そのアカウントの向こう側

倉海葉音

そのアカウントの向こう側


【やまださくら

 昨日から我が家の猫がいなくなってしまいました。

画像の通りの黒猫ちゃん、名前はコウちゃんです。東京都八王子市です。見かけた方は教えてください! #拡散希望】



 青い眼に見つめられた俺は手を一度止める。ツイートの左下にある矢印のボタンは、指の動き二回で緑色に点灯する。小さなスマートフォンから、俺の568人のフォロワー全員にこの情報が拡散されていく。

 気の毒だな、と思ったのだ。猫は好きだし、フォロワーには関東の人間が多いから、八王子なら誰かが住んでいるかもしれない。


 高校から帰ると、シャツとパンツ一枚で自室のベッドに寝転び、スマホでツイッターを眺める。学校から帰ってきた後の俺の日課だ。

 一番パーソナルなスペースにいるはずなのに、指先の動き一つで世界中と繋がれてしまう。とんでもない矛盾だな、と時々思う。

 だけどそれは、ほとんど全てのツイートは独りの人間から始まる、ということも示唆している。独りの積み重ね。途方も無いけれど、きっと常に想像していないといけないこと。


【ゆい☆

 昨日見かけたディズニーシーでの落とし物です。青いタオルハンカチ。係員さんにお渡ししたので、持ち主さんが気付いてくれるといいなあ、、】

 リツイート。


【ゆうづきみちる

 ちょっとこの動画、見てくださいよ。あのアイドルRがこんな酒乱のビッチだったなんて…。】

 リツイートしない。


【Nishi-kaze@1stアルバム発売中!

 新曲です! 今回は同郷の歌い手Korinさんに歌ってもらいました、感謝! 夏を感じる爽やかキュートな曲なのでぜひみんな聴いてや〜〜!】

 最近追いかけている女性の歌い手さんだ。少し聴いてから、今日もリツイート。



 中学や高校の繋がり、好きなVTuberの繋がり、趣味でやっている音楽活動での繋がり。特に二つ目と三つ目のおかげで、たぶん大抵の同級生よりフォロー数もフォロワー数も多いんじゃないだろうか。

 横浜の平凡な高校生にすぎない俺が、東京の大学生、大阪のサラリーマン、時にはアメリカ滞在中のミュージシャンなんかとやり取りを行う。「ゲーム」「音楽」という共通項しかないから、年齢層も、住んでいるところも、思想だってバラバラ。

 ツイートも、リツイートで回ってくる話題も、当然色とりどり。俺も、日曜市場のように賑やかなタイムラインの中からツイートを選び、リツイートのボタンを押すことがある。

 面白そうなネタ、綺麗な写真や可愛い絵、何か困り事をしている人。


【アオヤマシュンジ

 先日、東京旅行中に人に助けてもらいました。お礼を言いたいのですが連絡先も分かりません。画像はそのときの自分と彼女の服装です。素敵な声のあの人に届け #拡散希望】

 一応、リツイート。


【山際ささら@夏コミ2日目西A-13

 #私の絵が好きそうな人に届け】

 めちゃくちゃ好みの萌え絵だからリツイート。


【AHAAHA

 東京住み、Dカップだよワラ あなたとたくさんイイコトしたいな、連絡ちょうだいねっ】

 絶対スパムだからブロック(誰だ俺のところまでリツイートした奴……)。



 神様って、こんな気持ちなのだろうか。

 そんな恐ろしい錯覚に、時々、陥ってしまう。


 尽きることなく、タイムラインを流れていく言葉や写真やコンテンツ。科学的妥当性も分からない医療情報。偏った政治思想。もしかしたら誰かのパクリかもしれない作品。その一つ一つを、止めるも広めるも自分の指一つ。


 それは愉悦ではない。こんな一介の高校生に重すぎはしないか、と怯えそうになってしまう。

 何が正しいのかも分からないし、発信者が本当は何を思っているのかも、分からない。


 母親の声がする。晩御飯の時間だ。Twitterを閉じると、LINEの通知が目につく。未読三件。念のために確認したけれど、いずれも業者の広告だった。

 一番来てほしい連絡は、今日も来ていない。


 自嘲気味に笑う。目の前の問題を解決できていないのに、何が神様気分だ。

 応答が来ない自分の発言を緑色のアイコンに閉じ込めたまま、俺はアプリを閉じてベッドから起き上がる。



***



「絶対ヤバくね?」

「絶対ヤバい」


 七月下旬、午後十二時過ぎ。特別講義という名の二年生全員参加型補習を終え、これから部活が始まる。

 草野くさのと一緒に四階の教室から見下ろすグラウンドは、夏の光を一身に集めてうんざりするくらいに眩しく輝いている。


「今日練習中止にならねえかなあ」

「ならないだろうなあ。草野くん、残念」


 同じクラスで友人の草野はサッカー部だ。彼は今からあのグラウンドに全身を焼かれに行かないといけない。今の彼の目には、トラックの白線がコンロの縁にすら見えているのではないだろうか。


