自己責任

「そんじゃーなセンセー」

「はーいまた月曜日にねー。源くーん、ちゃんと家に帰ってから寝るんだよー」

「うぃーっす」


 赤鋼拝あこうおがみは手を振って、千鳥足の生徒――源光太郎みなもとこうたろうを見送った。彼は拝が顧問をしているクラブの部員であり、飲み友達の仲だった。

 現役生徒と酒を飲み交すのはどうかとも思うが、見た目はともかく中身アレだし、あいつの愚痴を聞くなら酒だろうし。 目の前で未成年の飲酒を見逃しただけでなく、一緒になって飲むなんて、とんでもない聖職者バカモノだと自分でも思う。

 だが、その豪快さ(悪く言えば適当さ)のおかげで、今まで生徒と上手くやってきたと言えるのだ。 都会ならではの耳障りな喧騒――ゲームセンターやスナックなどが立ち並び、さまざまな年代の人間が行き交う通りは、夜も遅いというのに、昼間とはまた違った明るさと猥雑な賑わいを維持している。

 そんな場所をだらだら歩きながら、拝は時計を見た。午後十一時五分。思っていたより、自分としては早いお開きだ。それに、どうも今日はあまり酔えなかった。給料日前で金がないから、摂取量が少なかったせいもあるだろうが。


「もしもしー? 聞こえてるー?」


 携帯で誰かと話しながら、少女が横を通りすぎていった。鎖骨も肩も足も露出したその少女は、ぎらぎらした染髪に派手な化粧を施していても十八歳以下ということは誤魔化しきれていない。  夜遊びするのは、世間が騒いでいるほど悪いことでもない。それが拝の見解。

 発情期なんてものは、個人差はあれど誰にでもあるものだ。ヤりたきゃヤればいい。金のために男と寝るのだって、どうせ自分の躯だ。好きに売ればいい。ただし、それで傷ついても自己責任であって、責めるべき対象などない。聖職者らしからぬ意見であるが、世間の荒波を自由に生きてのびてきた拝ならではの結果論だ。


「そこのキミ可愛いねぇ。今時間ある? おじさんとさ、カラオケ行かないかな? ね? おじさん奢るからさ」


 その少女に声をかける男がいた。如何にも援交目的のオヤジ。いやらしい視線が娘くらいの年頃の少女の肌に絡みつく。


「えーどうしようかなー」


 ちょうど通話をやめた少女は少し困ったような素振りをした。だが、しただけだ。仕草は困っているようなのに、目は嬉しそうにオヤジの相手をしていた。少女の目的は、大方金なのかもだろう。利害の一致からか、早くも金額交渉に入っているようだ。

 ……ああいう場合、どちらがカモなのだろう。くだらないことを考えた。この数時間後には、少女の幼い躰がオヤジの上に跨っていることだろう。考えるだけで吐き気がするが、それが彼女の意思なら仕方がない。あの少女を含めたここにいる若人たちは、この夜の街で身を寄せ合い、何かを得ようと必死なのだ。恐ろしく不器用で、それでも懸命に生きもがいている――それが金であり、愛であり。


兄様あにさま……あ、違った――赤鋼先生」

「ん?」


 ぼんやりと辺りを眺めていた拝は、突然名前を呼ばれて振り向いた。そこには魔麟まりん学院三級生(高等部一年生)F組出席番号壱拾番の女生徒――神風夜空かみかぜよぞらがいた。お互いの身内と一部の人間しか知らないことだが、夜空と拝は同じマンションの一室で生活している。


「……ちょ、何なの格好は」


 拝は眉をひそめ、なんとも言えない表情をした。夜空は、いつもの肌を出さないお嬢様スタイルではなかった。

 先程の少女と同じような、脚剥き出しの真っ白なミニスカート。黒地に赤の十字が入ったチューブトップ。流石に夜は冷えるので、その上にポンチョ風のサマーカーディガンを羽織っているが、正直鎖骨どころか胸元までみえそうだ。

 きゅっと締まった腰にはごついベルトがかかり、細い手首には細く長めの黒いベルトブレスレットを三重に巻きつけていた。他にもパステルカラーピンクのビーズで花を作ったブレスレットがぶら下がっている。

 しかも素顔は――なかなかオトコウケする感じの――ナチュラルメイクで仕上げて結い上げた髪でうなじは全開状態だ。今の夜空は、ここでもなかなか見かけない小奇麗なギャル姿だった。


「これのことですか? 緑さんが着せてくださいましたの」


 夜空が言う緑さんというのは黒紅緑くろべにみどり。拝が去年受け持った生徒の一人である。そういえば彼女はよく夜空を含む後輩を着せ替え人形にする趣味があった。夜空からの情報では成長した弟を着飾ることは卒業していたらしいが、学校で時たま夜空の長い髪をいじったりしているのはよく見かけていた。

