第60話「シング・ア・ソング」

 シキ=イドは驚くほど冷静になっていた。崩れた入り口は溶けた結晶が冷え固まって、強固なバリケードを形成していた。


 だが、相手は閉じ込められている。それにあの少年が生きていたとしても、ウィルスによって死に絶えているはずだ。


 シキがイドに抵抗しているのはずいぶん前から分かっていた。しかし、この結末は最初からはっきりと見えていた。


 だからこそ、シキにはある程度自由にさせて、油断を誘ったりもした。


 それに、今はもう必要ない。原始的な感情に左右される部品など、イドには不要だ。

 

 あとは時期を待って突入し、パンドラを取り戻せばよい。


 今や完全にシキの身体を支配したイドは、倒れたシエラの傍らに立つと、驚きに見開かれたその目を閉じてやった。


 いくら歪んでしまったとしても、礼儀は忘れないでいるつもりだ。


「お前も歪みの犠牲者だ。だが安心しろ。私の作る世界では、こんな歪みは存在しない。龍理ろんりなどというものがなければ、こんな歪みなど……」


 イドは吐き捨てるように言った。


あの大戦のあと、この世界は醜く歪んでしまった。自らに形を与えてくれた女神の作った世界が、汚されていく。そして女神は、自分の力を封印し、全てを放棄して眠りについた。


イドには、それが許せなかった。


だからこれを始めたのだ。たとえそのせいで、世界が壊れてしまったとしても。


その瞬間、塞がれていた通路の入り口が爆発した。青い破片が飛び散り、それがパラパラと降りかかる。


これができるのは今のところ一人しか思い浮かばない。だがそんなことが本当に可能なのか? ウィルスは万全のはずだ。ちらりとシエラを見るが、依然として倒れたまま動かない。


爆発煙の奥から、コツコツと足音が聞こえてくる。何者かがこちらに近づいてくる。あの奥にいたのは二人、出てくるのはどちらか、それとも――


「なるほど、これが奇跡というものか……」


 イドはマスク越しにその姿を睨みつけた。


 煙から出てきたのは、白と黒が混じりあった魔導衣ローブを着た、リュウトだった。その左眼は白く輝きを放ち、魔導衣ローブの裾はオーロラのようにゆらゆらと揺らめいていた。


「イド、もう終わりだ」


 リュウトは静かに言った。だがイドは、それを認めたくないように首を左右に振った。


「違う。違う……そうじゃない。私は認めないぞ。私は、この歪みを正すと決めたのだ! パンドラ様! あなたのために!」


 イドには、リュウトにパンドラの姿が重なって見えていた。見た目は変わっても、そこには確かに女神の姿があった。イドは続けた。


「あなたの作り出したこの素晴らしい世界は、歪み、汚れてしまった。だからこそ私は、この世界をあるべき姿に戻したいのです! なのにどうして、それを止めようとするのですか!」


「俺は、パンドラとは違う。彼女が何を考えているのかは分からない。でもこれだけは言える。あんたは間違ってる。あんたのしてることはただの、破壊だ」


「間違ってる? ただの破壊?」イドは肩を震わせた。


許せない。分かったような口を利く、その生意気な態度が。


「何も知らない、たんなる紛い物がァ!」


 剣を引き抜き、一気にリュウトに迫る。だがリュウトは右手を掲げると、正面に障壁を張ってそれを防いでしまった。


「それでも! 俺はあんたを止めて、シキさんを、シエラを! 救ってみせる!」


 掲げていた手を突き出してイドを吹き飛ばすと、リュウトはイドに追随するように飛んで、その拳を叩きつけた。


 長椅子を蹴散らしながら地面を転がるイドは、すぐさま受け身をとって体勢を立て直すと、リュウトに向かってビームを放った。屈んでそれを避けると、ビームは礼拝堂の天井を貫通して穴を空ける。