「練習場所変わってください、軽音楽部の立川信哉たちかわしんや様」

「どうやって視聴覚室でサッカーするんだよ。バカ」

「でもさ、予報だと三十五度だぜ? 俺の自慢の脳みそがメルティキッスしちゃう」

「黙れ偏差値三十五」


 リアルっぽい数字出すなよさすがにもっとマシだって、と喚いている草野を横目に、俺はTwitterを開く。

 昼間のタイムラインは静かだ。大した情報もなくて、外から漏れ聞こえてくるミンミンゼミの声に意識が向く。決して鳴り止まない合唱は夏の酷暑を鮮明にしていく。そう言えば、大阪市内は暑すぎてミンミンゼミがいない、とこの前誰かがTwitterで言っていた。Twitterを長くやっていると、どうでも良いことばかり記憶に残る。


「信哉くーん」


 上げた顔の真正面に、制服を着た女の子のダンス動画が向けられる。


「……で?」

「で、じゃないだろ。かわいくね?」

「ああ、可愛いな」


 真っ白な顔に涙袋が印象的な目。白シャツから伸びる細い腕、揺れるチェックのスカートと長い脚。豊かな胸元。少なくとも俺たちのいる自称進学校では見かけないようなタイプだ。


「反応うすっ。今、このYukeeeユキーちゃんにハマってるんだよな、めっちゃいいぞ」

「そもそも、TikTokやってるような奴ってなんか苦手なんだよな」

「出たよ、お前のパリピ嫌悪」

「嫌悪ってほどじゃないけどさあ」


 もちろん可愛い女子はいっぱい観たいし年中無休で眺めていたい。だけど、TikTokで顔出ししてダンス動画を上げるような人間が、どうしてもケバく感じて好きになれない。


「まあお前は二次元があれば充分だもんな」

「語弊だって。俺は声優ファンなの」


 草野の小麦色の指が伸びてくる。勝手に動画の再生をタップされて、音楽と可愛い女性の声が流れ出る。同じように談笑していたクラスの何人かが一瞬こっちを振り返る。慌てて音量を下げ、Twitterも閉じる。


「その子で日々のナイトライフを過ごしているんだな。まっ、悲しい子」

「お前ぶちのめすぞ」


 俺が今ハマっているVTuber、羽衣音ハイネ。ほわっとしたの金髪の女の子で、ハーフという設定があり和風の服をいつも着ている。歌の活動がメインで、まだ知名度は高くないけれど、ファンである俺はその柔らかいビジュアルやムダの無い動きと共に、癖がなく優しい歌声に日々癒やされている。


「声フェチってムッツリの極地だって思うぞ俺は」

「うるせえ。お前なんかにあの繊細さを分かってもらわなくて結構」


 繊細かどうかはともかく、昔から澄んだ声の女性が好きだった。バンドをやっていても、対バン相手に透き通るような女性ボーカルがいるとハッとしてしまう。幼い頃から音楽をやっていると、濁りの無い声色に惹かれてしまうのだろうか。


 草野は立ち上がって、あーもうサボってオンナノコと海に行きてー、と欲望を丸出しにしつつ鞄を担いだ。いつもそんなことを言いながら、部活には真面目なことも知っている。後輩女子の評判がいいらしいという噂は、今のところ黙っている。


 ちらっと見たスマホのディスプレイに、LINEの通知は、やっぱり灯っていない。

 このクラスの誰も、草野でさえも、この悩みを知らない。



***



【まとめ星人Z

【悲報】TikTokで話題のYukeeeちゃん、彼氏とのイチャイチャ画像流出www】



 ミュートのボタンを押しながら、思わず溜め息がこぼれた。ベッドに寝転んで一発目に見るのがこんなツイートとは。一般人の顔出しなんてやっぱりロクなことが無いし、今頃草野の奴はどんな表情でスマホを眺めているんだろう。


 ツイートが画面から消える前に、37ものコメントがついているのを見た。怨嗟、嘲笑、画像の中で彼氏とキスをする本人には届かない、いくつものマイナスの感情がぶつけられていたことだろう。


 というか彼氏がいてキスするくらい良くないか? 高校生なら普通じゃん?


