数量限定

紀之介

いつものヤツ

 商店街の奥、アスファルト道路が石畳に変わる先。


 私の行きつけの豚肉専門店<お別れ>は、そこにあった。


 時刻は開店時刻の5分過ぎ。


 扉を開けた店内には、まだ 他に客の姿はなかった。


 いつものカウンター席に私が座ると、マスターが注文を取りに来る。


「─ いらっしゃいませ」


「いつものヤツ お願いします」


「数量限定の、お塩で食べる 特選肉のステーキですね」


「週に1度は食べないと、何か落ち着かなくて」


「ご愛顧 有難うございます。」


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「今日も美味しかったです」


 奥の厨房から出て来たマスターに、私は声を掛けた。


「恐れ入ります」


「あの お肉って、何か不思議な味ですよね」


「─ 特別なもの ですから。」


「ちょっと癖がある味だけど、何か病み付きになっちゃって」


「気に入って頂けた様で、何よりです」


 マスターの、カウンターから お皿を下げる手が止まる。


「生理的に受け付ける方と、受け付けない方がいるのですよ。あのお肉は」


「え?」


「貴方様の お口には合いました様で、宜しゅうございました」


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「─ 培養肉をご存知ですか?」


 食後の紅茶を 私の前に置くマスター。


 いきなりの問い掛けに、私は面食らう。


「確か…幹細胞から培養して作る お肉ですよね」


「はい」


「それが 何か──」


「例えば、豚の幹細胞を使えば、豚肉が作れます」


「…」


「では 人の幹細胞を使うと、どうなると思われますか?」


 頭に浮かんだ言葉を打ち消すために、私の声は上ずる。


「ま、まだ…培養肉の技術って、そこまで進んでいませんよね?!」


「科学技術は、表に出てるものが全てでは ございません」


「な、何で 人の肉なんかを…」


「とある筋の方が、食べてみたいからと試しに作ってみたそうです」


「?!」


「食したところ、思いの外 美味だったので…同好の士に広める目的で、開発が進められ 技術を確立されたんだとか」


「。。。」


「当店は、ある伝手から それを仕入れ、お客様に提供させて頂いております」


「…許されるんですか!? そんなものを お店で出して──」


「事情を知らなければ 味が少し変わった豚肉です。貴方様も そう お思いになりましたよね?」


 マスターは、意味ありげに微笑んだ。


「実際に 食べた経験がある方以外には、あのお肉の正体など 判りようがありません」


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「か、帰ります」


 うわ言の様に呟いて、私は カウンター席から立ち上がった。


「もう…この店には 来ません」


 よろめきながら出口に向かう私の耳に、マスターの声が届く。


「あのお肉を口にした方には、食べたい欲求が押さえられなくなると側聞いたします。その節には無理せず、是非とも ご来店下さい」


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 3週間後。


 震える手で、豚肉専門店<お別れ>の扉を開けた私を、マスターは笑顔で迎えた。


「─ そろそろ お見えになる頃だと思っておりました」

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数量限定 紀之介 @otnknsk

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