第17話 浴衣のお姉さんは好きですか?(軽井沢編④)

 「なんか緊張します」

 「……私もだ」

 「……い、行きますよ」

 「いいよ。私はもう準備できている」

 「ああ。でも、やっぱり……」

 「ここまできて、何を迷ってるんだ?はやくしてくれ」

 「そう、ですね。わかりました。覚悟、決めます」

 「うん。こい」

 「いき、ます」

 「あっ」


 先輩が口をおさえた。

 なるほど、そっちか。

 俺は、先輩の手にある二枚のトランプのうち一枚を引く。

 「そ、そっちは……」

 「すいませんね。今回は勝たせてもらいますよ」

 と、言って、俺が引いたのはジョーカーのカードだった。

 「なっ」

 そして、先輩はジョーカーじゃないカードを俺の手札から引き、手元のカード2枚を捨てる。そして、「また、私の勝ちだ」と余裕の表情で言った。

 20戦20敗。

 7並べ、ポーカー、インディアンポーカー、神経衰弱、ダウト、スピード、大富豪、そして、ババ抜き。

 俺たちは、旅館から借りたトランプを永久にし続け、そして、俺は永久に先輩に負け続けた。先輩はトランプに、いや勝負事に強すぎて、そして俺は弱すぎた。

 

 「すまないな。つい、勝負事になると、本気になってしまってな」

 「謝らないでください。なんか余計、悲しくなります」

 「落ち込むなよ、トランプに勝てないぐらい。今までもっとひどいことがあっただろ」

 「……先輩、それフォローしてるつもりで、もっと落としてますから」

 「あれ。ごめんな。なんか、こういうとき何て言っていいかわからなくて」

 先輩は、俺の記憶が正しければ、勝負事、誰かと何かを競うようなことで負けたことがない。それ故に、敗者の気持ちが分からないのかもしれない。

 「いやいや、私だって負けることくらいあるぞ」

 「例えば何ですか」

 「うーん。ま、ぱっとは思いつかないけど、きっとあるって」

 「ぱっと思いつかないんかい!」と、ツッコむことより、「トランプやめましょう」と言うことを俺は選んだ。

 

 先輩に「一緒の部屋で泊まろう」と言われた時は、いろいろなこと(主にいやらしいこと)を想像してしまっていたが、実際に部屋に入ってみると、いつも通りに話せていた。

 それは、先輩がやはり、純粋な優しさで俺を助けようとしてくれたからに違いない。

 そうだ。後輩をほっておけなくなるこの気持ち、これは「優しさ」なのだ。

 だから、俺の小石川に対する気持ちも後輩を想う「優しさ」なのではないだろうか。


 「……もう遅いし、そろそろ寝るか」

 「……はい」

 さて、ここからが問題である。

 先輩が一人で泊まる予定だったこの部屋は6畳の和室。

 当然、布団を2つ敷くのがやっとで、布団を遠くに離すこともできない。

 『或る夜の出来事』で有名な「ジェリコの壁」をつくれたらいいが、生憎、そんな気の利いたものをつくれるものもない。

 「ちょっと、緊張、するな」

 先輩はすでに浴衣姿で、今まで、なるべく意識しないようにしていたが、いつもより数段色っぽかった。

 「はい」

 「ま、あれだ。そんなことはないと思うが、もし私に欲情して、眠れなくなったら、我慢せずに言えよ」

 「……何言ってんですか!」

 「ふふ。冗談だ。おやすみ」

 先輩は電気も消さずに布団の中に入った。

 「先輩……?」

 スースーという寝息が聞こえた。

 最後に爆弾発言を残して寝ないでほしい。

 しかし、その姿を見たら、急に俺は緊張が解け、電気を消し、布団の中に入った。


 ……。

 …………。

 ………………。

 

 寝れない!!

 何が「緊張が解け」ただ。

 とんだ嘘である。

 静かになったせいで、より聞こえる「スースー」の寝息が気になって仕方がない。

 しかし、先輩は本当に寝てしまったのだろうか。

 だとしたら、俺は、どれだけ先輩に「男」として見られていなかったのだろうか。

 なんとなく、それは悲しいし、若干、腹立たしい。

 高校時代、確かに、フラれはしたが、俺はこの人に告白までしているのだ。

 そんな奴を目の前にして、何事もなく、寝る……だと……? 