 そんな正論を書きたくなって、思いとどまった。このアカウントではネタか趣味のことくらいしか呟かない。

 何より、知りもしない女の子を援護射撃しようだなんて、傲慢甚だしい。


 スマホを持ったまま起き上がり、ギターを手にする。

 チューニングを軽く合わせて、スマホを部屋の適当な場所に立てかける。ノートパソコンで羽衣音が歌うバラード曲を再生し、ギターを弾き始める。

 

 羽衣音の優しい声と、自分の奏でるアルペジオが混ざり合う。

 昨日発表されたばかりの曲で、俺は発表された後すぐ耳コピに取り掛かった。彼女の透明感ある声を上手く活かしたロマンチックなメロディーは、合わせているだけで心を気持ちいい高揚で満たす。

 この声はいつも、色々な迷いや苛立ちから、束の間だけでも解き放ってくれる。


 ふと、気付いた。

 もしかしたら、同族嫌悪だったのだろうか。


 ダンス動画を上げるYukeeさん。ギターの演奏動画を上げる俺。承認欲求、表現への渇望、バランスは違えど、もしかしたら同じようなものなんじゃないか。

 芸能人になりたい。この道で将来お金を稼ぎたい。もしかしたら、俺なんかよりもっと強い意志や戦略があったのかもしれない。


 ただのケバいギャルだろ、と決めつけて敬遠していた自分を、少し恥じる。

 いつも自分で思ってるじゃないか。

「SNSの裏側にいる人が何を思っているかなんて、本人にしか分からない」。


 ワンコーラス撮り終えて、Twitterに上げようとスマホを手にする。

 ふと見えたLINEの未読通知は八件になっていた。慌てて開いてみると、全部草野からのもので肩を落とす。さっきのYukeeさんのニュースへの嘆きのようで、鬱陶しいけれど気持ちは少し分かる。

 慰めてやりながら、俺は思う。


 なあ、京香きょうかは、本当は何を思っているんだ?

 


***


 

 京香とは、Twitterで知り合った。鍵アカウントの彼女がフォローをしてきたのがきっかけだった。フォローもフォロワーも二十人程度だから怪しんだけれど、俺と同じくまだ駆け出しだった羽衣音のファンとのことで、相互フォローになってみた。

 彼女は普段のツイート数こそ少なかったけれど、俺のギター動画をいつも観てくれていて、よく感激のコメントもくれた。俺のファンということになるけれど、それ以外でもTwitter上で話が盛り上がることはあって、気が合うな、という感覚はお互いにあったと思う。


 川崎市に住んでいる高校三年生だという彼女は、春先に俺たちバンドのライブを見に来てくれて、その日に初めて顔を合わせた。

 美人とは言えないけれど、ぷくっとした頬とぱっちりした目に愛嬌があって、素敵な人だと思った。

 そして何より、声が好みだった。よく澄んでいて、でも芯がしっかりあって聞き取りやすい声。


 そして、その日のうちに告白され、付き合い始めた。

 会うのは初めてとは言え、Twitterでのやり取りから気が合うのは分かっていたし、何より、初めて受ける女子からの告白だ。舞い上がっても無理はない。


 向こうは受験勉強、俺は部活。それぞれが忙しい中、関係は順調だった。

 向こうも初めての交際ということだったけれど、元々趣味が同じなのは分かっているから、LINEをするだけでも楽しい。京香はシャイなのか、直接の会話では口数も少ないけれど、時々電話やデートであの素敵な声を聴くことの喜びといったら。鼓膜が揺れる度に、いくらでも幸せが脳内を満たしていく。とんでもない発見だった。


