第24話 虹

 カミナリの一閃いっせんに、かいま見たホルスのかお。それは、つぎにはもう、ニコライにもどっていました。

 間歇的かんけつてき不規則ふきそくに、またた雷光らいこう髪毛かんぱついれず、心臓しんぞうってつらぬく雷鳴らいめい。一回一回の稲光イナビカリに、大死一番たいしいちばん覚悟かくごをしいられ、そのたびはぐらかされる、HDHリボルバー(多装弾)のロシアンルーレット。そりかえった傾斜バンク絶壁ぜっぺきとなり、奈落ならくにむかうは、じょじょにちぢまってゆく。かしいだふね螺旋らせんかべにへばりつき、重力じゅうりょくさだめた軌条レール着実ちゃくじつに下っていきます。死はおかまいなしに、ソルとたわむれていました。

 彼はゆかスレスレのカンオンを、ひろい上げました。エネルギーの警告けいこくランプか、赤が色落ちしたような、うすピンクのころもをまとっています。たなごころでかすかに細動さいどうし、か細い光線こうせんと、消え入るような警告音サイレンはっしていました。いったんポケットにしまうも、間髪入かんぱついれず、カンオンをまどになげつけました。

「ピシッ」

 と、走る白いせん

 なにがおきたか、なにをやったか、じぶんが理解りかいできません。直後ちょくご、来るおしさに、彼はハチ切れそうになります。

「ク――」

 クソ! といいかけ、口をつぐました。今みんなをこしても、なにもいいことは、ありませんから。

 ソルは絶望感ぜつぼうかんに、さいなまれています。ヤケになってしたことですが、みずからの行為こういと、その結果けっかを引きけかねていました。あわよくば、このまま海底かいていに引きずりこまれても、ふねさえもてばと期待きたいしていたのに。これでは絶対ぜったいに、たすかりっこありません。

 もう、ムリだろコレ……。

 力なくかべによりかかり、彼はすわりこみました。とりとめもなく、あたりを見やります。かべ天井てんじょうはしら内装ないそう細部さいぶへと、じゅんぐりに目をうつしてゆきました。すやすやている三人のかおが、うらめしく見えました。

 なんでオレだけ、おきてんの? 

 理不尽りふじんに感じました。かといって、しらぬ間に奈落ならくみこまれるのも、それはそれでイヤでした。彼はバンジージャンプするくらいなら、スカカイダイビングの方がぜんぜんマシでした。イヤむしろ、やりたいくらい。彼がなによりこわいのは、四肢ししをもがれたような、選択肢せんたくしのない無抵抗むていこうでした。

 今チラッと、おかしな考えがよぎりました。バカバカしいので、すぐにあたまから、かき消しました。そんなことより、まず優先ゆうせんしなければならないのは、具体的ぐたいてきなことがらです。まどに入ったヒビ、これが問題もんだいでした。でもよく考えたら、わたしたちの常識じょうしきからしても、ちょっとヘンかもしれません。ソルのいるクラランのようなところでは、なおさらヘンでした。

 このふねは、河川運行用かせんうんこうようのヨットがた浚渫船しゅんせつせんです。このような小さなふねには、たいてい金属きんぞく舷窓蓋げんそうぶたはついていません。しかしふねであるいじょう、万が一の沈没ちんぼつにそなえ、一定いってい水圧すいあつえられねばなりません。そのため小型河川用こがたかせんようといえど、まどには、強化アクリル樹脂じゅし使つかわれているはずでした。でしたが、それにヒビが入ったのです。それも、たかが子の力で!

 これは普通ふつうではありません。クララン市民たるものの、常識くうきはんしています。安全面あんぜんめんかかわるパーツで、これほどもろいのは、ダメージをやわらげるためか、はなからそういう作りになっているのが仕様デフォルトでした。しかし人命じんめいにない、緩衝材かんしょうざいとしての役目やくめもないものが、こうもあっさりこわれるなんて。たとえこのふね未就航みしゅうこう(?)で、環境記念物エコモニュメントとしての、ただのおかざりだったとしても、やっぱりおかしいのでした。

 この、やっすい作りは、これだけ例外れいがいか? このかた仕様しようか? 東亜とうあ輸入品ゆにゅうひんか? それとも今の、あらゆる世相せそう反映うつした、デフレの優等生ゆうとうせいなのでしょうか? もしこれが事実ホントウなら、なんてキッチュ(意図しない悪趣味)な現実げんじつなのでしょう。

 なにせこのふねこそ、クララン社会しゃかいのメンドウくささ、そのもの、その結晶けっしょうともいえる存在そんざいだからです。道義的どうぎてきでしかないがゆえに、もっともそうであらねばならない、そのさいたるものが、まさか手ぬきとは?

