闇恋~悪魔たちの祝祭日~
オオカミ
第1話 つまらない日々
コトコトッコト。
お玉でかき混ぜていた鍋から、ゆっくりとお湯が空へ旅立つ音が聞こえてくる。
ここだ!
すかさず、枯れ果てたサヤインゲンみたいな形をした、真っ黒なバニラのさやと種を投入し、再び混ぜ合わせる。すると次第に、高級なアイスクリームを食べた時に感じたものよりもずっと濃くて深みのある、甘いバニラの香りが漂い、僕の鼻の内側に喜びを与えてくれる。
さあ、もう準備はできたぞ!
台所を出て、二人用の小さなテーブルへと向かう。その上には、所狭しと豪華な料理が並べられており、中でも、鶏肉をまるごとオーブンで焼いて作ったローストチキンは、主菜として申し分のない風格を
「マフダカタブラマフダカタブラ。妖精さん、どうぞこちらへおいでください」
し~ん。特に何も起こらない。
開けておいた窓から、ときどき、カーテンを揺らして涼しい風が入ってくるが、自然な現象の範ちゅうを出てはいないように思われる。
「ま、まあ、そう簡単に来られても困るからね! 何時間だって待ってやるさ!」
それから数時間後、やはり特に何も起こらない。せっかく用意したごちそうも意味をなさず、気付けば、陽の光が射し込む時間になってしまっていた。
「あ~あ、今回も失敗か~」
あきらめの声と共に、用意した供物を片付けに入る。最初と比べると、机上にあるお料理の量はだいぶ減っていて、その代わりに、僕のお腹はなぜかやたらと大きくなっている、という不可思議現象が起きていた。
…………あ、そうそう、紹介が遅れていたね。
みなさんこんばんは。僕の名前は黒田優美。悪魔崇拝者だ。アクマスウハイシャと言っても、絵に描いたような悪魔だけを崇めているわけではなく、吸血鬼、鬼、幽霊、カラスなど、世間で悪だと言われがちな存在、いわゆる魔物たちを包括的に崇めているのが、この僕クロダユウミなのだ。
……え? 一つ違うものが混じっているって?
実際に存在するという点以外では、案外ズレてはいないと思うんだけどね。ま、細かいことはいいのさ!
それで、僕がなんで「妖精を呼ぶ儀式」、なんてものを試みていたのかについてなんだけれど、これにはまあちょっとした経緯があるんだ。
僕は普段、サラリーマンとして平凡な日常を送っているのだけどね、これがまあつまらない!
ただ延々と似たようなことを繰り返す日々、常識を越えないゲンジツテキな物理法則、そして何より、面白みのない人々の心!
退屈な人形劇しか見せてくれない、この世界という名の劇場に、僕はほとほと呆れ果ててしまっていたんだよ。
そんな動機があって、僕は魔物の友だちを呼び出すために、色んな儀式を行ってみたのだけれども、これがまた上手くいかない。
技量と経験の不足が原因なのかなとも思って、今回は色々工夫してみたんだけどさ~。見ての通り何も起こらなかったわけなんだよ。
……あはは、本当に何やってるんだろうなー僕は。この劇場には、この世界には、もう期待しないつもりだったんだけどね…………。
おっと、お喋りが少々過ぎてしまっていたようだね。舞台の幕が下がり始めてしまっているよ。
それでは、また後で。君のために用意しておいた特等席で、是非とも楽しい時間を過ごして欲しい!
………………。
壇上を赤色の幕が覆い、また新しい場面へと時は移ろい流れてゆく。
* * *
あれからも結局、僕の退屈を吹き飛ばしてくれるような、すばらしい出来事が起こることはなく、無意味に時間を浪費するだけの日々が続いていた……のだが、今日、八月十四日、つまり今年のお盆休みの日に差し掛かった時、一通のおかしな手紙が僕の元へとやって来たのだ。
その手紙は、どうやら何らかの生き物の毛皮で作られているようで、ざらざらした慣れない感触が、僕の手に伝わってくる。手紙の外観も独特で、人の肌に似た薄い黄色の用紙が、逆さまになった、五芒星のイラストを刻印されている
「? なんだろ、これ」
疑問に思い、この奇妙な届き物をひっくり返したりしながら、じーっと、覗き込むようにして観察してみる。いくら考えてみても、こんな変わった品が送られて来る理由は出て来ない。それでも、僕の中の好奇心旺盛なかたまりは、他の理性や感情たちを押しのけて、その手紙の中身を開封する行動へと、僕の両手を進ませる。そして、封蝋をはがし中から取り出した白色の便せんには、濃い赤色で次のような文章が書かれていた。
″我らが同胞の諸君! 今宵もまた、日頃隠し続けている本能を出し、思うがままに大地を
文章から考えてみると、これは、なにかのお祭りへの招待状なのだろうが、それにしては、書かれている情報が少なすぎる。まず、住所や差出人の名前が書かれていないし、その祭りの具体的な内容が説明されておらず、肝心の開催地と開催日時も全くわからない。
「これは……あれかな? 近所に住んでいる人のいたずらかな?」
イタズラにしては手が込み過ぎている気もするが、それ以外に納得のいく説が見つからない。
…………超常現象? 今更そんなものを信じるわけがないじゃないか…………。
正直に言って、最初この手紙を見たとき、僕はとても強い期待を抱いていた。今度こそ、魔の友だちと出会えるのではないか、この手紙が、新たな世界へと僕を
だけれども、いつだって現実は残酷で、僕の呼び掛けに応えてくれたことなんて、一度もなかった。だからもう、この世界で起きる一切の出来事を、僕は信じたりしない。まどろみの中で見る幸せな夢だけが、僕にとっての居場所なのだ。
…………眠気のせいか、目の下の辺りに、ちょっぴり涙が溜まってきてしまっている。今日はもう、ベッドにタイブした方が良さそうだ。
便せんを手紙の中に戻し、たんすの二段目の引き出しにストン、と、落下させるように仕舞い込む。僕の心にこんな葛藤を与えた品とは言え、どうやら廃棄するのは惜しいみたいだ。
それから、すぐにパジャマに着替え、ふかふかのベッドに身体を委ねる。すると、不思議なことに、さっきまでの憂いはすっかり消え去り、暖かな眠気が僕の心を包んでくれた。
意識が闇にさらわれてしまう前に、一つ唱えておこう。
――――今日も、すてきな夢が見れますように。
そう、心の中でとなえてみると、僕の意識は何か大きな力に誘われるかのように、深い闇の奥へと溶け込んでしまった。
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