第53話「イン・ザ・ムーンpart2」

 そしてついに、リュウトとシエラは〈デジック·アンセム〉の中枢、礼拝堂に足を踏み入れた。


 壁は青い大理石のようなもので作られていて、まるで深海を壁の中に閉じ込めたようだった。頭上を見上げると、無数の光点とそれらを繋ぐ白い線が複雑な模様を描き、ゆっくり動いては無限に新たなパターンを作り出している。


「いいところでしょう?」


 サファイアで作られた長椅子に座っていた人影が立ち上がる。それはシキ=イドに他ならなかった。


「でも、少し遅かったね。フェーズ1はもう、スタートしてる」


 その時〈龍理の讃美歌デジック・アンセム〉を大きな揺れが襲った。


「一体、これは……」


 シキはアルカイックな笑みを浮かべたまま、何も答えなかった。

 

◇◆◇


 その頃、何とか敵の戦艦を退けた〈オルフェウス〉は、慌ただしい雰囲気に包まれていた。何しろ、すぐ傍にある月が、突然崩壊を始めたのだ。


 しかもこちらはデータ不足かつ手負いの身、場合によっては退艦を命じる他ないだろう。


 白い魔導衣ローブを纏い、ブリッジの艦長席についていたコリントが声を荒げる。


「何が起こった! 攻撃か!」

「いえ、レーダーに反応なし、それらしい熱源も確認できません!」


 シュシュエからの報告は、魔導衣ローブ越しに伝達される、この艦の観測ウィザードたちの囁きと同じだった。

 コリントの額に汗が流れる。


「機関、出力最大! 現宙域を離脱する! 避け切れない残骸は砲撃で破壊しろ!」


 艦のエンジンの唸りが高まり、小刻みな振動がブリッジをビリビリと震わせる。このままあそこに留まるのは危険だ。


 いくら〈オルフェウス〉でも、月の巨大な欠片にぶつかれば、ただでは済まない。


「ダメです! メインエンジンの出力が……!」

「少しでもいい、あの破片を避けるんだ!」

「待ってください! 巨大な熱源を検知! これは……月の内部からです!」

「なんだと……?」


 正面のモニターには、崩壊する月の様子が映し出されていた。月の細粒物レゴリスを煙幕のようにまき散らしながら、月の外殻が剥がれていく。


 そしてその外殻の奥に、それはあった。


 黒い分割された格子状の球体が、月の外殻を押しのけつつ、自らを展開する。それはまるで、ひな鳥が卵を割って生まれ出るかのようだった。


「どうします?」

「……イオに連絡は入れられるか?」

「はい」

「シエラたちには?」

「いえ、こちらからは捕捉できません。龍理ろんり介通信も使用不可。恐らく、何らかの龍理ろんりテクノロジーの影響を受けています」

「分かった。イオに繋げ」


 シュシュエは頷き、コンソールを操作した。すると、モニターの一部に、ノイズ交じりの映像が映し出された。あの月だったものから放出される龍理ろんりノイズが、映像を乱しているのだ。


「イオ、こちらからの様子、見えているな?」

『コリント艦長!? よくご無事で……あ、はい。見えています』

「どうだ? 何か分かるか?」

『これは憶測ですが、もしかしたらあれが〈龍理の讃美歌デジック・アンセム〉の本体なのかもしれません。情報が不足してるので、これ以上は何とも……』


 コリントは両手を合わせると、中指の先を眉間にあてがうような仕草をした。


「では……シエラたちは今どこに?」

『詳しいことは不明ですが、シエラ様たちとの通信が途切れる前、龍理ろんり変換ゲートを見つけたと言ってました。もしあそこに入って、今も無事なら、月内部にいる可能性が高いです』

「分かった。本艦はこれより、月の残骸を避けるため、一旦この宙域を離れる。こちらから何か分かったら、また連絡する」

『了解しました。こちらからも色々調べてみます。通信終了』


 通信ウィンドウが閉じ、コリントは大きく息を吐いて座席に寄りかかった。避け切れなかった残骸が衝突し、艦が大きく揺れる。


 その時、ワープサインを告げるアラートがブリッジ内に響き渡った。


「今度は何だ!」

「六時の方向に静的圧力を感知! 数は三、大型戦艦クラスと予想されます!」


 コリントは苦虫を噛み潰したような顔をして、ひじ掛けを叩いた。


「万事休すか……!」


 アラートが鳴り響く中、ブリッジの窓を防壁が塞いだ。続いてコリントが指令を出す。


「百八十度回頭、主砲発射準備!」

「主砲への回路開け! 奴らを月に近づけるな! シエラたちを死守するんだ!」

「後方にワープサイン検知!」

「次から次へと……!」


 煙を噴き上げる〈オルフェウス〉の前方に先ほどと同じように三隻の偽神アルコーン艦が出現し、そして後方からは〈オルフェウス〉より三回りほど大きい、巨大な双胴船がその姿を現していた。


「これは、〈ブリュンヒルデ〉!?」


 ヴァルキリー級双胴型絶対防衛艦〈ブリュンヒルデ〉が、その白妙の船体を震わせながら、次元の裂け目を通って物質界に現出する。


 それはまるで、曇天の空を裂いて現れた天使のようだった。


『遅れて申し訳ないわね。コリント艦長』

「アムリタ様……」

『私たちで守り切るのよ。あの子たちを』

「はい――今の言葉、聞いていたな! 何としてでも彼らを守るぞ!」


 了解、と返す部下たちに、コリントは安心感を憶えた。十年以上共に戦ってきた戦友たちだ。


 だから絶対に、ここで退くわけにはいかなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る