長い夜、そして夜は開ける

「うーん、どうしたもんか」


 真っ暗な部屋、ユーナがいない。

 部屋を出ていく気配はあった、便所かなと簡単に考えながら微睡んでいたが、それにしては遅い。


「この階、俺たち以外泊まってないから油断しすぎたか?」


 この宿は、上の階に行くにつれそれなりに部屋代が高くなる。

 下級迷宮攻略を目指す冒険者用の宿だから、下の階は安くないと客が入らない。

 宿の女将はこの階以外の部屋の空きは無いと言っていたが、俺の装備を見てついでに訳ありそうなユーナの服装を見てこの部屋を勧めた可能性もある。

 寝る時は階段近くの扉を閉めて鍵を掛けていいと、食器を下げに来た宿の奴に耳打ちされたから俺の考えは間違っちゃいないだろう。

 訳アリの貴族の娘を連れた冒険者とでも思われているのかもしれない。


「やっぱり同室が耐えられなかったのかな」


 鍵を破られたら音が鳴るように、野営用の魔道具を扉には念の為付けておいた。

 それが発動した気配はないから、良からぬ考えの持ち主が……というのは無いだろう。

 だとしたらユーナが自分の考えで部屋に戻ってこないんだ。


「寝る時は普通だったんだが」


 ベッドは広かった。

 二人で使うものだから広いのは当然とはいえ、大人三人余裕で眠れそうな広さだった。

 明るく寝ましょうかと言い放つユーナに、何となく俺の方が年甲斐もなく緊張して、清潔そうなのに浄化の魔法をシーツや毛布、枕に掛けてから、練習としてユーナには自分と俺に掛けさせた。

 ユーナの浄化は完璧で、流石難しいとされる収納が使えるだけあるなと内心感心しながら部屋の明かりを消し、さっさとベッドに入った。


 俺が先に寝たほうが安心するだろう、そう考えてすぐに眠りについた。

 長く冒険者なんてものをやっているから、どこでも寝れるしいつでも寝れる。

 俺の眠りを確認して、ユーナも眠り始めた筈だったんだ。


「鍵がしてあるとはいえ、危ないな」


 起き上がり靴を履く。

 俺が隣に寝ているのが落ち着かないなら、俺が廊下にいればいい。

 魔物がくる心配がない屋内なんだ、外より余程眠れる。


「さてと、灯り」

 

 生活魔法の灯りを唱えながら、扉をそっと開く。

 何となく近くに気配を感じる。

 ユーナどこにいるんだ?


「もう帰れないの? お母さん、帰りたい」


 ユーナは、扉のすぐ近くに膝を抱えて座り込んでいた。

 

