快生
時坂雨愛
快生
俺は、何故生きているんだろう。
目を開けてそう思ったのは午後六時頃。窓の方を見ると外はまだ雨が降っていた。
もうこれで何時間だろう。ずっと寝ては起きてを繰り返している。
今日で彼女、逢天咲楽が死んでから一週間が経った。昨日は、さすがに耐えきれず家にあったカップ麺を食べたが、この一週間それ以外には麦茶しか口にしてない。一昨日の通夜にも昨日の葬式にも出てない。
正直、まだ俺はこれが現実だと受け入れてない。
これは長い長い夢で、きっといつか覚める。
そしてまた彼女笑って話せる。そう信じてる。
でも、なぜだろう。
いつまで経っても雨は止まない。
いつまで経っても朝は来ない。
いつまで経っても夢は覚めない。
俺は眼を閉じた。
無意識に体が動いていた。
委員長からの連絡で近くの墓場に咲楽のお墓が立っていると知っていた。
会いたい。
話したい。
笑顔が見たい。
そこに、いると思った。
そこで、待ってると思った。
行かなきゃいけないと思った。
制服のまま寝ていたのでそのまま家を出た。雨はまだ止んでいない。携帯を見ると時刻は深夜二時。傘をさして歩く街道には人影が全くない。
俺は何も考えずに黙々と歩いた。
墓場まではそう時間はかからずについた。
咲楽はどこにいるのだろう。
一つ一つのお墓をゆっくり見て回る。たくさんの人のお墓が並んである。深夜の墓場は少し不気味で怖かった。
咲楽のお墓は意外にも早く見つかった。
たくさんの花が並べられ、咲楽の好きだったものがたくさんある。
麦茶にラムネ、ヨーヨー、アザラシのぬいぐるみ、黒胡椒味のポテトチップス…
でも咲楽は、いない
どこにも、いない。
もしかしたら俺は心の中ではわかっていたのかもしれない。
ただ現実を拒んでいただけなのかもしれない。
でも、最早それはどうでもいい。
お墓に並べられた、お供え物を見ると嫌でもこの現実が押し寄せてくる。
そうか。そうだよな。
抑えきれない想いがとうとう破裂した。
溢れ出て、不規則に落ちる俺の涙は降り頻る雨の中、一際淀んで見えた。
咲楽は死んだ。
*
咲楽と出会ったのは去年のこの時期より少し前、桜が咲いていた頃だった。
人生最初で最後の高校生活。今までのことは振り切り、精一杯楽しむつもりでいた。そのために必死に勉強して、わざわざ都会の学校に来た。
それなのに俺の努力は全く無駄だった。
忘れない。
慣れない土地だったこともあり、入学式早々遅刻ギリギリで学校に着いた。
不安、というより恐怖があった。もしかしたら何も変わらないかもしれない。変えられないかもしれない。
でも、それでも期待していた。期待するしかなかった。きっと大丈夫だ。大丈夫、大丈夫…
教室の前のドアから中に入る。遅刻一分前で教室には俺以外の全員の生徒がいた。
一歩教室に入った瞬間、俺は全てを悟った。
嫌悪、憎悪、恐怖、不信…
全ての負の感情を混ぜ合わせた混沌の矢が俺を突き刺した。
痛い、苦しい、辛い、逃げたい…
心に黒い何かが溜まっていく。
一体、俺が何をしたっていうんだ。
結局何も変わらなかった。変えようとすることすらできなかった。
…厭になって、学校を飛び出した。
家に帰る気分にもなれなかったので、家から少し坂を上った高い所にある公園に行き、ベンチに腰を下ろした。
周りを見渡すと桜の木がたくさんあったが、どれもまだ蕾が開いていない。
今思えば、少しでも希望を持った自分がいけなかったのかもしれない。あれだけ大きな事件になったんだ。そりゃあどこまで行っても皆知ってるに決まってる。当たり前だ。
でも、こんなのおかしい。なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ。
誰も、何も分かってない。
誰も俺の事なんて見てないんだ。
皆、俺じゃなくて、俺の世間の評判を見る。俺の外側だけ。『俺』の中身なんてどうでもいいんだ。
この世界は俺を『犯罪者』としてしか見てない。
本当に、どうかしてる。
怒りに任せて転がっていた石を蹴飛ばした。
…座っているのがなんだかじれったく、公園を歩き回ろうとした。ふと、坂のある方に階段があるのを見つけた。しかも結構急で長い。
今はここじゃないどこか、少しでも遠くに行きたかった。階段を上ってみる。
階段は予想以上に長く、普段動かない俺にとっては相当キツかった。もうすでに足が痛い。それでも、一歩一歩ゆっくり上っていく。
何か、あると思った。
俺がこの階段上りきれれば何か起こる気がした。
なぜかはわからない。全く根拠のないものだ。
それでも俺は感じた。