 しかし、プライベートでは服まで着せかえたりしていたのか。 何故、女という生き物は自分だけでなく他人までいじくるのが好きなのだろう。ファッションに興味の薄い拝には理解しがたい世界だ。


「だからって、何でそのまま来ちゃうの」

「あら? 似合い、ません?」


 ちょんと、制服以外で着用しているのを見たこともないスカートの裾を摘む。白絹のようなすらりとした脚が、際どいところまでちらりと見えた。何となく目のやり場に困って、明後日の方に目を逸らす。


「い、いや似合わないとかそーゆー問題じゃなくて」


 むしろ似合う、なんて、言えない拝である。


「……先生に見てもらいたかったものですから」

「は?」

「そう言った方がよろしくて?」

「全然よくないから。それと」


 拝は声のトーンを少しだけ落とす。


「今は先生じゃなくて【兄様】にしときなさい。なんか、怪しい関係と誤解されそうだから」

「了解致しました。……まあ、一緒にいるだけで充分アヤシイ関係に見られなくもありませんけれど」


 最後に余計な一言を付け加えながら、夜空は素直に頷いた。 どうせ家では兄様と呼ばせている。別にそうさせたわけでもなく、いつの間にかそうなっていたのだ。

 拝自身も家でまで【先生】なんて呼ばれたくはないので、すんなりと受け入れた。叔父さんは、何となく精神的にきついのもあるからだ。たまに、学校でもうっかり呼ばれて焦る時もあるが。ともかく、そういうこともあって、拝は夜空に名前で呼ばれても気にならないのだ。


「つーか何でここにいんのよ? 今日は俺遅くなるから誰かの家にでも泊まっとけって朝言っといたよね?」

「はい、その予定でしたが事情が変わりましたの。縁さんが急なバイトで出ていってしまいまして。緑青君と二人きりは身の危険感じましたので帰ることにしましたのよ」

「いや絶対ないって安心な意味で朴念仁なのに。で? その黒紅の弟君はどうしたわけ? 送ってくんなかったの?」


 真面目を具現化したような夜空の腐れ縁、黒紅緑青ろくしょうは、仮にも婦女子を一人で出歩かせるような、そんな無責任なことをするような質には見えないが。


「ああ、緑青君なら緑さんの手料理に昇天されましたわ。あの状態では日が出るまで起きないでしょうね。ひょっとしたら今頃は河で死んだ曾祖母に再会しておられるのかも?」

「ちょ、怖いこと言わないでよ。全然イイハナシになってないじゃん。てかその手に持ってるのって……」

「これですの?」


 夜空は指摘された手に下げた小さな袋を掲げる。


「先輩から兄様にって。手作り弁当だそうで」

「……(ちょっと待て)」


 見なかったことにしよう。大人だって人間だもの、現実逃避したっていいじゃない。拝は話題転換のためにこほんと咳払いした。


「……ねえ、夜空ちゃん」

「はい」

「こんな時間に、こんなところで、そんな格好して一人で出歩いて、危ないとか思わなかったの」

「何が危ないんですの?」


 上目使いで、くいと首を傾げる。夜空とてそう低くない身長だが、拝も相当デカイ男なので必然的に見上げる格好になるのだ。それは蛇足として、彼女の態度に、先程の少女のように計算も策謀もない。だからこそ、危うい。


「……そんな、チーズとハムをパンに乗せてさあ後はチンしてくださいと言わんばかりの格好でウロついて、変なオッサンやらオニイサンやらに絡まれたりーとか考えなかったの?」

「愚問ですわね。兄様に会うまで既に十人斬り達成してますから。ほほほほ、さすが私でしょう」

「オイ」

「安心なさい。全てお断りしましてよ。こちらの完全勝利ですわ」

「当たり前でしょーが。何かヘンなことされなかったからよかったものの」

「何を仰って兄様、私は悲劇のヒロインなぞ柄ではありませんわ。誰に鍛えて頂いたと思っていて?」

「……夜空。強い弱いの問題じゃないんだよ」

「兄様こそ何を仰っているの? 兄様が自分で責任をとれる範囲なら好きなようにしていいと、昔から私に教えていたじゃありませんか。あれは嘘だったとでも?」

「それは……」

「そうでしょう? 文句を言われる理由が御座いませんわ」


 拝の持論からすれば正当な夜空の言葉に、打ちのめされた。そうなのだ。己には、彼女を叱る権利はない。全ては、夜空の意思の自由なのだから。だが、どこか納得がいかない。モヤモヤと胸の辺りに沸き上がる不快感。……飲みすぎたか? そんなに飲んではいないはずなのだが。


「――ちょ、ちょっと、待ってよ!」

「あァん? しつけーぞ、クソオヤジ!」


 どこかからもめているような声がした。この界隈ではトラブルなど珍しくないが、その声に拝は聞き覚えがあった。見ると、先程オヤジとテイクアウトされたはずの少女だ。だが、今ではオヤジが少女の腕を掴んで、必死になってひきとめている。なんともまあ情けない姿であることか!


