痴漢

池田蕉陽

痴漢

 


 魔が差した。


 しばらく残業が続いていて疲れていたせいもある。それもあって男は溜まっていた。最近、自慰行為すらしていなかった。無論、風俗にも行っていない。今年結婚して十四年になる妻がいるが、セックスレスになっていて、ろくに性処理が出来ないでいた。


 仕事帰りの電車の中だった。今日は平常通りに仕事を終えることができ、小学六年生の娘にシュークリームでも買っていってあげようかと思っていたところ帰宅ラッシュに見舞われた。車内には所狭しと人が埋め尽くされている。男は扉のすぐ近くにいた。人混みに押し流されてそこになったのだ。


 普段なら満員電車の暑苦しさと汗臭さに苛立ちを覚えていたことだろう。しかしこの時男は勃起していた。性的に興奮していたのだ。男は女と密着状態にあった。扉の目の前に女が男に背を向ける形で立っていて、彼がその背中に張り付くようにしてくっついている。


 最初は部長の乳首を想像して意識を逸らそうとしたが、女の香水と服装から連想させられる妖艶な裸体には敵わなかった。


 男は勃起して膨れ上がった下半身を女のミニスカートの中にあたかも事故かのように潜り込ませる。下半身を電車の揺れ具合と連動させる。ついには吊り革を握っていた左手を下ろして、女の太ももに持っていく。女が一瞬ビクンと反応した。男は構わず女の滑らかな素足を撫で回す。男は理性を忘れていた。


 女があまりにも嫌がる素振りを見せないので、扉窓で確認しようと男は顔を上げた。窓に映る女は俯いていて長い黒髪で顔が見えない。男の痴漢を我慢しているように窺えた。


 その横には男の顔が映っている。口角の少し上がった醜い笑みだった。男はそれを見た途端、本当にこれが自分なのかと疑った。まるでドラマや映画で見る性犯罪者だった。


 男はどうしようもない自己嫌悪に陥った。妻と娘の屈託のない笑顔が頭に浮かんだ。扉窓に映る自分の表情が消えていく。いつの間にか勃起も収まっていた。


 車内のアナウンスで、間もなく電車が駅に止まることが告げられた。駅に着くと、女がいる方の扉が開いた。


 その途端、女が男の腕を掴んで走り出した。男は「ちょっ」と声を上げ、止まろうした。しかし、意外と女の引っ張る力が強く中々止まれそうにない。


 男は焦った。このまま駅員のところまで連れられ、女にさっきのことを告げられれば人生が終わってしまう。


 しかし、女は駅員のいる改札口を横切り、そのまま別の所へと向かった。そこは女子トイレだった。男は混乱していた。


 男は個室に無理矢理入れられ、そこに女も入ってきた。女は鍵を閉めた。そして男の方を向いた。


 女の表情は乱れた黒髪でよくわからない。男が怪訝していると、女が自分の長い黒髪へと手を伸ばした。何をするのかと思いきや、女は髪を取った。かつらだったのだ。


 男は唖然とした。女の顔がはっきりと見て取れた。女ではなかった。明らかに男の顔をしていた。しかも自分より歳上だと察した。


 全く状況が掴めなかった。何故、今の目の前の女装男はそれを明かしたのか。


 男が呆然としていると、女装男はニヤリと笑った。背筋が凍りついた。その後、男は気づいた。さっき男が扉窓で見た自分の表情と、今の女装男の表情がそっくりだったことに。


 その瞬間、男は悟った。


 自分は犯されるのだと。

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痴漢 池田蕉陽 @haruya5370

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