 衝撃的しょうげきてき結末けつまつでした。ソルはこれまで、数々のソフト面での「いいかげんさ」に便乗びんじょうしてきました。子として、なんのかんのと社会しゃかい信頼しんらいし、あまえてきました。ですがここへ来て、とたんにいかりがこみ上げました。

「なんだよ!」

 つごうのよいいかりかもしれませんが、じぶんのいのちが、かかっています。

「ピシャ!」

 カミナリが海に落ちました。

 ヌルっと、ゆかがすべって、ガクッとかたがぬけました。傾斜けいしゃをつたって、表面張力ひょうめんちょうりょくでもり上がった水が、ながれて来ます。反射的はんしゃてきにニコライを見ると、彼が水源すいげんではありませんでした。

 もう水が入ってきてる……。ソルは慄然りつぜんとしました。

「ピシャ! ゴゴゴゴゴゴゴ……」

 また落ちました。

「ピシャ! ゴゴゴゴゴゴゴ……」

 耳をくような音ではありませんが、強烈きょうれつです。

 なんだか、カミナリの落ちる間隔かんかくが、開いてきているような気がしました。なんとなく、光と音の間隔かんかくも、少し開いてきたような感じがします。けたたましい轟音ごうおんも、弱まったような……。心なしかふねかたむきも、若干じゃっかんゆるくなったみたい。

 ふいに、彼は立ち上がります。あさくなった角度かくどに、ぎゃくに、ちょっとフラつきました。高い方の窓辺まどべに歩みより、のぞきこみます。薄墨うすずずみの空が、みるみる明るさをとりもどし、雲がびゅんびゅんひがしの空へばされていました。

 まとまらないあたまで、ドアレバーに手をかけたまま、しばらく彼は、じっとしていました。

「出るぞ」

 と、口に出してから、外へでました。

 ポッカリうかんだ満月まんげつ。雲のすいた夜空に、くっきりとした輪郭りんかく真円しんえん。そのザラついた表面ひょうめんは、モノとしてのたしかなぞうむすんでいました。

「いや、だからなに?」

 ボソッと、つぶやきました。

 ふかく空気をってむねにためこむと、じわり、体温たいおんが上がりました。ひさしぶりに新鮮しんせんな空気を、あじわった気がしました。

 上空には、ところどころ、まだ雲がらかっています。ずいぶんむかしのことのようですが、バケツをぶちまけたみたいな星屑ほしくずりをひそめ、今は点々てんてんと、まばらにほしまたたいているだけでした。

 目を落とすと、月あかりにらし出された海は、みごとなグラデーションを見せています。遠方えんぽうから黒、藍色あいいろ群青色ぐんじょういろ、青、薄荷青ミントブルーとなり、うす暗い透明とうめい船影ふなかげの黒になりました。

 そのはどことなく、マックス・エルンストの「フンボルトの流れ」を連想れんそうさせました。ほしのない黒い夜のしじま、おだやかな青い海、ランボーの陰画ネガのような、海とけあった月の光とかげ類似るいじ偶然ぐうぜん効果こうかをねらい、いたキレの目をハンコのようにしあて、潮目しおめ波目なみめを、えがくことなくえがいた作品さくひんでした。(あくまで、イメージです)

 ゆらめくかげがジャマをしています。のぞきこんでいる、じぶんのかおが見えました。光の屈折くっせつが、砂底すなぞこ間近まぢかに見せています。白いすなが、サラサラおもてをながれていました。

 ほんとうに手がとどきそう。見わたすかぎりの砂漠さばくが、水の中にひろがっているはずと、彼は身をのりだし、手をのばします。このままザブンと、海へすべりこみたくなる、あまい誘惑ゆうわくにかられていました。