「カラオケだけっつっただろうが!」

「そんなこと言わないでよぉ。あ、お金? お金が欲しいんだよね? もっと出すから! ほら、ほら」

「ふっ……ざけんじゃねェ!」


 少女がオヤジの腕を振り払う。目の前の少女を繋ぎ止めようとちらつかせていたオヤジの金が、宙に舞う。


「あたしはなぁ、はした金で買えるようなやっすいオンナじゃねぇんだよ!」


 ぴっと、派手な指輪を嵌めた中指を下品におっ立てて少女は言い切った。後はあわてて路上に散らばった金をかきあつめるオヤジに、ふんと鼻を鳴らすだけ。それで、本当に終わりだった。カツカツと、少女のパンプスが音を立てる。拝の横を通り過ぎていく少女は颯爽と、胸を張っていた。振り返るなどしなかった。


「ほうら、兄様」


 隣の少女は笑う。


「女は、強いイキモノなのですから」


 強い。確かに、強い。ある意味、いや、サマザマな意味合いで。娯楽カラオケには付き合っても、躯までは売らないという強い意志。あの少女は、【自分】というものを棄てていないのだ。その辺の大人なんかより、よっぽど太いこころを持っている。きっと近い将来、いい女になることだろう。


「ね、ねぇキミは……?」


 金をかきあつめ終えたオヤジが夜空を視界に入れ、フラフラとよってきた。結局誰でもいいのだろう。芯もクソもない大人の、いい例だ。拝がそんなオヤジを止めようとしたのを、夜空の手がそっと制した。


「残念ですけれど、私もお断りしますわ」

「お、お金なら……」

「お金の問題じゃありません。気持ちの問題ですのよ、おじさま」


 癖毛の姪っ子は、おおよそ十代そこそこの少女とは思えない、艶やかさを眼の端に滲ませて、笑う笑う。


「次からは金銭に頼らず真正面から口説くことですわ。そうしたら、お食事くらいは考慮してさしあげます」


 そんな夜空の返答に拝は苦笑しながら、彼女の手から袋を受け取った。


「ま、これでも食べて元気出しなよ」


 茫然としていたオヤジに紙袋を押し付け、ぽんと肩を叩く。オヤジはそれ以上何も言ってこなかった。この後も、このオヤジは懲りずに少女たちを買おうとするかもしれない。そのうちに少女を一人か二人捕まえるかもしれない。だが、拝には知ったことでもない。――それが本人同士の、意志ならば。

 ただ、拝自身としてはもう一つ。さりげなーく問題のブツ(元担当生徒のお手製弁当)を押し付けることに成功したことに、小さく心の中でガッツポーズしながら。そして、三十路過ぎの教師と即席コギャルはその場を去った。


「これで十一人斬りですわ!」

「胸を張って言うこと? ま、おめでとーさん」


 夜空と並んで歩きながら、家路につく。この辺りは学校の生徒に見られる心配の起きる道ではないので、拝もようやく安心できた。そして、何とか姪っ子の露出度の高い格好にも慣れ、目のやり場に困ることもなくなったところだ。美は三日で飽きるのは本当のようだ。


「なーんか、案外平和的解決だったねぇ。君のことだから文字通り蹴っ飛ばすとかするのかと思った」

「心外ですわ。人を暴力にしか頼れない人間のように言わないで下さいな。それにそんな真似したら下着が見えてしまうじゃありませんか」

「あーそーですか。どーせ流行のわざわざ見せるパンツとか履いてんでしょ? わかってんのよオガミ先生は」

「はい? いいえ、履いておりませんが」

「へ?」

「緑さんからのアドバイスですわ、勝負パンツを履くなら上から何も履かない方がいいんだそうで」

「勝負パンツね。ふーん……」

「何色か気になりまして?」

「何言ってんだか」


 鼻で笑う。少しだけいつものペースになってきた。


「なーんか小腹空いちゃったな。ラーメンでも食べて行く?」

「あらまあ今日は珍しくこれで締めですのね。奢って下さるのなら私がご相伴しましてよ」

「ラーメン単品ならな」

「トッピングは?」

「一個ならね」


 喜びを表すかのように、夜空が腕にしがみついてきた。下着に近い薄い布越しの、柔らかな躰に視線が泳ぐ。オイオイこれは流石にまずいだろ。思ったが夜空には言わなかった。夜空の意思なら仕方ない。したいように、すればいい。拝自身も、夜空にされて悪い気はしないのだから。


「ま、パンツは見せませんけど」

「別に見たくないし」


 そう、これでお互い、自己責任だ。

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