、僕は背後に振り向けそうにも、笑顔で挨拶出来そうにもなかった。

 華純姉さんの表情を確認する事が恐ろしかった。

 僕の頭の中では、ひたすら白い朝顔の花言葉が反響するみたいに繰り返されていた。

 白い朝顔の花言葉――





『あなたに私は、からみつく』






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