 俺は、勇気を振り絞って「先輩、起きてますか?」と聞いた。

 答えがなければ、部屋を出て、外で寝ようと思った。

 その方がよっぽどよく眠れるはずだ。


 「うん。起きてるよ」

 

 起きてたんかい!!と、声を出しそうになった。

 「……すっかり、眠ってるもんだと思ってましたよ」

 「寝たふりだ。……緊張してるのがバレたら恥ずかしいだろ?」

 先輩も緊張していたのか、と思うと急にドキドキした。

 「先輩も俺なんかに緊張してたんですね」

 「そうだよ。三寿は……」

 「なんですか?」

 「……私に欲情した、のか?」

 「それは、その、違うとは言いませんけど!だから、何かしようとかじゃないですよ!?」

 「……そう、なのか?」

 「そうです。その、先輩が優しさでしてくれたことに、仇で返すようなことしません」

 「ふふ。やっぱり、三寿は変わんないな」

 「そうですか?」

 「そうだ」

 先輩も俺も笑った。

 俺は、なぜだか、その時、先輩に話を聞いてもらいたくなった。

 俺と俺の後輩の話を。

 「先輩、ちょっと話してもいいですか?」

 「うん。なんだ」

 

 「ほー。ついに、三寿にもモテ期ってやつがきた感じか(笑)」

 話を始めると、「寝ながら聞いちゃダメな奴だろ、これは」と先輩は明かりをつけて、お茶をそそぎ、前のめりで話を聞いてくれた。

 「ちゃかさないでくださいよ。真剣に悩んでるですから」

 「まあ、私から言えることはないかな。その後輩がお前のことをどこまで真剣に好きなのか、それも分からないしな。あとは、お前の気持ち次第じゃないか?」

 それは、美咲に言われたこととほとんど同じだった。

 小石川の気持ち、というより、問題なのは、俺なのだ。

 「そう、ですよね」

 「奥さんを待ち続けるために、その後輩を遠ざけるか、奥さんを待つのを諦めて、後輩と付き合うか」

 

 そう、その二択なのだ。

 その踏ん切りがつかずに、中途半端な状態を続けているのが今の現状で。

 だから、軽井沢まで俺は来たのだ。

 そろそろ、答えを出さなくてはいけないのだ。

 先輩にお礼を言おうとした時、「……もしくは、全く違う道を選ぶっていうのもあるけどな」と先輩は言った。

 「……全く違う道、ですか?」

 

 「私と付き合ってみる、とか?」

 

 「……先輩」

 「そんな顔すんなって。冗談だ。モテモテ三寿の話を聞いて、ちょっと便乗してみた(笑)」

 「あの、憶えてます?俺、先輩に」

 「憶えてるよ」

 「あれ、俺の初告白です」

 「……あの時は、すまなかったな」

 「いえ。先輩は高嶺の花で、もともと無理だってわかってて告白したんです」

 

 「無理じゃなかったよ?私もお前のことが好きだった」

 

 衝撃の発言だった。

 じゃあ、なんで俺はフラれたのか。しかも、その後、女子を遠ざけるようになったりとか、結構、人生に影響を与えてるけど!

 「……ええ?」

 「え、そんな驚くか?結構、サインだしてたけど」

 「サイン?どんなですか」

 「部員の中で、お前だけ呼び捨てだったり、さりげなくプリント渡すときに手に触れてみたり」

 「ごめんなさい。わかんないです。それ、今やられてもわからないです」

 「そうか?結構、がんばったつもりだったんだけど」

 「ちなみに、どこらへんがよかったんですか俺の」

 「えっと。恥ずかしいな。本人を前に。……その、かわいいところ、とか」

 先輩は、顔を浴衣で隠しつつ言った。その仕草はとてもかわいかった。

 「……それ、男として言われるとちょっと複雑ですけど。じゃあ、なんで」

 「勇気がなかったんだ」

 「……勇気ですか」

 「高校を卒業して、地元から離れて一人で暮らしていって、それでもお前と付き合っていける自信がなかった。いや、違うな。とにかく、将来が不安だった。不安で、不安でしかたなかった。その不安を抱えたまま、お前とうまく付き合っていける自信がなかったんだ」

 「そう、ですか」

 「なんだよ」 

 「いや、あの日、フラれた日は、本当に死ぬほど落ち込んで。フラれるってわかってたんですけど、やっぱり、恥ずかしくて、告白したこと死ぬほど後悔して。でも、今の話、聞いて、ちょっと報われました」

 「嬉しかったよ」

 「え」

 「あの日、告白してくれて。お前がまっすぐに言葉を伝えてくれて。嬉しかった。本当は応えたかったのに。……ごめんな」

 「……なんか、ほんと、今日、ここにきてよかったって思います」

 「ふふ。……どうする?」

 「え」

 「……その、この後」

 「え」

 「あの時、できなかったこと、するか?」

 

 ……っていうと。

 「デート、とか?」

 ……ああ、そっちか。

 「あれ、なんか露骨にがっかりしてるな、お前。ほー。さては、エッチなことを期待していただろ。先輩は、そんなお安い女じゃないんだぞ!」

 何時代の人なんですか、とはツッコめなかった。

 「ふふ」

 「何、笑ってんだ」

 「いえ。先輩はいつまでたっても先輩なんですね」

 「そうだ。この先何があっても、私はお前の先輩で、だから、離れていても、いつも想ってるからな」

 「先輩……」

 「なんだ、感動したか?」

 「今の『もののけ姫』のアシタカっぽかったです」 

 「……宮崎駿だろ。不得意なくせに観てるんだな」

 国民的作家なので。

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