 先週末のことだった。どちらも東京で用事があるということで、品川駅の辺りで一時間だけでもお昼がてら会おうという話になった。


 いつもは待ち合わせ時間少し前に来る彼女が、その日はなかなか現れなかった。LINEの通知も灯らず、電話をかけても出ない。

 JRの駅の広い構内でうろうろして、五十分ほど過ぎた頃、ようやく息を切らせた彼女が姿を見せた。


 走り寄ってきた彼女は、いきなり抱きついてきた。


 突然のことに俺が動揺しているうちに、彼女は体を離した。ごめん行ってくる、とだけ言って彼女はまた改札の方へと駆けていった。


 体に残る、彼女の柔らかい感触。

 耳に残る、切れ切れな息の音。

 鼻に残る、彼女の体から漂っていた、男物の香水のような匂い。


 浮気、だろうか。

 いや、最初から俺は遊び相手の一人だった可能性もある。


 だって二人の出会いはインターネット。共通の友人もいなければ、名前と連絡先以外の確かな情報もない。本当の住所だって知らない。

 周りにはできれば秘密と言われていたのは、シャイだからだと思っていたけど、それも分からない。

 今日だって、俺は親戚に会うからという用事を伝えていたのに、彼女は東京に来る理由をうやむやにしてごまかしていた。


 俺の演奏のファン、距離の詰め方が分からない、演技ならいくらでもできる。

 全てが無責任な関係性。「何を思っているのか分からない者どうしの交際」。


 でもそれなら、抱きついてきたのは何だったんだ?


 悶々しながらその日を過ごし、夜になってから意を決してLINEを送ったけれど、彼女からの返事は無かった。

 それから数日経つが、未だに応答が来ない。

 Twitterでも、この数日、彼女はタイムラインに現れていない。


 あんなに、羽衣音の歌う新曲を楽しみにしていた彼女が。

 あんなに、俺のギターを楽しみにしてくれていた彼女が。



 ***



 今日も今日とて、外は熱波のオンステージだ。太陽光をフィーチャーしながら、正午過ぎのグラウンドは舌舐めずりして運動部員を待ち受けている。


「草野、そういや昨日のYukeeちゃん、残念だったな」


 だが、彼の目はスマホの画面の前で固まっていた。首を傾げていると、そのスマホを目の前に突きつけられる。ニュースサイトだ。



【東京's NEWS

【速報】本日12時頃、東京都渋谷区の雑居ビルで火災発生。火元は芸能事務所レッドスワン本社のフロア。死傷者数は現時点で不明。警察は放火と見て、現場にいた配達員の男を拘束】



「ここ、お前、確か」


 俺は頷きながら、全身がゾッと冷えていくのを感じた。

 レッドスワンは、VTuber関連で有名な事務所。そして、羽衣音の所属事務所。


 慌てて自分のTwitterを開く。いつもは閑古鳥が鳴いているこの時間のタイムラインに、今日は阿鼻叫喚が沸き起こっている。だって当たり前だ、俺のタイムラインには羽衣音のファンがたくさんいるのだから。



【ゆうづきみちる

 なんでこんなこと……。ハイネちゃんの関係者さんたち、無事かな】


【K. Takagi

 絶対に許せない、犯人の名前が分かったら……】


【zyxyzy

 当然の報いじゃね? あそこの会社、色々と悪い噂を】



 そこで慌てて画面を伏せる。


「大丈夫か?」


 俺は二度、三度頷く。何が書かれているかは分からない。でも今、こんなものを見てしまったら絶対に負の感情で満たされることだけは間違いない。


「まだ、発生したばっかりみたいだし。何がどうなってるか分からないし」

「ああ、そうだな。冷静じゃねえか」

「もし、俺が変なことしそうになったら止めてくれよ」


 草野は神妙な面持ちのまま、両腕で顔の周りにOKサインを出した。どこかアンバランスな仕草で、思わず少し笑ってしまった。



 ***



 帰宅後、ベッドに寝転びながら、無心で情報を追っていた。


 現時点で、奇跡的に死者はゼロ。だけど事務所のあるフロアはほぼ全焼し、何名かの社員や声優がケガを負ってしまったらしい。

 そして、羽衣音の中の人がどうなったのか、情報が全く入ってこない。



【まとめ星人Z

 レッドスワン放火犯のツイッター捕捉!!先月、上野うえのかりんというVTuberの声優交代からレッドスワンに憤り、配達員として潜入を図ったとのこと】


 

 タイムラインは荒んでいる。怒号、狼狽ろうばい、意気消沈。昨日までの平和な青空市場が、すっかり焼け野原と化してしまったかのようだ。



【ましまし@FPSとか

 声優が変わって悔しいのは分かるけど……本当にありえない……今ゲームする気も起きない……つらい……】


【K. Takagi

 犯人は何様だ? もし羽衣音ちゃんの声優さんに何かあったら……絶対極刑もんだろこれ。そうじゃなかったら俺が許さん】


【中村さん

 皆さん、今回の火災における義援金のサイトを見つけました。きっとこれからレッドスワンにはお金が必要になると思います。良ければ一緒に、レッドスワンのために一円でも多く支援いたしませんか?】



