XV. 自己流文章トレーニング
さて、わたくしめ、このコラムをⅠから全部読み返してみました。
そして感想はこう。
「これ、当たり前のこと書いてる部分を除くと、他人様の作品に対する愚痴と『べからず』集になってるよね。まず自分自身が恥を知れよ」
その通りです。
もし、よりよい小説が書きたくて、ブラッシュアップのためにこのコラムへ辿り着いて読んでくださった方がおいでだったとしたら、本当に申し訳ありません。
でも、私この作品の紹介文に、この作品がどういうものだかちゃんと書いてましたよね。
だったら私悪くありませんよね。
開き直ってみます。
さて、たまには真面目に作品をブラッシュアップする手法を考えて、書いてみます。
とある文筆家はこう言っていました。
文章がうまくなりたければ、日本古来の子守唄の歌詞を何度も書写し、使われている語句の一つ一つの意味するところをよく味わうように、と。
それを読んだとき、私は高校生で、その言わんとするところが全然わかりませんでした。
重くて難しい言葉をふんだんに使って、がっつりと描写した文章で読者にマウントをとることこそが王道だと思っていました。
今の私から言わせてもらえば
「愚かだな」
の一言です。
このコラムのⅠでも触れましたが、私には時々ダメ出しをしに来る謎の存在がいます。
それが言うことには、私の文はくどすぎて読みづらいのだそうです。
書きたいことの6割も書けば上々だ、と指摘されました。
そこでやっと、私は高校生のころ読んだことを思い出したのでした。
さっそく、『君が代』や沖縄民謡の『ちんさぐぬ花』や熊本の『五木の子守歌』、中国民謡の『草原情歌』などを、一つ一つの語彙に気をつけながらカラオケで歌ってみました。
それまでただの辛気臭い昔の歌だと思っていたものが、一気に光を放つ。
そんな瞬間に私は出くわしました。
無駄な言葉も言い回しも完全にそぎ落とされ、ただ思いを述べているだけで、なぜこれほど美しいのか。
聞く、発声するというだけではなく、文字となったときにも凛と冴えわたる姿をしています。
それは、人の心から出てきた、飾りのない言葉だからなのでしょう。そこから私は文章をこねくり回すのをやめ、素直に書くようになりました。
それをきっかけに、文章トレーニングとして字数制限のある定型詩、短歌や俳句を作り始めました。
そこで学んだこと。
いかに短く簡潔に、イメージや思いを伝えるか。
どこまで文章の贅肉を落としても大丈夫なのか。
長さを削いでも意味を損なわないために、豊かな意味を持つ語彙をどれだけ増やすか。
いろんなトレーニング方法はあろうと思いますが、私からは
「短歌・俳句を多く読み、作ること」
「古謡の歌詞を丁寧に読み込んでいくこと」
この二つを強くお勧めしたいと思います。
他人様に偉そうに言えるほど、私の文章力はすごくはないのですし、誰にでも有効ではないと思います。
でも、このトレーニングによって昔の文章よりは随分よくなりました。
一文がだらだらと長く、修飾句をごてごて突っ込んでしまう傾向がある方は、トライしてみるのもいいかもしれません。
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