やっとの思いで階段を上りきると広場に出た。
「ねぇ!君は桜ってなんで咲いてると思う?」
風が、吹いた。
体が、震えた。
さくらが、咲いた。
「ねぇってば!君、聞いてる?」
誰かに話しかけられたのなんでいつぶりかも分からない。だからか、反応が少し遅れた。
そう思ったけど、実際違った。
多分俺は、彼女の言葉に驚いていたんだと思う。
一心にその事を見て、一寸の狂いもない、真っ直ぐで優しい、雑念など一欠片もない言葉。
愛好、好奇、悦楽、信頼。
いろんな正の感情が彼女の言葉の節々に感じられた。
普段から負の感情を向けられているからだろうか。
ただ、普通に話しかけられただけだ。
でも、それでも。
それだけで、心が癒された。
「もしかして…無視してる?」
「あ、あぁ、あのっ…す、すいません…」
「ふふっ。なんか君、面白いね!」
不思議だ。誰かといる事が辛くない。
むしろ、楽しい。
「私、逢天咲楽!巡り逢う天に咲く楽しさ!!君は?」
「あ、えっと…」
戸惑った。言いたくない。多分彼女も俺の事を知ってる。名前を言ったら気付かれる。
それに、俺は自分の名前が嫌いだ。すごく、不相応で、忌まわしい。
「ん?どうしたの?」
俺は言えなかった。
「うーん…まぁいいや!でも、私君のこと見たことあるよ!」
全身凍りそうだった。嫌な汗が出る。
「あの…あれでしょ!中学生が五人殺害されたって事件の!」
逃げたくなった。初めて好意を持った人にその事を口にされた。
でも、なぜだろう。
それはいままでのとは少し違った。
彼女は俺に負の感情を持ってない。その言葉に悪意が感じられない。不思議だ。
「君、犯人って言われてる人だよね。ふふっ、おかしいよね。ほんとは違うのにいろんな人にめちゃくちゃ言われてるんだから。」
俺が事件の犯人だとされていることにおかしい、そう言ったのは俺の記憶の中では彼女が初めてだった。
「ど、どうして俺が犯人じゃないと思うの?」
「んー?だってニュースでもあれは事故だって言ってたじゃん。それに、もし犯人だとしたら君がこんな所にいるのおかしいでしょ?」
そんな事言われたことがなかった。今まで会った全員が真実を見ずに俺を悪とした。
人間は誰しも、いつだって共通の敵を作ろうとする。そしてその敵を犠牲にして保身に走る。正義の皮を被って自分の為に他を傷つける。それ自体が本当の悪であると分かっていても。
「それに君の心そんな風に見えないもん。黒っぽいよりかは…なんか青っぽい。すごく…悲しそう。でも、その中にちゃんと明るい光があって、本当はすごくきれいな心をしてると思う!」
彼女は誰かにとっての『俺』じゃなく、本当の俺を、『俺』の中の俺を見てる。
彼女の言葉は俺を優しく包んで、癒す。
誰かの優しさに触れた記憶なんてない。
それにその優しさは真っ直ぐ俺に向かってくるのだ。
明るく、優しい、真っ直ぐな陽の光のように。
俺はその時泣いていた。
*
抑えられていた感情が、溢れ出す。
止まらない。止まらない。止まらない…
俺の涙も、嘆く声も 、この想いも、どしゃ降りの雨の音と夜の闇に消える。
俺に向けられ、俺の中に溜まっていた負の感情が吐き出される。
悲痛、 悲哀 、苦痛、 愁傷…
もう、耐えられそうになかった。
咲楽のいる場所に行きたい。そう思った時だった。
一枚の桜の花びらが舞い降りてきた。
慌てて辺りを見渡す。家の方を見た。
あそこだ。俺と咲楽が出会ったあの公園。あそこに微かで淡い、それでも確かな光が見えた。
行かなきゃ。
涙を拭って走り出した。
家に帰る道をひたすら走る。
家を通り過ぎて公園までの坂道をひたすら走る。
既に足体力の限界だ。
公園についた。
広場に繋がる階段。もう息をするのも辛いぐらいに走った。体もびしょ濡れだ。
それでも、止まらない。
初めて上った時の何倍もキツい。
足は悲鳴をあげ、頭がフラフラする。
視界がぼやけてきた。体が震えていふ。
それでも、俺がこの階段を上りきれば何か起こる。
今なら確信を持ってそう言える。
上りきった途端に俺はその場に倒れこんだ。
地面に這い蹲りながら前に進んだ。汚くても、抗いながら進んだ。
そして辿り着いた。
そこには確かにさくらが咲いていた。
「そう言えばまだ答え聞いてないよ?」
「何が?」
「桜がなんで咲いてるかってやつ。」
「あぁ…えっと…。」
咲いてる意味か。それは人間がなんで生きてるかってことに近いものだろうな。
「意味なんて無いと思う。ただそういう植物だから。それだけ…かな。」
「ふふっ。そう言うと思った。」