 リツイートのボタンを押しそうになって、思い出す。

 以前に、それこそTwitterで見かけたことがある。こういう事件が起こったときには、偽の募金サイトが乱立すると。


 義援金のツイートの、リツイートやいいねのカウントがどんどん増えている。

 何が目的なのか、何が狙いなのか、俺には判定する術もない。

 クソッ、と口元で声がはじける。



【やまださくら

 先日の黒猫ちゃんですが、Twitterのおかげで見つかりました! ツイートを拡散してくださった皆様、本当にありがとうございました!】



 安らかな表情の黒猫に見つめられる。この前の人だ。思わずリツイートのボタンを押していた。

 もっと。せめて、この殺伐としたタイムラインに、違う風を。



【東馬込駅はよ

 しんどいときにはタイムラインを閉じてもいいんです。一度外の空気を入れて、落ち着いた頃に戻ってくればいいんです。どうか皆様もご無事で】


【Nagaoka Yoshiro

 これはいい記事。品川駅で女子高生に助けられた男性が、お礼を言いたいとのこと。こういう粋な学生さんもまだいるんだね】



 リツイート、リツイート、リツイート。

 事件と関係のないことを、もっと。

 言の葉を次々に投げつけて、無闇矢鱈むやみやたらに緑色の明かりを灯していく。



 今日の神様は、ご乱心だね。ぷぷっ。



 クソッ、とまた声がこぼれる。

 悔しい。本当は一刻でも早く、何か彼女たちの役に立てることをしてあげたい。



【Korin

 最近ツイートできていませんでしたが、レッドスワンのことを知って……。一曲歌わせていただきました。ハイネちゃんファンの皆様に、何か届けば……】



 好きな歌い手さんのツイートを見かけて、思わず動画を再生していた。

 昨日、俺が上げていたのと同じバラードだ。羽衣音に寄せた、透明で張りのある声が、心を癒やしてくれる。

 

 たくさんのコメントがついている。「ありがとうございます」「少し心が軽くなりました」「一緒に羽衣音ちゃんの無事を祈りましょう」……。


 力強くリツイートを押して、俺はタイムラインを駆け巡る。



【山際ささら@夏コミ2日目西A-13

 羽衣音ちゃんのイラストを描きました。被害に遭ったみんな、無事でいて……!】


【Nishi-kaze

 過去のアレンジですが、これで皆さんの心が軽くなれば……】



 俺も、と昨日の動画を引っ張り出す。

 コメント付きのリツイートをしようと思った瞬間、嘲笑がどこかから聞こえた気がした。

 便乗商法。売名行為。

 知るもんか、知るもんか、そんなの。



【Shinya

 昨日弾いた、羽衣音ちゃんの新曲です。こんなので何の支援になるかは分からないけど、羽衣音ちゃん、絶対またあなたの声を聞かせてほしい……】



 今の俺にできることは、こんなことくらいしか無いんだから……。



 ***



 補習も今日が最終日。集中と上の空を繰り返しながら、授業は進み続ける。机の下でこっそり携帯を開こうかと何度も思ったが、それは踏み留まった。嫌なニュースを見てしまったら、ますます塞ぎ込んでしまうだけだから。


「大丈夫だったか」


 昼休みを迎えて、探るように尋ねてきた草野に、一応な、と返す。


「そうか。俺の励ましのおかげだなアハハ」

「まあ十パーセントくらいは」

「お前、そんなこと言うならYukeeちゃんの代わり紹介してもらうからな!」


 昨日、あれから草野と少し電話をしていた。男どうしで電話なんてしゃらくさいけれど、事情を知っている誰かと話すのは悪い事じゃないな、と思った。


「まだ悩める少年みたいだな」


 ふと、草野が自分のスマホを取り出して、画面を見せつけてくる。


「ほら。俺のタイムラインには、羽衣音の話は一つもない」

「……マジか」

「火事のニュースくらいかな、リツイートで回ってきたのも。結局SNSのタイムラインってさ、自分の関心あることが濃度高めになるんだよ。だから世界が全部一つ二つの話に注目してるみたいに思っちゃうけど、現実はそんなワケない。それぞれ見えている景色は全然違う」


