第6話 私を映画に連れてって ①
妻と出会ったのは、映画館だった。
それも、名画座のオールナイトだ。
池袋に昔からあるその名画座は一度潰れたのだが、ファンの声に応え、リニューアルオープンした。そのおかげで、内装は確かにきれいなのだが、場所は結局、池袋の歓楽街にあるので、女子が一人で行くには敷居が高い。
しかも、朝までやるオールナイトは夜の10時から11時に始まり、始発が動きだす朝5時ごろに終わる。
途中休憩はあるものの、立て続けに3、4本の映画を連続で観続けるのは、結構な体力が必要だ。大体の人間が、途中でリタイアする(寝る)のも、オールナイトのだいご味である。
相当な映画ファンでなければ、全てを見続けることなどできないし、そもそも参加などしようとは思わない。
だから、当然知り合いが、その中にいるなんて俺は思いもしなかった。
彼女が隣の席にいると気が付いたのは、声をかけられた後だった。
「三寿くん?」
同じ学年、同じ学部、同じサークル(映像研究系だが、実質何もしないサークル)であったのにもかかわらず、俺たちは、その瞬間まで一言も話したことはなかった。
「こんばんは。……奇遇だね」
名前すら憶えていなかった彼女に俺は初めて挨拶をした。
「こんばんは」と返してから、妻は、にやりと意地悪そうに「名前憶えてないでしょ?」と言った。俺は、自分の心を見透かされていたようで恥ずかしかった。
高校の時に部活の先輩に大失恋をした俺は、それから、女子とうまく付き合えなくなっていた。
大学に行ってもそれは変わらず、女子とは一定の距離を保つどころか、全く話そうともしなかった。
同じサークルであったとしても、それは変わらず、女子が話しかけてきても、うまく受け答えができないほどだった。
だから、彼女の名前も当然、憶えてはいなかった。
「いやいや、そんなことないって。同じサークルだし」
「そうかー。『田中』なんて名字ありふれているから。忘れちゃったかなって」
「そんなことないって。『田中』さんでしょ。わかるにきまってるじゃない」
「そうかー。ま、私、『田中』じゃなくて『佐々木』なんだけど。ま、どっちもありふれてるよねー」
妻は、いたずらが成功した子どもみたいな表情で、くすくすと笑った。
俺は、目をまるくして、その後はただただ、ばつが悪く「ごめん」と小さい声で言うだけだった。妻は意地悪で、いたずら好きで、どこかつかめそうでつかめない雲のよう雰囲気がして、そんなところに、俺は惹かれたのかもしれない。
「意外だったな。三寿くんが、押井守のファンだなんて」
「そう?女性の押井守ファンのほうが、珍しいんじゃない?」
映画が終わった後、いつもなら始発で電車の座席にぐったりと座りながら帰るだけなのだが、カフェに入り、朝ごはんを妻と食べた。
「何が一番好きかあてようか?……『GHOST IN THE SHELL』でしょ?」
「違うよ。まあ、それも好きだけど。……『ビューティフル・ドリーマー』かな、一番は。『パトレイバー2』もいいけど。」
「わかる!私もめっちゃ好き!どっちもDVD持ってるし。『天使のたまご』も好きだけどね」
「マニアックだな……。ていうか、寝てたじゃん!今日!」
「いや、眠くなるのもふくめていいんだって!わかってない!押井監督もそう言ってたじゃん!眠くなる映画はいい映画だって」
「そうだけど。そうはいっても、寝ないで観てほしいはずだって。監督も」
「ま、それはそうだろうけどね」
俺は、妻に出会うまで、映画について誰かと語りあうことなんて、一度もなかった。身近にいる家族、友だちとは、あまりにも「好き」だと思えるものの価値観が違いすぎて、真剣に話しても、むなしさが残ったからだ。
初めて、真剣に自分の価値観をぶつけられる相手に巡り会えたことがただただ、嬉しかった。
それから、妻とは、いろいろな映画を観に行って、その度に意見交換を何時間もし続けた。喫茶店で、ファミレスで、居酒屋で、公園で、お互いの部屋で、何時間も、何日も。
妻がいなくなってから、誰かと映画を観ることは、すっかりなくなって、映画館に行くことすら、頻度が少なくなっていた。
どうしても、映画を観た後、誰かに話をしたくてたまらなくなる。
そして、その「誰か」がもう、隣にいないことにどうしようもなく気づかされるからだろう。
それでも、本当に観たい作品は、やはり映画館に行きたくなる。
男一人で観るなら、レイトショーで充分で、観客が少ない場所を選んでチケットを買う。
今日は話題の『天気の子』を観に来た。
新海誠の新作映画と言えば、『君の名は。』以降、誰もが観たくなる大作映画の仲間入りをしてしまったが、『ほしのこえ』から追いかけている古いファンの俺からすると、ちょっと寂しいところもある。
新海作品の特徴は「つながり」と「孤独」。
つながっていたいけれど、あまりにも遠く離れているために、つながれないからこその切なさ、苦しさ、そして、孤独。
その切なさは恋人同士で観るデートムービーとはちょっと違うのではないか、というのが俺の個人的意見だ。なんて、おっさんの意見は『君の名は。』が好きな若者には、どう考えてもウザいだろうな、と苦笑するしかない。
上映時間が近づく。ライトが暗くなり、長い予告紹介も終わって、本編が始まる。
「ごめんなさい」
まさか、本編が始まった後の途中入場者。
そいつは、ポップコーンの匂いをぷんぷんさせながら、俺の前を横切り、俺の隣に座った。
……これだけ、長い間、予告が流れているんだから、その時間中にはせめて来いよ。というか、ポップコーン、俺のズボンに落ちてるし。
せっかく人が来ないような位置取りをとったにもかかわらず、この仕打ち。
俺は、顔だけでも見てやろうと、そいつのほうをにらみつける。
「……先輩?」
よく見知った顔がそこにいた。
小石川梓は、きょとんとした顔で俺を見ていた。
きっと、俺の顔もきょとんとしていたに違いない。
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