記憶泥棒

桜餅こし餡

第1話

「__盗まれた。」


これは無くしたなんてことは有り得ない。

何故ならこれを無くすなんてことはだからだ。

僕はこれまで幽霊や宇宙人、未確認生物だって一度も信じたことが無い。

ほんの最近まではこんな噂を鼻で笑っていたような人間だ。

だがしかし今は目の前の事実を信じる他ないと言うのだろうか。


「__。」


声に出してもそれが何だったのかは今となっては確認の仕様がない。

ただその声が虚しく僕だけしか居ない部屋の壁に吸い込まれていくだけだった。


****



「ねえ、記憶泥棒って知ってる?」


僕がその噂を耳にしたのは事態の起こる僅か一日前だった。

僕が去年から続けている柄でもない読書を教室の片隅でしていたそんなある日の事である。


「記憶泥棒? 何それ?」

「うん、なんか私の友達の友達から聞いたんだけどね。なんでもその人の記憶を盗む泥棒なんだって。でもただの記憶じゃなくて、その人にとっての一番大切な記憶を盗むんだってさ。」

「えーなにそれー? 意味わかんなーい。」

「ホントだよー? だって私の友達の友達の先輩がこの前、その記憶泥棒に大事な記憶を盗まれたっていってたんだよ。」


友達の友達の更にその先輩ってもはや赤の他人なんじゃないかという疑問を持った僕だったけれど、何故かその時はその記憶泥棒という初めて聞いたはずのワードに妙に惹き付けられた。


しかし、そんな下らない噂話などにうつつを抜かしている場合などでは無いことは僕が一番知っていた。

何故なら僕は今日こそ憧れの朝比奈由美さんに話しかけてみようと決意したのであるからだ。


朝比奈由美。あさひなゆみ

クラスメイトであり、マドンナ的存在。

その端麗な容姿はさる事ながら、成績は殆どトップクラスでバスケ部に所属のエースでもあり、学校中の男子の憧れの的であるのだ。

勿論その男子のうちに僕も含まれる。

そして何よりもあの笑顔。

僕は彼女の笑顔を初めて見た瞬間から僕の心は彼女に惹かれ続けているのだ

そして読書をしている振りをして、彼女の横顔を眺める日々も今日でおさらばしようじゃないか。

彼女が今日も数人の男子と談笑していたが、その男子達が離れていったまさに絶好のタイミング。

僕は決意を胸に席を立つ。

よし、落ち着け神澤明。

家で何度もシュミレーションした筈だろう。

あくまでさりげなく、まずは今日の天気でも話題に出して会話し、仲良くなるんだ。

高鳴る鼓動を抑えつつ、僕は彼女の席へと向かった。

さあ、後は彼女に声を掛けるだけだぞ。


「ぁ…あのぅ…」


僕のコミュ障丸出しな声に、彼女は明るい笑顔で反応してくれた。

よ、よし……第一段階はクリアだ。

さあ、次の段階は話題の提示を……。


「……」


しまった、緊張のあまり話題を完全に忘れてしまった。

どうしよう、緊張の前にこうも人間は無力なのか。

朝比奈さんの無言の笑顔がやけに心に刺さる。

えーと、えーと話題を……そうだ!


「あのさ!」

「え?」


突然の大声に彼女は驚いたような顔つきになる。


「あのー。そうだ、記憶泥棒ってさ知ってる?」

「え?」


いや! 何を言っているんだ僕は。

なんでよりにもよってそんな意味わかんない話が話題なんだよ。


「ああ、なんか凄い噂になってるよね。その記憶泥棒ってやつ知ってるよ。記憶を盗めるんでしょ。」


当然、噂になっているくらいだから記憶泥棒の事は朝比奈さんも知っていたようだった。


「でも、もし本当に記憶なんか盗めるんなら私の記憶も盗んで欲しいな…。」

「え?」

「あ、いや! ごめん変な事言って。忘れて。あ、じゃあまた後でね。」


そう言って彼女は去っていった。

いや、さっきまた後でって言ったよな?

後でってことはまた話そうってことでいいんだよな。


「よっしゃぁぁ!」


僕は嬉しくなってガッツポーズをした。


「…ねえ、なんか神澤くんが変な事やってる。」

「うわっホントだ。やっぱ普段から何考えてるかマジでわかんない奴だけどホントにヤバいやつなんじゃね?」


同時に黒歴史かもしれなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る