「何でここに来ちゃったのかな、お兄ちゃん心配してるよね」


 呟きながらグスグスと鼻を鳴らしている様子に泣いているのだと気が付いて、俺は自分の失態に気が付いた。


 何が落ち着いてるだ。

 何が冷静だ。


 年若い子が、知らないところにいきなりやって来て、魔物に襲われかけ自分を娼婦扱いする男から逃げる。

 それがどれだけ恐ろしいか、鈍い俺にだって分かる話だ。

 それなのに、明日のことすら考えられないだろうユーナに俺は、冒険者になれと魔法を押し付けた。

 魔物が怖いと言っている子にだ、この世界には魔物がいるのだから諦めろと言わんばかりに親切な顔で無理をさせたのか。


「怖いよ、お父さん。私ずっとこの世界に暮らすしかないの?」


 ぐすんと鼻を鳴らす。

 だけど、その泣き方は静かで泣き声を響かせない様にしているのだと分かった。

 真っ暗な宿の廊下で、思い切り泣くことも出来ない。

 俺は今日ユーナを助けたつもりで、心までは助けられていなかったんだと悟ったんだ。


「ユーナ」


 泣かせておいた方がいい、一人にしてあげるべきだ。

 そう思うのに体が勝手に動いた。


「ヴィオさん」

「体が冷える、中に入ろう」


 扉を大きく開くと、ユーナを抱き上げて部屋の中へと入る。


「あの、私」

「座ってろ」


 ベッドの端にユーナを下ろすと、扉を閉めて鍵を掛ける。

 それからベッド脇に椅子を一つ持っていき、ユーナの前に座った。

 灯りは生活魔法の灯りのみ、部屋に用意されている灯りの魔道具は付けなかった。


「腹が減らないか」

「え?」

「馬車で食べた様なもんだが、ほら」


 マジックバッグから、焼いた肉をパンに挟んだものを取り出しユーナに持たせた後、テーブルの上に置きっぱなしのカップに水を出しこれも手渡す。

 右手にパン、左手にカップという姿のユーナは戸惑いながらパンに齧りついた。


「何があっても腹は減る。辛くても悲しくても、腹一杯食ったら元気になれる」

「え?」

「死んだ俺の親父が言った言葉だ。幼かった俺が、親父から言われて覚えてるのはこれくらいだ。だから取り敢えずさ」


 大抵の悩みは腹いっぱい食えば忘れられる。

 人生そこまで単純じゃないが、そう思って乗り越えていくことは、多分出来るんだろう。


「ヴィオさん」

「帰りたいと思うのは当たり前だ、家族と離れて悲しくないわけがない」

「私、私っ」


 ポタポタと涙を落としながら、それでもユーナはパンに齧りつく。


「ユーナの家族の替わりにはなれないが、俺はユーナの側にいる。帰る方法、探せなかったが諦めなければ見つかるかもしれない」

「一緒にいてくれますか、一緒に探してくれますか?」

「ああ、一緒に探そう。だけど折角この世界に来たんだから帰り方を探しながら、この世界でしか出来ないことを楽しむってのありじゃないかな」


 探すあてなんかない。

 リナと二人で探しながら旅をして、それでも見つからずに諦めてしまった。

 だがリナとユーナでは、ここに来た理由が違うのかもしれない。

 それに、見落としているだけで帰る方法は存在しているのかもしれない。


「楽しむ? この世界を」


 ゴクンとパンを飲み込んで、こくこくと水を飲み干した。


「目が覚めて、真っ暗な部屋で、怖くなったんです。外が静かで、静かすぎてここは私が暮らしていたところじゃないんだって、そう思ったら急に怖くなってしまって」


 空になったカップを両手で弄びながら、ユーナは部屋を出た理由を話し始めた。


「怖くなったら涙が出そうになって、だから私落ち着こうと思って」

「そうか」


 カップを受け取り、テーブルの上に置く。


「ユーナ」

「はい」

「一人で泣くな。夜中寂しくなったら俺を起こせ、眠れないなら、一緒に朝まで起きてればいい」

「ヴィオさん」

「ユーナ、何がしたい? 何をしてみたい?」


 俺が何の役に立つかなんて、そんなの分からない。

 何の役に立たないかもしれないし、些細なことでもユーナの為に出来ることがあるのかもしれない。


「したいこと」

「ああ、何がしたい?」

「覚えた魔法を使ってみたいです」

「それから?」

「ヴィオさんに料理作りたいです」

「楽しみにしてる、それから?」

「色々なところに行ってみたいです。そうだ海に行きたいです」

「そういえば、海に行くところだったんだな」

「はい」


 海はここからだとだいぶ遠いが、行けない場所じゃない。


「じゃあ王都に行った後で海に行こう」

「はい」

「後は何がしたい?」

「ええと、ヴィオさんのお父さんのお墓参りに行きたいです」

「え」

「お腹一杯食べたら、少し元気になれました」

「そうか」


 無理しているのが分かる顔で、ユーナは笑うと右手を俺に伸ばしてきた。


「どうした?」

「手、繋いで寝てもいいですか」

「子供みたいだな」

「駄目ですか」


 駄目というか、なんというかだ。

 だけどそれで眠れるなら、これくらい何でもない。


「駄目なわけないだろ」

「ありがとうございます」


 それから俺達は、さっきより近い距離でベッドに入った。

 近いと言っても体は離し、手を繋いで。

 とりとめのない話をしているうちに、ユーナの寝息が聞こえ始めた。

 繋いだ時には冷たかったユーナの指先は、俺の体温で温かくなっている。

 真っ暗な部屋に静かに響くユーナの寝息と彼女の体温に、俺はなかなか眠りにつくことが出来そうになかった。

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