 チラチラするものがあります。じつは、かなり前から、気ついてはいました。月のりかえしではなく、よく目をこらせば、海中ふかく広範囲こうはんいに、ひろがっていました。

 色のあるような、ないような。白いような、透明とうめいのような。トンボやカブトムシのはね構造色こうぞうしょくみたいに、うすくやぶれそうな七色のかがやき。

 だんだんまばゆさをましてゆく、とりとめもなく、ながれるような色彩ひかりにじけ出したようなそれは、晩年ばんねん失明しつめいしかけたモネの、一連いちれん睡蓮すいれんのようでもあり、ただの色のたわむれのようでもありました。(あくまで、イメージです)

 横にはった落水防止らくすいぼうしのバーと、縦柱たてばしらをつかみ、あおむけになってギリギリまで、をのり出します。足の先っぽを水につけようとして、ムダにおわりました。

 水はあたたかく、ここちよさげです。うっとりして、なんとなく、そわそわするソル。このを水にひたしたい、あの光るもののそばまでちかづきたい、できれば……。彼は、せき立てられました。

 ふなまわりをキョロキョロしますが、おりていけそうなところは、ありません。

「おりて、どうすんの? (笑)」

 じぶんに、といかけました。

 船内せんないにもどった彼は、三人の前を素通すどおりして、うろうろします。ころがっているはずの、じぶんのカンオンは見あたらず、みんなのカンオンも、どこにいったか分かりません。あっちこっち持ち上げたり、カバーを外してみたり、いろいろ物色ぶっしょくしますが、役立やくだちそうなものは、なに一つありませんでした。ずっと気になっていた、ゆかのはしっこに目をやります。この切れこみのあるところだけ、まだ手をつけていませんでした。

 ゆかと一体化しているそのカ所は、とりつくしまも、ないように見えました。なにか開けるための道具どうぐでも、必要ひつような感じでした。見るからに手動式アナログしきで、今までけていたのです。イジっているうち、指一個分ゆびいっこぶんあなにスポッとハマり、カパッと、木目もくめ金属きんざくカバーが引っくりかえりました。

 あなの中のレバーをつかんで、ガタガタしても、ビクともしません。見ると、まっすぐだったのが、ななめにズレています。ズレた方にまわすと、かるく回りました。なにも、おきません。またガタガタやると、そこだけ、わずかにきました。力を入れても持ち上がりません。あやまちに気づき、じぶんの足を、どけました。足場あしばを変え、ぐっと、ふんばって持ち上げました。

 賃貸ちんたいアパート一畳分いちじょうぶんほどのスペースが、ごそっと開きました。パッと明かりがくと同時、ホログラム・マニュアルが起動きどうしました。

「ビンゴ!」

 中にカッチリおさまっていたのは、作業用さぎょうよう救助用きゅうじょようの、サラの白い水中服アクアスーツでした。説明せつめいがはじまりましたが、子のソルには、なにやらチンプンカンプン。取説トリセツなんて、いちども聞いたことありません。抽象的ちゅうしょうてきアイコンのお手本てほん映像えいぞうだけ、ながし見した後、ハイハイと同意どういしました。

 宇宙服うちゅうふくっぽいのが、うつぶせに固定こていされていました。セミのヌケガラみたいに、パックリ背中せなかが開いています。興味本位きょうみほんいでそこへすべりこむと、パシュッと空気がぬけ、ブカブカが一気にフィットしました。

「わっ、まだ早いて!」

 みうごきとれず、てんぱります。

「まだ、そんなつもりじゃ――」 

 床蓋ゆかぶたが落ち、まっ暗に。

 パニくるソル。

「ガンッ!ガクン、ガクン」

 ショックと、ゆさぶり。

「バシュッ、バシュッ、バシュシュー……」

 ギューと、しめつれけられ、気圧きあつの変化で、耳がキーンとなります。

「ゴボゴボゴボゴボ……」

 デクノボーで、みうごきとれません。

「バクン! ゴァゴァゴァーン」

 一気に視界しかいが開けました。

 その景色けしきらしていたのは、スーツのライトでした。彼は水中を降下こうかしていました。

 なぜか自然しぜんと、足が下にむきます。何百メートの深海しんかいというほどでもなく、あっけなく海底かいていにつき、ヒザが自動制御オートバランスでまがりましたが、コケました。ふわりと、白いすながまい上がりました。