彼女は得意げな笑顔でこちらを見る。
「いいこと教えてあげる。桜が『生きる』のはね、生きるためなんだよ。」
「…え?どういうこと…?生きるために生きるって結局意味が無いのと同じじゃない?」
「うーん…確かに『生きる』ってこと事態には意味はないのかも。でもね、生きるって言うのは誰かとの繋がりを持ったり、いろんな出来事を経験したり…たくさんの事をする。それで、その繋がりとかいろんな出来事とか、そういうものが全て自分になる。それが生きるってことなの。で、その生きることのためのものが『生きる』っていう行為なんだよ。『生きる』に意味を与えるために生きる。それが『生きる』のは生きるためってこと。」
彼女は得意げにこちらを見つめる。
「…つまり、どういう事?」
この時、俺はもう彼女の言葉の意味を理解していた。
でも…確かめたかったんだと思う。
「んー…難しいよね。そうだなぁ…。」
彼女は少し悩んで続けた。
「簡単に言うと、ちょっと物騒な話になっちゃうけど、例えば犯罪って言ってもその理由とか状況って色々あるでしょ?殺人だったら単純に殺したいほど憎んでたとか復讐のためとか、そういうのは本当に悪い事だと思う。でも、誰かを守るためだったり、それが殺された人にとっての幸せだったり…別に理由が違うからってその殺人が犯罪じゃないとは言わないよ?でもさ、やっぱり私はその全てが悪い事だとは思わない。確かに世間的に見て、その外側はただの『犯罪』かもしれない。だけど、その中身って言うのは誰かのためを思っていたり、優しさがあったりして…あぁ!もう!私もよくわかんなくなってきた!!」
そう彼女は言ったが、その顔は笑っていた。
「結局ね、何が言いたいのかっていうと、全てのものはその外側だけ見て判断してたらダメなの。その中身までしっかり見ようとしないと何も分からないまま。だから私達はその中身を皆に見てもらうために『生きる』。それがさっき私が言ったこと。」
彼女は俺に優しく笑いかけた。
「だからね、君も生きるために 『生きる』の。たくさんの人と関わってたくさんの繋がりを持って。いろんなことに興味をもっていろんなことを経験して。そうすれば皆が君の事を知ってどんどん繋がっていく。そうして君の生きるはとっても素敵なものになっていくの。そして、その生きるがそのまま君の『生きる』の意味になって、形を成していくから」
今でも…というか今だからこそ、彼女の言葉は胸に響く。
俺は一番大切な事を忘れていたんだ。
彼女が教えてくれた事を。
心の中にできてしまった黒い何かに身を任せて、見失っていた。
彼女は俺の心に光があると言ってくれた。それなのに俺は自分でそれを隠してしまっていたんだ。
俺の『生きる』意味を、今思い出した。
淀んでいた視界がいつのまにかはっきりとしてきた。
天を見るとそこには快晴が広がっていた。彼女の言葉を思い出す。
「私ね、快生でありたい!」
「…え、え!?」
「快く生きるって書いて快生!そのまんまの意味!雲が全くなかったら皆の事がとってもはっきり見えるでしょ?そしたら生きることが快くって素晴らしくなって私の「生きる」意味はすごく素敵になると思うの!ね?いいでしょ!」
「あ、えっと…。」
「ん?どうかした?」
この時、自分の名前に自信が持てた。そして大好きになった。
「お、俺の名前…。春野快生。春の野原に快く、生きる。」
「えええ!?すごいじゃん!!こんな偶然ある!?ふふふっ!じゃあ快生は私よりも快生でいなきゃね!快生なんだから!!!」
その時の彼女…咲楽の笑顔は、涙でいっぱいだった俺の目でもはっきりと見えた。
天には一欠片も雲がない。
全て、はっきり見える。
咲楽に出会ってから本当にたくさんの事を教えてもらった。
ラムネに入っているビー玉の取り方だったり、ヨーヨーの使い方、味の濃いお菓子を食べても息が臭くならない方法。
友達の作り方や、女の子へのアプローチの仕方まで。
そして、『生きる』意味。
変えようとするんじゃない。
まずは、俺自身が変わるんだ。
周りを変えるために、俺が変わる。
皆に俺の中身を見てもらうために、生きるために、『生きる』。
咲楽はもういない。
でも、俺は1人じゃない。
側にはいない。それでも、彼女ならきっと、俺の事も見守ってくれているはずだ。
だから、頑張ろう。
天に輝く太陽が優しく、真っ直ぐな陽の光で咲き誇るさくらと俺を明るく照らした。
快生 時坂雨愛 @shigutoshi0224
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