 確かに、そうだ。

 草野のタイムラインには、いくらスクロールしても、キワドイ格好をした女性の画像しかほとんど表示されない。


「……いまいちカッコつかねえな、お前」

「うるせえ、これが俺の世界だ」


 とはいえ、少し心が軽くなった。


「だから変な義援金とかに手を出すなよ、なんか、朝のニュースでもそんな話見たぞ」


 了解、と苦笑しながらTwitterを開く。



【ましまし@FPSとか

 今日暑すぎない……? さっき熱中症で倒れてる人いたし】


【Nishi-kaze@秋M3 コ-128a

 大阪梅田で通り魔……最近多いなあこういうの。てか会社から近そうなんだけど大丈夫かな】


【羽衣音


 反射的に指が止まる。


【羽衣音<ハイネ>@VTuber

 皆さん、ご心配をおかけしました!私は無事です。ただし、今後については色々未定、、かも、、。今はとりあえず、社員さんたちや仲間みんなの無事を祈るだけです。手短ですが、ご報告まで】



 重々しく息を吐いてうなだれながら、草野にスマホを渡す。


「おお! 良かったな、とりあえず」

「うん。いや、他の被害者は大丈夫か気になるけれど」

「まあそれはそれ。お前が何かしたって、医者じゃねえんだから何も変わらねえよ」


 そりゃそうだよな、と頷く。

 アイコンの向こうにいる人々、それぞれが見ている景色は全く異なる。炎上案件にでもならない限り、俺が何をしたって、波間に小さな石ころを放り投げているだけだ。

 神様なんかじゃない。俺が広い世界に与える影響なんて、微々たるものだ。


「とりあえず、その携帯、ちゃんと充電しておけよ」


 あっと声が出た途端に、携帯のバックライトが消えて、リンゴのマークだけが浮かび上がった。昨夜、充電を忘れていた上に、朝から付けて消してと繰り返していたからだ。

 気付かないとかやっぱり相当な重症だったんだな、と草野は笑った。



 ***



 懸念事項が解決した後は、ピックもいつもより手に馴染む気がする。今日の放課後の練習は過去最高レベルに調子が良くて、お前分かりやすいな、とバンドのメンバーたちからも笑われてしまった。


 帰る頃にはもう日が暮れ始めている。セミの合唱に囲まれた帰り道、明日からは本当の本当に夏休みだな、海とか行かね? と友人が言った。俺はそこで京香のことを思い出す。連絡は、とポケットの中のスマホを触って、充電が切れているんだったと舌打ちする。

 LINEを再び送ろう、と思った。そうだ、単に何かの拍子で通知をオフにしていたとか。受験生で忙しいし見逃したとかかもしれない。まだ浮気と決まった訳じゃない。

 湘南の海とか行かない? とLINEを送れば、またいつもみたいに嬉しそうにスタンプを押してくれないだろうか。何もなかったかのように。

 そして羽衣音のことも含めて、いっぱい話せれば、と自分を鼓舞する。


 家に帰るとすぐに階段を駆け上がり、自分の部屋でプラグに携帯を繋げる。ディスプレイは茜色を反射しながら、リンゴのマークを浮かべて起動開始している。早く早く、と気が急いている。


 指紋を認証したスマホの画面の右上、LINEのアイコンに、赤い通知が灯っている。

 まさか、と思いながら、緑色のアイコンをタッチする。


 京香から、三つ、メッセージが送られてきていた。



【連絡返せてなくてごめんなさい。

 この数日、色々あって、携帯を見る余裕もなくて……。さっきやっと決心がついて、でも信哉くんは授業中か部活中かもしれないので、文章でお伝えします。


 二つほど、大事なことを言わせてください。そして、驚かないでください。


 私は、羽衣音の中の人なんだ。

 いや、中の人だった、かな。

 

 東京には、レッドスワンの事務所に行くために通っていました。

 でも数日前、羽衣音の声優から下ろすと言われて。発端は、私が受験もあるから、頻度を減らしたいと打診したこと。それを煙たく思ったのか、人気向上を狙ったのか、この前、羽衣音役を有名声優に変更する予定だと事務所から連絡が来て……。

