第34話 雨雲

 警報音けいほうおんり、赤い警告灯けいこくとうがまわりだしました。銀行屋ぎんこうやはあわてず、モニターを横目よこめで見ました。

 バイクです。バイクを所有しょゆうしているのは、チェロキーとダイだけですが、スラリとした見た目で、ダイとわかりました。ここらで休憩きゅうけいかねがね、彼はこしを上げました。

 ダイを玄関げんかんに出むかえ、コーヒーかんをわたし、じぶんのせんを開けました。

準備じゅんびできたってよ」

 ダイはけとってすぐ、コーヒーをあおりました。

「なんだ、やけに早いな」

「そりゃ、ママのキモイリだから(笑い)」

 またゴクっとやって、

みせの水と食糧しょくりょうはこんだだけだし。後はこまごま、ママの私物しぶつとか。いらねーって、言ってるのに、やたらとなんでも、もちこみたがる」

「じゃあ、おれはもう、なにもしなくていいんだな」

「いいよ来なくて。ママがおこるよ――ていうか、オレがおこられるよ(笑)」

 Umiha、レイヨーのまばゆい白いタンクに、おじさんは目を細めました。娯楽ごらくの少ないこの地で、ダイとチェロキーの二人に先をこされてか、ほんとうはうらやましかったのに、なんとなく、オフしゃには手が出ませんでした。

 あえて、オモチャに手を出さない大人な自分と、ものごとにいて、おっくうになったオッサンの自分。ぶしょうヒゲを生やしているけど、まだ30代の、つるっとした赤ちゃんはだなのが、ちょっとコンプレックス。そんな微妙びみょう狭間はざまでゆれる、むずかしいお年ごろでした。

「こっちは見に来なくていいから、先にあの子をつれてきなってさ」

「わかった、わかった。おまえも、もういいから」

 しっしっ、とやりました。

 ダイは一気にみほし、かんをおじさんの胸元むなもとに、つきつけました。

「マックスじゃなく、ノンシュガーか微糖びとうにしときな、オッサン(笑)」 

「おまえもすぐ、そうなる(笑)」

 かんをうけとり、

「トランシーバーのスイッチは入れとけよ」

 と、不測ふそく事態じたいにそなえました。どんなささいな不安要素ふあんようそも、ないがしろにできない性分しょうぶんでした。


 おじさんは銀行ぎんこうに入り、そこらを見てまわりましたが、ソルはいませんでした。

「ふ~ん」

 つまらなそうにつぶやいてから、地下ちかにおりていきました。

「ガキ」

 ぼそっと言うやいなや、特殊とくしゅカンオンの反応はんのうがでました。想定内そうていない事態じたい。ゆっくりと、電子でんしタバコを手にとりました。

 ふつうのカンオンより、二回りほど大きい特殊とくしゅカンオンは、登録とうろくしてある認証にんしょうコードである、ソルのバイタルサイン傾向けいこうから、彼を瞬時しゅんじにキャッチしました。屋上おくじょうには、プライベート衛星えいせいとつながった、多目的たもくてきアンテナが設置せっちされていました。衛星えいせい軍事政権下ぐんじせいけんか発展途上国こうしんこくで、集団しゅうだんうち上げ委託いたくにより、格安かくやすにおこなわれたものでした。

 おじさんはあたまの中で、場所ばしょ把握はあくしようとしています。小山の中腹ちゅうふくの手前あたりに、みどり表示ひょうじがありました。マップからライブカメラに切りかわり、段階的だんかいてきにズームアップしていきます。うごくものが見えてきました。

「どこにいるんだ、アイツは」

 みなれない風景ふうけいに、失笑しっしょうします。

「おいおい、どこまで行く気だよ」

 こんな山の中は、彼だって、まだいったことがありません。

 おじさんは時代じだいおくれの、かさばるタッチパッドをもって、地下ちかをでました。完全かんぜん規格外きかくがいになったそれは、特殊とくしゅカンオンとだけつながり、万が一にも、外部がいぶとつながるおそれのないハードでした。

 外に出ると、鉛色なまりいろくもが、西の空にかかっていました。

 ちょっとドアノブに手をかけ、立ち止まっていました。カサなら荷台にだいにあるし、予備よびのバッテリーも、ダッシュボードに入っていました。たいがいのものはくるまに入れっぱなしで、定期的ていきてきなチェックもかしませんでした。