 気圧が急激に下がって内部の空気が吸い出されていく。一瞬、シエラが外に吸い出されないかと心配になったリュウトはシエラを見た。だが、それが隙となってしまった。


「よそ見している場合か!」


 イドはリュウトの腰に組み付くと、そのまま宇宙空間へと吸い出されていった。


 ◇◆◇


 リュウトは宇宙空間を一直線に飛びながら、腰にしがみついているイドを肘で殴りつける。しかし、一向に離れる気配はない。このまま太陽に焼かれてしまうかと思ったが、太陽エネルギー抽出機構の一部にぶつかっただけで済んだ。


 幸い今は稼働を停止しており、危険なエネルギーの乱流に飲み込まれることはない。だが背後の太陽から放たれる熱は、無視できるものではなかった。


 イドは離脱し、顔をこちらに向けた。二人の視線が交錯する。


「消えてなくなるがいい!」


そしてそのひし形の頂点が白く発光すると、ビームが放たれてリュウトが叩きつけられた機構を真っ二つにした。二つに分かれたパーツがずれて、赤熱した断面が露出し、その一瞬の後に爆発した。爆発の光で目が眩んだイドは、顔を手で覆い隠す。


 ビームが発射される直前にその場から離脱していたリュウトは、左腕から帯を伸ばすと、パーツを一つ掴んでそれを投げつけた。


 イドに直撃したパーツが、その衝撃で粉砕される。単純な質量攻撃だが、動きを止めるぐらいの効果はある。


 一瞬怯んだイドだったが、体勢を立て直すとこちらに向かってビームを放った。


 だが、意識するまでもなく、それらを避ける。


 今のリュウトには、今まで見えなかったものが見え、感じられなかったものが感じられた。


 世界は、それを構成する全ての物が奏でる歌――交響曲であり、リュウトはその全てにアクセスすることができた。


 そして〈龍理の讃美歌デジック・アンセム〉とはあの巨大なマシンでも、パンドラ自身でもなく、この世界の秩序であり、定義そのものなのだ。


 イドに向かって掲げた手のひらを握ると、周囲を漂っていた破片が一気に引き寄せられ、その身体を拘束した。それから一気に加速して、身動きの取れないイドに、強烈な蹴りを食らわせた。

 

再び吹っ飛ばされたイドは、来た道をまっすぐと戻るように礼拝堂へと飛ばされ、穴を塞いでいた龍理ろんりバブルの膜を突き破って礼拝堂に落下した。それを追うように、リュウトもそこに降り立つ。


「何故だ……どうして……」


 よろよろと立ち上がったイドは、頭を押さえながら呻いた。マスクはひび割れ、シキの顔の一部が垣間見えている。その瞳に光はなく、どこか虚ろに見えた。


 それに対して、リュウトは何も言わなかった。パンドラの歌を聴いていたからだ。


 彼女は願いを歌っていた。


希望を歌っていた。


そして未来を、歌っていた。

 

明日に繋がる希望の歌。その歌が温かいエネルギーの奔流となって、全身を駆け巡る。


「あんたには聞こえないか? この歌が。この希望が!」


 そして歌は、待っていた。形を与えられるのを。


だからリュウトは与えた。刃の形を。



 絶望を切り裂く、刃の形を!



 右手を天高く掲げ、リュウトは言い放った。


「絶望を穿て! 〈希望謳剣ホープ・ブリンガー〉!」

 全身からあふれた光がその手に収斂しゅうれんし、剣を形作る。


それは因果を超越して、不可能を可能にし、絶望を希望に変える。いわば顕現した願い。形を与えられた願いそのものだった。


「何だ! なんなんだそれは!」

「これは、俺たちの祈り、俺たちの願い……そして――」リュウトは束の間、目を閉じた。


 これで、世界は永遠に変わってしまうかもしれない。この〈讃美歌アンセム〉を解き放てば、全てが変わる。だが、世界は既に変化している。変化し続けている。


 だからリュウトは、可能性を解放した。


「――俺たちの歌だぁぁぁぁっ!」


 剣はイドの魔導衣ローブだけを真っ二つに切り裂き、中にいたシキを解き放った。そしてその光は礼拝堂を満たし――


龍理の讃美歌デジック・アンセム〉を超えて、


太陽系を飛び越え、


宇宙の全てを包み、


そのバブルの全てを、


あらゆる可能性を、飲み込んだ。


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