 嫌だった。初めての大きい仕事で、羽衣音(HAINE)って名前も、京香→京→平安京→HEIANのアナグラム。私の名前から付けたんだから。

 そして何より、交替なんて信哉くんやファンのみんなを冒涜する行為だから。


 この前会った日、実はお昼から東京で話し合いだったんだ。私は絶対に羽衣音を続けたいから、きっちり話し合った上で決めてもらいたいって直談判して。

 結果は、ダメだった。だからこの数日、どん底の気持ちで、本当に何の気力も沸かなくて……。LINEも返せなくて本当にごめんなさい。


 今朝、親のところにレッドスワンの人から電話が来て、火事のニュースを知ったところ。驚いちゃった。やっぱり、逆恨みだったんだね……上野かりんちゃんのこと、私もよく聞いていたし。

 そしてやっとTwitterを見てみたら、十時過ぎに羽衣音のアカウントがツイートをしていてビックリ。

 あれは、私じゃない。きっと事務所の人。さっきログインしようとしたら、既にアカウントのパスワードも変更されちゃってた……。


 そもそも連絡とかも遅すぎるというか。

 まあ、大変だったんだろうし、優しくしてくれたスタッフさんや声優さんたちが無事だから、それは救いなんだけど……本当にあの会社は……。】


 

 アカウントの向こうの人が何者なのか、何を考えているのか、本人以外誰にも分からない。

 ずっと、俺はそう思っていたじゃないか。


 ずっと見ていた公式アカウントすら、誰がどんな思いで言葉を連ねてきたのか、判別できない。



【あと……もう一つ謝ります。

 実は、私は大阪の人間なんだ。


 川崎在住と嘘をついていたのは、信哉くんに引かれないため。

 初対面で、大阪から横浜まで来ましたなんて、絶対引かれると思ったから。

 

 色々騙してしまったけれど、信哉くんのギターが好きなのは本当だよ。

 信哉くんは、まだ無名の頃から羽衣音の曲を愛情持って演奏してくれていたから。それを見たとき、私は本当に感激したの。自分のアカウントでフォローして、お話するうちに好きになるのは、時間の問題でした。

 

 信哉くんの生演奏を横浜で見たとき、本当にカッコイイと思った。

 距離は大変だけれど、この人とお付き合いしないと後悔するって、珍しく本気で思っちゃって。人生初の、本気の恋だったから。


 普段あまり喋れないのは、関西弁を隠すためと、羽衣音だと声質でバレないようにするため。声優で演技は得意と言っても、その二つを両立するのはめっちゃ難しいんです。。


 二つとも、いつ言おうかずっと迷ってた。でも、吹っ切れた。吹っ切れたで!笑

 というかもう羽衣音やないしね……あー……苦笑


 声が好きっていつも言ってくれるんは嬉しくて、いや正直何を褒められるよりも一番嬉しくて、だからこれからは、ちゃんといっぱい話すようにする!約束通りカラオケも行こ!

 ……あと本当はもうちょいお喋りやねんな、関西人なので。引かないでね?笑


 そうそう、私は今、関東の大学を受ける予定やねん。

 半年後には、もっといっぱい会えるようになるかな。ごめんね、勝手なことばっかり言って。でも、実はそれを励みの一つにして、勉強頑張ってます。】



 受験勉強だけでなく、仕事の合間までも縫って。

 複雑な状況を考慮して、自分のことをできるだけ隠して。

 

 Twitterで繋がっていても、LINEで繋がっていても、いや実際に会ったとしても。

 俺は、何一つ彼女のことを知らなかった。



【あと、これは言い忘れなんだけど……この前の待ち合わせに遅れたのは、品川駅の構内に熱中症の男性がいて、偶然通りかかって、救護をお手伝いしていたから。

 どうしてもエネルギーが欲しくて、抱きついちゃった……。

 いや、本当に、あのときは説明できなくてごめんなさい!


 Twitterで見たかな、アオヤマシュンジって男性が女子高生に助けてもらった、ってツイート。バズってたし見たよねたぶん。あれ、私なんだ。

 大阪にいます、ってお返事をしてみたら、お礼を言いに行きますってお返事をいただけてね。これから大阪の梅田でお会いしてくる!