 引きかえす用事ようじもないので、ドアを開けました。



 シンプルなマップ画面上がめんじょうで、みどり光点こうてんが、じょじょに山のおくへ、表記ひょうきのとぼしい上方へむかっていました。

「ウソだろ……。なに、やってんだアイツ」

 ケモノ道のような隘路あいろに入られたら、やっかいです。心もち、アクセルをふみこみました。

 トランシーバーに手をのばし、ナカマに応援要請おうえんようせいをかけました。早め早めが、彼の信条しんじょうです。ダイにトランシーバーの火を入れておくよう言ったのは、正解せいかいでした。じぶんの判断はんだんの正しさに、小さくガッツポーズをとりました。

「な、こういうことがあるんだよ」

 ほくそみました。


 使命ミッションをおえたソルは、頂上ちょうじょうへむかって、歩いていました。本気ほんきで、この山を征服せいふくする気などありませんが、なぜか素直すなおに下りず、反対方向はんたいほうこうへと、しぜんと足がむくのでした。彼は、ドロとあせにまみれていました。

 やぶと化した、神社じんじゃがありました。拝殿はいでんは見えませんが、ヤブカラシや笹竹ささたけがおいしげり、小ぶりなオレンジ色の朝顔あさがおが、線香花火せんこうはなびみたいに、ぽつぽつ、そこらに散見さんけんしていました。

 大きなはしらの、黒ずんだ鳥居とりいがありました。もとから赤くないそれが、草をまたいで立っています。そのはしらの横手から、草をかき分け入りました。

 あついいたみを感じ、すねを見ました。赤くれていましたが、ギリギリ、は出でていません。一歩一歩いっぽいっぽ、ヒザを高く上げ、しんちょうにすすんでいきます。



「チッ」

 おじさんはニガニガしく、舌打したうちしました。

 ゆきどまり、土砂崩どしゃくずれです。外に出ると、水滴すいてきのツブが、ほほつめたくふれました。

「チッ」

 でも、だいじょうぶ。これも想定内そうていないです。チェロキーのジープはムリでも、オフロードバイクのダイが、かけつけて来ていました。せまいしまです。さっき連絡れんらくしてからの時間を考慮こうりょすると、おいつくのに、早ければ十分もかからないでしょう。ますます、おじさんは「我が意を得たり」と、ニンマリしました。

 彼はチェロキーもさることながら、ママもダイも、ばあいによってはソルさえ、その内情ないじょうについて、おりこみみでした。熱源ねつげん電波でんぱ発信源はっしんげんなどを感知かんちできる、べんりなモノくらい、彼らが持っていて、とうぜんと思っていました。もっとも、それをいったら、おたがいさまですが。そしてそれは、あたらずとも、とおからず、といったところでした。

「あせることはないさ、ここには、時間じかんくさるほどあるんだ」

 今のところ、すべては順調じゅんちょうでした。

 雨足あまあしが少し強まってきました。フロントガラスに、細かな水滴すいてきが目立ちはじめました。ワイパーのスイッチを入れると、キュッ、キュキュキュ―と、なきごえをあげ、うす茶色ちゃいろのシマをつくりました。ウォッシャーえきをかけていると、パタンとエンストしました。

「またか」

 また、チェロキーに、たのまなくちゃなと、ウンザリしました。

 どういうわけか、アイドリングストップ機能きのうがしばらくたつと、復活ふっかつしてしまいました。そのたびガードを外さないと、バッテリーがすぐに、いかれてしまうのでした。――このしまでは電力でんりょくには、こときませんでしたが(そのインフラも、年々こわれて来ていますが)、すべてが電気中心でんきちゅうしんなので、バッテリーの寿命じゅみょうおかより短いのでした。島内とうないではいらないくるま機能きのうは、すべてカットされていました。みみ不自由ふじゆうな人のための擬似ぎじエンジン音や、アイドリングストップ機能きのうなどがそれです。

 じつは、おじさんは銀行ぎんこうを出るときから、いえ、もっとその前から、いつになく興奮こうふんしている、じぶんに気づいていました。想定内そうていないのイレギュラーをむしろよろこび、土砂崩どしゃくずれで水をさされるまでは、ひさしぶりのワクワクが止まりませんでした。

「まるでハンターのきぶんだ」

人間にんげん動物どうぶつ安全あんぜんいのちのやりとり、人間様にんげんさまのワンサイドゲームだ(笑)」

「おまえがどこにげようが、野生やせいの感だけで、おれからげきれるかな?」

 スコープの照準しょうじゅんをあわすよう、かた目をつむりました。

 狩猟ハンティング。むかしから、なにかと物入ものいりで、高貴ハイソ貴族かねもちのあそび。

 これこそ今のじぶんに、もっとも相応ふさわしいのでは?