 上をむいた矢印やじるしが、目の前でチカチカしています。アクアスーツの頭部とうぶは、後頭部こうとうぶからアゴにかけて、ななめに切られた台の上に、ドーム形状けいじょうのプレキシガラスをのせていました。その内側うちがわのガラス面の表示ひょうじが、まぢかでなく、手前の対象たいしょうのように投影とうえいされていました。ふね位置いちを、おしらせしているのでしょう。体のむきが変わるたび、せわしく矢印やじるし回転かいてんしました。

 アクアスーツはちゃんと機能きのうしているのに、息ぐるしくて、しかたありません。彼はいこんで、ばかりいます。き出すのを、わすれているかのようでした。

 ついに来た。とうとうこの日がやって来た。おそれていた深海しんかいだ。漆黒しっこく暗黒世界あんこくせかいに、身震みぶるいしながら足をみ入れるソル。リサイクルの空きカンみたいに、ペチャンコにつぶされそうな高水圧こうすいあつを降りてゆくと、底は底なしのドロぬま前進ぜんしん転身てんしんもままならぬ中を、空気を浪費ろうひしながら、もがき足掻あがき、のたうちまわる。そこへ暗闇くらやみにまぎれてせまる、巨大きょだいかげ

 七転八倒しちてんばっとうのすえ、からくも異形いぎょう深海生物しんかいせいぶつからのがれると、アクアスーツをこすりつけ、けわしい岩肌いわはだはい上がる。れるスーツ内でたきあせをかき、のぼりつづける。斜面しゃめんは半ばけた海藻かいそうめつくされ、安心して足を降ろせる隙間すきまが、毛ほどもなかった。

 ホースが切れ、フーカー潜水せんすい(地上から空気を送る方法)からスクーバ(携帯タンク式)になったスーツは、もう空気がのこり少ない。気ばかりあせって、ただ先へ先へと、盲目的もうもくてきにやみくもにすすでゆく。

 だんだん空気がうすくなり、朦朧もうろうとした意識いしき彷徨さまよいつづける。ヌルッと、足をすべらせた。体がちゅうに浮かんだ。濃密のうみつ数秒間すうびょうかん不幸ふこうにして、彼はわれにかえった。空をつかむように水をつかみ、なすすべなく、大海溝だいかいこうけ目へまっさかさま……

 ふかとおくへ潜行せんこうする、あたまのサーチライトと、まわりをらし出す、かた広角こうかくライト。二つの光源こうげんによって、風景ふうけいが明るみに出されていました。

 どこまでも光のとどくかぎり、なだらかな白い砂漠さばくが、つづいています。フェアウエーみたいにノッペリとしたスロープと、小山をつらねた砂丘さきゅう峰々みねみね。あたりには、月影つきかげを落とした魚のかげも見えませんでした。

「ふいー」

 思い出したように、大きくいきをはき出しました。とりあえずソルは、足を前に出しました。

 背中せなかを引っぱられ、ふりかえります。二重にじゅうにドキッとして、ウミヘビかと思ったのは、ホースでした。それが天上てんじょう船影船影まで、国旗こっきのポールみたいに、かしいで立っていました。空気ホースと、エネルギー、通信つうしんケーブルを一まとめにした、がんじょうな命綱いのちづなでした。

 ちゅうちょしつつも、ホースのとどくかぎり、いけるところまでいってみようと、彼は思いました。水中なのに、いやだからこそ、かなりキツイ。うかないよう仕込しこまれた重りと、着ぶくれした水の抵抗ていこうが、前進ぜんしんをさまたげます。アクアスーツは、あたまでっかちで下半身かはんしん貧弱ひんじゃくな、宇宙人うちゅうじんみたいでした。

 いくら歩をすすめても、まばらにかがやくものは、ふえもしなければ、へりもしません。一様いちようにあたりをチラチラまっています。とおくのようにも、目の前のようにも見えます。今だ、と手を出しても、空を切るばかり。錯覚さっかくをうたがい、目をこすろうとして「コツン」となりました。

 たいくつな景色けしきをバカみたいに歩きまわって、ぜえぜえ、いきが上がりました。あせもかいています。おでこのあたりをぬぐおうとして、またもや「コツン」となりました。

