昨日のあなた



「ジゼル……衝撃的だわ。あんたが車を運転できるなんて」


 私は自分のピックアップの助手席に座り、シートベルトのロックを再確認しながら言った。


 私が運転する。そうジゼルが言い出した時は冗談だと思った。そもそも足が届かなければ走り出せるものかと、馬鹿にもした。しかし推定10歳の少女は、シートリフターとスライダーを限界まで使って、何とかペダルまでの距離と視界を確保したのだった。


 連れていきたい所があるから。それがハンドル権を主張した理由だった。場所さえ教えれば私が運転しするから。そんな反論をしても、少女は引かなかった。


 車が走り出すとすぐに地理がわかった。私が閉じこめられていた賃貸は、街の中央から車で15分と離れていない。時間はもう昼に近いようだった。


「どこへ連れてくつもり?」


 もう三度目の質問だが、ジゼルは毎回律儀に答えてくれる。「もう少しよ」


「……っていうか、せっかちとか言わないでさ、そろそろ教えてよ、ジゼル。もう大概の事には驚かない。何を聞いても信じられるよ。そうじゃなきゃ10歳のガキ見た瞬間に、そいつがジゼルだって信じられる訳ないじゃない」


「いまはもう11よ。私だってママになったメイヴィスを見ても驚かなかったわ。お互いに変わってないわね」


「問題はそこじゃあないでしょう?。いろんなこと無視してまず聞きたいのは『あんたがなぜその・・年齢のままなのか』ってことよ」


 車が右に傾いた。ジセルがふらついた車の舵を元に戻したからだ。


「そうね、そろそろ教えてあげるべき。だけどあと少しよ。もうすぐ車が目的地に着くから」


 そう言われてさらに5分が経った。トヨダが最後の道を曲がってたどり着いたのは、戸建ての並ぶ住宅街、幅広の道路の脇だった。


 何故こんな所に停車したのだろう。車のボンネットから見える景色の中に、メールボックスが見えていた。ステンレス製で中身ありのサインフラッグが立っている。別に特徴もない市販品なのだが、斜めに傾いていた。私はその角度に見覚えがあった。何故なら私自身が車でぶつけたからだった。


「あのさ、私のうちで何しようっていうの? 」


「何もしないわ。ただ待つだけ。その間にお話しましょ?」


 ジゼルはエンジンを切った車のハンドルから手を離すと、あらためて助手席の方を向いて座り直した。


「メイヴィスがブルーミントンを引っ越してから、しばらくは手紙くれたよね。私、郵便箱の旗が立っている日の夜は、興奮して眠れなかったわ」


「ええ、何通も書いたわ。でも、あなたからの返事は一切来なかった。子供同士だし、それも仕方ないと思って納得したけど」


「そうなの……本当は書きたかった。ただ事情があったの」


「別に攻めるつもりなんてないよ。でも事情って、あんたも引っ越したとか?」


 ジゼルはなにも言わずに、スカートのポケットを探ると、小さな紙片を見つけ私に差し出した。


 私はそれをつまむようにして受け取った。古く変色した紙で、今にも千切れそうな程ボロボロだったからだ。すぐに新聞を切り抜いたものだとわかった。


『地方労働者の無謀な暴走劇! 狂気の鉄塊が幼気いたいけな少女の世界を奪う』


 見出しは古くさい字体で、事故の惨状を煽るように書かれていた。細かいポイントの本文が状況を補足しているが、かすれて読めなかった。


「これが?」私は切り抜きの端をつまんだまま、ジゼルにそれを返そうとした。


「しっ!」

 

 ジゼルが警戒した様子でそれを制した。声の調子で緊張感が伝わり、私は動きを止めた。少女に習い姿勢を低くする。


 金切り声に似たスターターモーターの音がした。低回転でもトルク生み出すOHVエンジンが唸り、メールボックスのある家から白いピックアップが滑り出てくる。


 運転席側、開きっぱなしのフロント・ドアガラスから白い左腕が突き出ていた。車は車道の往来も気にせず速度を上げる。私たちの目の前を通り過ぎる瞬間、ドライバーのけだるげな表情と銀灰色の髪が見えた。


「どうして……」私が出せた言葉はそれだけだった。


「メイヴィス・ブランストーン。家を出る時のあなたよ」道路に乗って小さくなっていく白いピックアップを見つめながら、ジゼルが言った。「さあ、私たちも行きましょ。少しぐらい離されても平気。行き先はあなたが知っているもの」

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