XⅨ. 自分視点と神の視点
さて、今回のトピックは文章作品を書くとき及び読むときの一人称、三人称視点の私なりの感じ方についてです。
一人称視点の文章は、ご存じのように私・俺・僕その他、とにかく一人称で語りながら進んでいきます。
そのメリットは、私が思う限りこんな感じです。
◯書くのが簡単
◯語り手の感性、語り口調により雰囲気が生まれ、ストーリーの方向性が見える。
◯とても書くのが簡単
◯非常に書くのが簡単
もうね、これにつきます。自分あるいは語り手に設定したキャラクターの主観をつらつらっと書いていけばいいのですからね。似たような内容と字数の作品でも、一人称の作品はそうでないものの半分の時間で書けます(当社比)。
そしてデメリット。
●お手軽感がすごい。
●語り手がちょっと苦手なタイプだったりすると即読む気がなくなる。
●情景や人物外観などの細かい描写が鼻持ちならなくなりやすい。
●個人の主観でしか語れないので、ジャンルによってはダイナミズムを盛り込みにくい。
●とにかくお手軽感がすごい。
●語り手の知りえない事実、時制、場がその場面のリアルタイムでは語れなくなる。
最後の項目について。
いや語ってもいいんです。でもそうすると、視点がぶれてぎくしゃくしてしまうんですよ。
だから、語り手が知りえない事実を描こうとすると、
例(三人称)
太郎は涙を流しながらその写真を一心不乱に見つめていた。
花子はナイフの柄を握り、殺意に満ちた眼差しを太郎に投げかけた。
例(一人称)
私は涙を流しながらその写真をひたすら見つめていた。
二郎の話によれば、花子はナイフの柄を握り、殺意に満ちた眼差しを私に投げかけていたらしい。
例2(一人称)
私は涙を流しながらその写真をひたすら見つめていた。
花子はナイフの柄を握り、殺意に満ちた眼差しを私に投げかけていた、とのちに知った。
というように、他者を介在させたり時制をずらすことになります。それが面倒だと思う人や、そこのところをなめらかかつナチュラルに整えられない人には向いていないかもしれません。
一方、三人称視点というのは俗に「神の視点」と言われ、説明するまでもありませんが誰かの主観ではなく客観で俯瞰的に物事を書いていきます。そのメリットは、私が思う限りこうです。
◯個々のキャラクターが把握していない事象まで書き込める。
◯情景、人物の外観などの細やかな描写が映える。
◯なんとなーく知的に見える。
○一人の主観に没入しなくていいので、心理的にさらっと読める。
◯クロニクルやサーガなど、個人の一生を超えたマクロな流れのある作品をダイナミックに描ける。
そう思いませんか?
その一方で、私の思う「神の視点」のデメリットは前述の執筆所要時間の話そのまんまです。
●書くのが疲れる。
●書くのがなんか疲れる。
●とにかくめんどくさくて疲れる。
●視点が「神」なので、様々なことをバランスよく書き込まないと貧乏神みたいに貧相になりがち。
●神の視点とはいえ、登場人物の誰かに寄った視点で展開すると文体が安定するが、誰に寄せたかによって描写が変わるので意外と難しい。
●場や時の転換が比較的ぎくしゃくしがち。
台詞を各登場人物の気持ちになり切って書くでしょう?
そして頭を切り替えて神の視点に戻して地の文を書いて、また台詞を書いて……切り替えが多いと疲れるんですよ。私だけかもしれませんが、多くの物書きさんが一人称のほうが楽と言っているのは、これが原因なのではないかと思います。
さて、私は自他ともに認めるものぐさ者なのですが、読むのも書くのも三人称のほうが好きです。
私はあまり他人の気持ちに入り込むのは得意ではないですし、私自身性格がよい方ではないと思っているので、一人称で主観を垂れ流してしまうと、たぶん多くの方にそっぽを向かれるような気がしてしまうのですよ。
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