 その後、新幹線に乗って、そっちまで行きます。仕事じゃなくて、信哉くんに会うために。

 本物の京香としてちゃんと向き合いたくて、事前に全部説明した次第です。テロみたいでごめんね……笑】



 あの日の香水の匂い。あれは、救護のときについたもの。


 ごめんな、と俺は額を押さえていた。

 浮気を疑ってごめん。何も知らなくてごめん。

 黙っていたことなんて些細だ。だって、それはプロとして守らないといけない世界だったんだから。だって、俺と恋人になりたくてやってくれたことなんだから。


 このLINEが送られてきたのは、恐らくお昼、草野とワイワイしていたタイミング。電池が切れてなかったら見ることができたのだろう。あーっ、と喉から変な声が出た。

 

 それにしても、とスマホの時刻表示を見る。今はもう十八時台だ。大阪から横浜なら長くて三時間くらいじゃないだろうか。人と会った後とは言え、もう着いていてもおかしく



【Nishi-kaze@秋M3 コ-128a

 梅田の通り魔、五人刺したやつ、このツイートの人やったんか……!?俺もこのツイート、拡散しちゃったんやけど……えっ、マジで、えっ!?】



 えっ、という声が頭の中に鳴り響く。

 引用されていたツイートの文面を、俺は呆けた顔で読む。



【アオヤマシュンジ

 先日、東京旅行中に人に助けてもらいました。お礼を言いたいのですが連絡先も分かりません。画像はそのときの自分と彼女の服装です。素敵な声のあの人に届け #拡散希望】



 アオヤマ。

 アオヤマ。


 LINEの画面に戻る。



【Twitterで見たかな、アオヤマシュンジって男性が女子高生に助けてもらった、ってツイート。バズってたし見たよねたぶん。あれ、私なんだ。】



 再びTwitterに戻る。



【Korin

 リツイートしたこの動画の光景、わたし、見たんです。女子高生の子が足をすくませて、犯人は、振り払うみたいに周りの人や静止しようとした人を刺して……ごめんなさい、不快かもしれんけど、耐えきれなくて】



 自動再生される動画の中で、遠くからの映像の中で、人混みに顔を隠されているけれど、女の子が床に尻もちをつきながら怯えている。

 画面を切り替え、自分の過去のツイートを遡る。



[リツイート済み]

【アオヤマシュンジ

 先日、東京旅行中に人に助けてもらいました。お礼を言いたいのですが連絡先も分かりません。画像はそのときの自分と彼女の服装です。素敵な声のあの人に届け #拡散希望】


 

 素敵な声のあの人に届け。


 きっと、京香のあの魅力的な声を間近で聞いて、あらぬ想像をして。

 


[リツイート済み]

【Nagaoka Yoshiro

 これはいい記事。品川駅で女子高生に助けられた男性が、お礼を言いたいということ。こういう粋な学生さんもまだいるんだね】



 そして、俺は、それに加担してしまっていたんじゃないか?

 だって京香の鍵アカウントは、ほんの数十人しかフォローしていない。

 

 いや、思い込みだ。そんなことはない。

 だって俺はただの高校生だ。俺なんかの行為がそんなことに直結する訳がないんだ。

 それに、と必死で頭をめぐらせる。そう、襲われたのは女子高生というだけで、動画だって顔も見えていないし、京香という確証はない。そうだ。


 だけど、京香からは、連絡が来ていない。



 



 俺は荒い息のまま、LINEで電話をかける。

 耳障りなくらいポップな電子音が何コールしても、彼女は応答してくれない。


 電話を切り、時刻表アプリを立ち上げた。

 最寄り駅から乗り換え、新横浜、新大阪、大阪。今から行けばまだ今日中には着く。

 俺は机の引き出しを開き、お年玉の残りをわしづかみにした。


 階段を一段飛ばしで降りて、親の声も無視して、家の外に出る。七月下旬の外はまだ蒸し暑くて、ミンミンゼミはこの時間でもまだ鳴き止まない。

 そうだ。

 大阪にミンミンゼミがいないというリツイートをしたのは、京香だった。なんでこんなリツイートするんだろう、と思ったんだった。



 京香がどこにいるのか、無事なのかどうか、何も分からない。

 それを言えば、この一連の流れのどこまで信じて良いのかすら分からない。


 それでも、京香に会いたいと、ただそれだけを思った。

 ただ、君を疑ったことを謝りたいと、君の過ちを許してあげたいと、思った。

 君と、たくさん色んなことを話したいと、思った。


 汗が止まらない。呼吸の度に喉が痛む。

 薄暮の住宅街の向こうに、ようやく最寄り駅の明かりが見えた。

 夜の訪れに合わせ、セミの声が鳴り止んでいく。



 京香。

 なあ、京香。無事でいて。


 もう一度、俺のこの耳に、君の生の声を聴かせて。

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そのアカウントの向こう側 倉海葉音 @hano888_yaw444

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