一夜のキリトリセン

流々(るる)

アンティークショップ寺島

 もうすぐ夜が始まろうとしている。

 長く伸びた影は先回りをするように男の向かう先へとついてくる。

 背中に感じるのは沈もうとしている夕陽なのか。

 グレンチェック柄パンツのポケットを右手で探る。

 取り出した懐中時計は、まだ五時前を指していた。

 マフラーの影も揺れている。

「少し急がないと閉められてしまうかもしれませんね」

 ひとりごちると、黒い山高帽へ右手を添えて被り直した。


 首都高速の高架下はすでに薄暗い。

 流れているはずの川は暗渠あんきょとなり、まっすぐに伸びる公園へと姿を変えた。

 堤防を越えて再び通りへと戻る。

 もう影はついてこない。

 歩く人も少なく、不釣り合いに広い裏通りを先へと急ぐ。

 まだ作業をしている町工場の明かりが舗道に映る。

 金属を加工する音が遠くなっていく。

 戸建ての家々が建ち並びはじめた中にその店はあった。


 二階は住居なのだろうか。

 下町らしい雑然とした街並みにあっても違和感は無い。

 間口は狭く看板も出ていない。

 アンティークガラスを通った光が揺らいでいる。

 男は迷うことなく店の扉を開けた。

 胸の高さほどもある木彫りのガネーシャ像が出迎える。

 天井まで届こうかというトーテムポールや青磁の壺、細かな彫刻が施された紫檀したんのテーブルの上にはガレ風のライトスタンドが置かれていた。

 無造作に並べられた品々の間を通って奥へと進む。

 昔の長屋のように奥行きのある建物だった。


 入り口から五メートルほど入ったところに小さなカウンターがある。

「こんばんは、てらさん」

 男に声を掛けられ、俯いていた老人が顔を上げた。

 伸ばした白髪を後ろで束ね、紺色の作務衣さむえをまとっている。

「お元気そうですね」

 返事をせずにニッと笑う。

 右の糸切り歯が金色に光った。

「池袋にある山木産婦人科クリニックを調べて頂けますか」

 前置きはなく、茶のベルベットジャケットの内ポケットから封筒を取り出してカウンターに置いた。

「職員や患者からの評判、経営状況や金の流れ。分かることはできるだけ知りたいんです」

 黒革の手袋をしたままの左手をカウンターに乗せ、男はさらに続ける。

「どこと、何で繋がっているのかも」

 老人は黙ったまま封筒を受け取ると、カウンターの端を跳ね上げた。

 中へ入るように目顔で促す。


 男が狭いスペースへ入ると、カウンターの下にあるモニターが目に入った。

 足元には大きなサーバーもある。

 画面は十六分割されていた。

「防犯カメラですか。さすが、セキュリティには気を使ってらっしゃる」

 老人がキーボードを操作すると一つの画像が拡大された。

 通りの向こう側から、中の様子を伺う二人の男がいる。

「やはり。背中に感じていたのは彼らでしたか」

 男が入ってきたのと逆方向を、老人は親指で指し示す。

「いえ。ここで巻いてしまうと寺さんに迷惑が掛かります。彼らなら大丈夫」

 少し間をおいてそう答えると、入口の方へ歩き出した。と思うと、すぐに立ち止まって振り返る。

「寺さん、あのガレ……本物ですか?」

 老人は金歯を見せながらニッと笑った。

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