フォルス・アラーム(誤認)
よろけて引きずられながら、私は歩いて行った。こんな時に現実を感じられるのは舗装のアスファルトの硬さと、皮肉にもジゼルに握られた――死んでいるのに暖かい――手だけだった。
目の前に生身でいるジゼルの死を信じろというのは俄然むりな話だった。少女がこの年齢でいる訳がないという事実だけに、私の正気はぶら下がっている。
おかしな点をあげれば、ジゼルの瞳が絵本で見た
「ほら、あそこを見て」ジゼルが学校の校舎の奥を指さした。
そこは学校の図書館だった。私は思い出した。昨日のこの時間、確かにここに来ていた。結局、無駄骨だったっけ。
近づくに連れて、二人は共に慎重な足取りになった。図書館の正面は強化フロートガラス張りになっていて、中に入らなくてもエントランスホールの様子がよく見えた。
私が立っていた。受付の黒人の女性と会話している。確か中に入れてくれと懇願して失敗したんだっけ。遠目に見ても交渉が破綻してるのが、二人の冷たい表情でわかった。
「あの受付の女性――エブリンも死んでいるって気づかなかった?」
「……知らなかった。生きてるようにしか見えない」
「本当よ。あの人は二十年前から、この学校の図書館で受付をしていたの。平凡でつまらないけれど、三人の娘に恵まれて幸せな生活を送っていたわ。でもある日――」
ジゼルの言葉が切れると、少女と私の間に小さく、しかしリアルな半透明の立体映像が現れた。いま目の前にある図書館の受付を、そのまま何十分の一に縮めたような代物だった。
「エブリンにはいつもと変わらない午後だったわ。でもその日、図書館に武装した若者が乗り込んできた。別の街で警察に追われてた犯罪者だったみたい」その言葉と同時に、映像の中のエントランスホールに男がやって来た。
驚いたことに、彼は受付を素通りしてやすやすと館内に入っていった。まさかこんな明るい時間に凶器を持った男が、子供の図書館に入ってくるわけがない。そんな思い込みがエブリンたちの目から、男の持つ血の付いたナイフや拳銃を遠ざけてしまったのだ。
銃声がホールに鳴り響いた。時が止まったような沈黙の後に、子供たちの恐怖と苦痛の悲鳴が続いた。乱れた足音と共に、入り口から逃げ惑う人々が走り出てきた。残念なことに全員大人だった。そのあとを追うように男が現れ、建物の出口に溜まる人混みに向けて、銃を乱射した。
「不幸な事件だったわ。館内にはエブリンの三人の娘たちが遊びに来ていたの。でも記事によれば、この事件で生き延びたのは、さっき撃たれた大人の中の数人よ。エブリンたち非武装の民間人には為す術もなかったでしょうね」
私は映像に目を近づけた。まだ受付の職員たちが一ヶ所に集まっていた。彼らはただ両手を上げる事しかできない。その集団の中にエブリンの姿も見えた。
犯人は命乞いする職員ひとりひとりの前に立ち、丁寧に頭を撃ち抜いていった。このままでは確実に殺される。後列にいたエブリンは勇気を振り絞り、立ち上がって男に突進しようとした。だが中年女性の動作はあまりにも鈍すぎた。犯人は落ち着いて狙いをエブリンに変え、引き金を絞り、死を放った。映像はそこで薄らいで消えた。
「それが彼女の最後。でもね、その死んだ瞬間のことはエブリンの記憶に無いの。ただ彼女は強い執着を持って死んでいった。娘たちへを守れなかった自分への恨み、どうして犯人を簡単に通してしまったのかという
「この世界……」私はジゼルの言葉を繰り返していた。
映像ではない現実――ガラスの向こうでは、IDカードが無いことを理由に強く否定された私が、ひどく憤慨していた。
「ああして今でも自分の果たせなかった責任をやり遂げる為に、
「彼女は私を通さなかったんだぞ? それで責任は果たしたじゃない」
「ううん」ジゼルは悲しげに首を振った。「今日も犯人が決まった時刻にここにやって来て、図書館を襲撃するの。彼女はそれを止めようとする。けれども失敗して撃ち殺されてしまう。恨みは毎日作り出され、消えることはないわ。ここはそういう世界なのよ」
「……そんな……じゃあ、あの人はいつ解放されるの?」
「彼女が犯人を阻止して、娘たちが死ななくて済む日、かしら。でもそんな日は絶対に来ないと思う。そもそも彼女は犯人が来ることを事前に知らないんだから」
「じゃあ、私が教えてやれば――」
「信じると思う? 『これから武装した犯人が来るので1ダースのポリスカーと警官を呼びなさい』とでも言うの? 『ガンショップでマシンガンと防弾チョッキを買ったらって?』 無理よ……一度このループに入ってしまったら、抜け出すことは容易じゃないわ。誰だって、その日に死ぬなんて思っていない。あなただって他人に忠告されても、容易に話を聞くことはないでしょう?」
「くそったれ……じゃあ何の為にこんな場所があるっていうのさ」
「……ここはね。先に進めない人たちの、吹き溜まりなの。さあ、そろそろ次の場所へ行きましょう」
『アルバーツ・ダイナー』の店主、アルバート・サマラスは前日の14時30分頃、自宅兼店舗の厨房で胸を押さえて倒れている所を発見された。死因は
私はタブロイドの切り抜きから目を外し、店で私に接客しているアルバートを見つめていた。
「アルバートが亡くなっていただなんて、知らなかった……」
「その時の彼の頭の中は、新作のスイーツのことで一杯だった。彼はそれを『パヌッキー』とか呼んでいたわ。パンケーキとクッキーが認めない私生児みたいなものね。
「それがアルの未練なのね」私は車の中で、店から出て行こうとする自分の姿を眺めなら、口惜しげに言った。「あの時、少しでも食事してやるんだった」
「後悔しなくてもいいのよ。あなたがその気ならいつまでだって、ここにいられるんだから」
「可愛そうなのは嫁さんだよ。あれ……」私は不思議な事に気づいた。「おかしいよ! アルの奧さん……店にいたぞ?」
ジゼルが黙ってもう一枚の紙片を差し出した。そこにはボールド・ゴシックで『アルバート・ダイナーの未亡人、後追い自殺』とあった。私は思わず手で口を覆った。
「夫の体の異変に気づいてやれなかった妻は、永遠に付き添う運命を選んだのね」
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