「クソ!」

 もどかしさのあまり、彼はすなをケリ上げました。

 もあ~ん。

 すながまい上がって、視界不良しかいふりょうになりました。するとなんだか、今までより、にじくなった気がします。

 もういちど、ケリあげました。

 もぁ~ん。

 気のせいなのか、やっぱり、かがやきがした感じがします。

 またもう一回、すなを大きくケリ上げました。

 もぁ~~ん。

 さらに一回、またもう一回と。つづけざま、なんどもケリ上げます。

 もぁもぁもぁもぁもぁ~~~ん。

 きらめく無数むすうにじ破片はへんが、よどんだ視界しかいを、にぎやかにおどっています。なんとも形容けいようしがたい、無色透明むしょくとうめい多原色たげんしょくな、矛盾むじゅんをはらんだかがやきでした。

 しばし、むごんで考えこむソル。彼はある結論けつろんにたどりつきました。

「カンオンが……ない」

 くるっとふりかえり、彼はふねにむかって、のっそのっそ歩きはじめました。

 ぐっしょりあせだくになって、ふね真下ましたまでたどりつきました。不自由ふじゆうなアクアスーツで、ヒザをおってりかえろうとします。むねがつまって、しりもちをつき、ふねを見上げました。

 やおら立ち上がって、前かがみになり、ふりかぶります。せーのと、いきおいつけて、ジャンプ! 

 落ちながら足をバタつかせていると、足ヒレがのびてきました。底から2、3メートルの高さで、ジタバタ、ジタバタ。遅々ちちとして上がっていきません。

 きゅうに体がかるくなると、ずんずん上へ上へ、はかどはかどる。まるで空を、とんでいるよう。背中せなかのホースが、掃除機そうしせきのコードみたいに収納しゅうのうされているだけでした。

 あっという間に回収かいしゅうされ、船橋ブリッジにもどりました。パックリ背中せなかがわれ、水中服アクアスーツから脱出だっしゅつしました。みんなを見ると、まだスヤスヤています。

「ちぇっ」

 ソルはじぶんのカンオンをさがして、室内しつないを見てまわります。アクアスーツをぬぐと、体がすこぶるかるく、まだ十分体力がのこっていました。思ったほど、たいして時間はたっていませんでした。

 どこいったんだよ、このだいじな時に。エリゼの子には、カンオンと故障こしょうが、すぐにむすびつかないのです。

 しつこくさがしましたが、けっきょく見つからず、あきらめました。他にそれらしいふねのコントロール装置そうちがないので、舵輪柱だりんばしらについているミニモニターをなぶります。

「ええい、けよ!」

 ベタベタさわったり、パンパンたたいたり。

 ポッチが赤くともりました。とりあえず、主電源しゅでんげんだけは入ったみたい。

「なにか、おこまりですか?」

 抽象的音声ちゅうしょうてきおんせいと、二次元にじげんのホログラム画面がめんが立ちあらわれました。

「しー、しずかに」

 小声でいうと、ボリュームモードが変わりました。

 ヘルプ自動機能オートきのうの手びきによって、モーターが始動しどうしました。二段階にだんかいにレバーを引くと、動力どうりょく待機ニュートラルから、シフトチェンジしました。

「ガガガッ、ガックン!」

 あせって、ふりかえるソル。

 よく考えたら、べつに、もうおこしたっていいか?

 三人から視線しせんをうつし、あらためて、ビショビショになったゆかを見ました。

 ちぇっ、あとでなんかで、ふかなくちゃな。

 彼は、ウンザリしました。

 なんかオレ、後かたづけばっか、やってんな……。

「ウィィィィィーン。ガポポンッ」

準備じゅんびが、ととのいました」

始動しどうしても、よろしいですか? よかったらハイを。まだでしたらイイエを。停止ていしのばあいは、ストップと言って下さい」

「ハイのばあいは、ハイといってから、お手もとのミドリのボタンを、おして下さい」

「えー、はい」

「……」

 機械きかい沈黙ちんもくしています。

「ミドリのボタンをおして下さい」

「?」

「ミドリのボタンをおして下さい」

「あっ、はい」

 あわてて彼は、点滅てなめつしてるボタンをおしました。

「ゴワンッ、ギギギー」

 ふねがゆれ、さざなみが立ちます。船腹せんぷく水際みずぎわから、アブクがきはじめました。

「ブクブクブク……ボコボコボコボコボコ……」

 にえたぎったのように、まっ白にき立つ海面かいめん。いつか見たバミューダトライアングルの動画どうがみたいに、アワで浮力ふりょくをうしなって、沈没ちんぼつするんじゃないかと、ゾッとするほどでした。そう思ってたやさき、ぎゃくに、ふねが上がっていく気がします。じっさい、喫水線きっすいせんが下がってきていました。