 こんなに刺激的しげきてきなら、ライフルの趣味しゅみもわるくないな。

 ここならメンドクサイ免許めんきょもいらないし。

 もぐりで買えねえかな?

 こんどヤツらに相談そうだんでもしてみようかしらん? 

 ダイがくるまでの一時を、どうせやらないことをっているクセに、ゆかいな空想くうそうにふけっていました。彼はいきがかり上(ヒステリックな教育ママ)、それを少年時代しょうねんじだいにおいて来たのではなく、もともと生まれつき、じぶんが行動こうどうの人でないことに気づくほど、まだ大人ではありませんでした。

 彼は子度藻のころにアーカイブで見た、SFアニメを思い出していました。機関車きかんしゃ宇宙うちゅうたびする、少年の物語ものがたり。もはやじぶんが、そのチビすけの主人公ヒーローではなく、人間狩にんげんがりをする機械伯爵きかいはくしゃくの方の立場たちばなのだと、苦笑くしょうしました。彼は大人になった視点してんから、小さいじぶんをいとおしみましたが、それを唾棄だきする少年の方は、たしかにおいてきたのかもしれません。

 警報アラームがなりました。

 しかし、まだ動揺どうようはしません。そのための具体的ぐたいてき要件ようけんを、彼は思いつけなかったからです。これまでだってそうだったし、今現在いまげんざいもそうでした。つねに早めに不安ふあんをつみとり、心配事しんぱいごとのタネを、ぬぐい去ってきました。だから、この異音いおんが、彼の平穏へいおん未来みらいをうばう、らせなワケがないのです。こんなところにいながら、彼は本気でそう思っていました。

「うるさいな」

 少しイラッとしてきました。しかしアラームは、破滅的はめつてきな音をかなでるのを、やめようとしません。彼の手と、彼のイマジネーションの外で、すでにきてしまっている事態じたい。これこそ、ほんとうに彼が「おそれるべき」ものでした。人はとおくのものにさわれないし、時間をさかのぼることなんて、なおさら、できやしないからです。

「るっせーな。なんなんだよ」

 イライラで恐怖心きょうふしんをおさえようとしますが、ベタに助手席じょしゅせきのタッチパッドをつかみそこね、マットに落としました。

「クソ! なんも、あるわけないだろ」

 怒鳴どなって警告けいこくメッセージの詳細しょうさいを、おそるおそるタップしました。ロードされるまでの間、もどかしく画面がめんをまちます。

 デジタル数字すうじがあらわれました。すでに、カウントダウンがはじまっていました。特殊とくしゅカンオン再起動さいきどうのための、シャットダウンへむかって。

「――ちょっ」

 かずが、どんどんっていきます。

「なんだよ!」

 手がだせません。

「07びょう

 二ケタを切っています。時間がありません。

「03びょう

 なにをやっても、もう、あとのまつりりでした。

「00びょう

 まっかな画面がめんがブラックアウトしました。



 青いゆらぎのパターンが、おぼろにかんできました。

 くりかえし、くりかえし、よせてはかえしていきます。

 ゆるやかな、無音むおんのさざなみ。

 海上で白く泡立あわだち、海中で青とたわむれる気泡きほうのツブたち。

 それも、しずかにフェードアウトしていきます。

 のこったのは、黒の単色たんしょくのみ。


 おじさんは、ひっきりなしにメガネをふいていました。とにかく、おうえんがくるのを、まっていました。だれがてきで、だれが味方みかたかも、よくわらないのに。それさえ来ればなんとかなる、とでもいうように。なんどもメガネを手にとり、いのるようにふいていました。ただ、まちつづけていました。

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