 しばらく彼は、アワがしずまるのを、まちつづけました。

「よし」

 ソルは立ち上がりました。ねている三人をしり目に、アクアスーツにすべりこみます。閉じこめられる不快感ふかいかんをやりすごし、また海へ、なげこまれました。

 海中は一変していました。すなのヴェールがおおって、一寸先いっすんさきも見えません。まばゆいにじのフラグメントがあふれんばかり、海中ならぬ地中を、めつくしています。

 やぶれたちょうはね、いびつな星型ほしがた、すりガラスの放射線模様ほうしゃせんもよう多種多様たしゅたような形で、すなあつみをつらぬいて光っています。興奮こうふん恐怖心きょうふしんで、体がこわばりました。

 きょをつかれたソルは、足よりヒザで着地ちゃくちして、もんどりうってたおれました。バウンドして、ゴツゴツしたものの上に、あおむけになりました。ショック状態じょうたいがさめやらぬうち、おき上がろがろうとします。ガクンッと、手をかけたモノが下がり、また、たおれました。

 つかんでいたのは、三輪車さんりんしゃのペダルでした。密閉みっぺいされているはずなのに、イヤなにおいがします。スーツの中にまで、侵入しんにゅうしてきていました。たまらず、彼はいきを止めます。すぐにくるしくなり、おもいっきりいこんでしまいました。

「ゲホゲホ、ゲホゲホホ……」

 さっきまでのみ切った海は消え、変電所へんでんしょの池の水を濃縮還元のうしゅくかんげんした、ヘドロのスープと化していました。

 かおを下にむけると、中心が白くびます。強力なライトを、半分手でフタをしました。立ち上がってあらためて見ると、ソルは生活せいかつゴミの、山の頂上ちょうじょうにいたのでした。

 すなとばり素通すどおりして、あらんかぎりの可視光線かしこうせんの色のスペクトルが、乱舞らんぶしています。無限色むげんしょく飛散ひさんさせる、万華鏡まんげきょうの中にまよいこんだみたいでした。幾何学的きかがくてきな花ビラ、唐草模様アラベスク、ゴブランのつづり、生きた貝殻かいがら琺瑯質ほうろうしつセミ蜻蛉トンボの目とハネ、イリデッセンス(透明な宝石の、わずかな裂け目にあらわれた虹)、ドブの水面みなもにうかんだあぶらにじみ……。

 それらにじ綾目あやめのただ中に、巨大きょだいなシルエットがかび上がりました。前方にひかえたそれは、きらびやかで装飾過多そうしょくかた輪郭シェイプをもち、どことなくバロックというより、ロココな花瓶かびん水差みずさしのようでした。あるいは華麗かれいではあるが、どこか人造的じんぞう睡蓮すいれんつぼみを想わせました。

 ふしぎとソルは、こわくありませんでした。正体をつかもうと、ガンをとばすみたいに見つめていました。すなはいつまで立っても海中にとどまり、いっこうにしずんでくれません。もどかしい気もちで、視界しかいが晴れるのをまちつづけました。

 その形は、どう見てもりゅうでした。透明とうめいけた体に、七色にかがやうろこはねをたたんですわりこみ、くびを上げ、まっすぐこちらを凝視ぎょうししています。

「マジかよ……」

 しぼり出すよう、いいました。ソルはゴミの山の上に、両手りょうてをついて、しゃがみこんでいました。もう見つかっているし、今さらげたってしょうがないし……。にげないのでなくて、にげられなかったのです。でもなぜだか、それほど、こわくはありませんでした。しばらく、両者りょうしゃともに、にらめっこしていました。

 りゅうはずっと、こちらを見ていました。

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