第五章 the days after tomorrow 一
二〇四一年。世界は、五年前に発生した強毒性新型インフルエンザのパンデミックの影響下に今もあった。
大きな感染流行の波を二回経てやっと治療薬が開発され、存亡の危機にあった世界はかろうじて秩序を取り戻したが、その人口は激減。いまだに散発的な流行も見られる最中、社会の在り方は変容を余儀なくされた。
感染を避けるため、人々は可能な限り大勢で集まることを避け、リアルではなく、インターネット上に構築されたバーチャル空間でのコミュニケーションが一般に広まった。
減少した労働人口を補うため、AIが本格的に導入され始め、行政、交通、福祉、医療、教育等あらゆる面で効率化が進んでいる。時代の流れをいち早く取り入れ、スマートシティ、スーパーシティ化を果たした都市だけが、かつての先進国で見られたような繁栄を現在も享受できている。
もっとも、かつてのように大通りに人波が溢れかえるような、エネルギーに満ちた大都会の風景は世界中どこにも見られなくなって久しかった。
そして、この新たな社会には、世間から孤絶した人間達が快適に暮らせるよう、汎用型人工知能(AGI)による様々なサービスが導入された。スマートフォンや家庭用端末を通じてコミュニケーションできる自分専用のアシスタント、公共の場におけるコンシェルジュなどが普及し、当たり前のように受け入れられている。
実に驚くほど多くの汎用型人工知能が、この頃の文明都市では昼夜を問わず働いている。それらのほぼ全ては、シンガポール初のAGIベンチャー、Communication Technology社が七年前に発表した世界初の汎用型人工知能sakuyaがベースとなったものだ。
CT社は、この画期的なAGIのアルゴリズムを独占するのではなくオープンソースプラットホームとして公開した。世界各地で様々な開発者が自由な改良できるようにし、企業の参入を促すことで、sakuyaの系譜を受け継ぐ汎用型人工知能はパンデミック後の新しい社会の在り方を模索していた世界中に瞬く間に広がっていったのだ。
*****
「……OK、ありがとう、ジョイス。引き続き、トロントの病院関係者に対するアプローチを続けてくれ。さて、次の議題は、介護福祉施設向けの新型ロボットについてだったな」
現実と比べて遜色がないほど精密に構成されたVR会議室では、今日もアメリカ各地から集まったマネージャー達が現在進行中のプランに関する報告と今後のビジネスについての議論を重ねている。
CEOである巧望の発言を受けて、若い黒人女性の姿をしたアバターが着席し、それに伴って壁一面に表示されていた資料が消えた。代わりに太っちょの男性型のアバターが立ち上がり、このVR会議室の出席者の注目を集めようと手を上げる。
本物の社員の代わりにここにいるアバターは様々な姿にカスタマイズ可能なのだが、基本的に本人の姿をもとに造形されている。ただし、アバターの向こうにいる社員達がビジネス向きのきちんとした服装をし、ひげをあたり、化粧をしているのかまでは分からない。どうせ、このバーチャル空間では自分の姿が相手にばれることはないのだからと、寝起きのままのだらしない格好でいたり、逆に時差の大幅に違う土地に住んでいる者なら寝支度を整えた状態でいたりするのかも知れない。
巧望自身は、この会議の後にボストンまで移動する予定なので、こざっぱりとしたシャツとパンツ姿に薄手のジャケットを重ね、荷造りを終えたボストンバッグを足下に置いて、いつでも出かけられる状態で会議に臨んでいた。
巧望が代表を務める、このNew Wave Robotics社は、future life labs社の経営陣と袂を分かった後、AIロボット関連の会社として設立したものだ。sakuya型の汎用型人工頭脳を搭載したロボットは、医療・介護関連ビジネスでの需要が大きいパンデミックの時代を背景に、急成長した。
(全ては、Communication Technology社がsakuyaを自社だけで独占せずに、世界に向かってアルゴリズムを公開してくれたおかげ、だな)
かつて、自らプロトタイプのsakuyaをテストし、その可能性の途方もなさに圧倒されたこともある巧望には、今や世界を席巻している汎用型人工知能導入の波は納得できるものであり、同時に一抹の不安も覚えさせられる。
sakuyaと同じアルゴリズムで作られた人工の心は、決して、人と同じ自由意志や感情を持つわけではない。にも関わらず、人は、それらの本物らしさに惑わされ、共に人生の多くの時間を過ごすうちに、人と同じものだと信じるようになってくる。彼らを本物の友人、家族、ひょっとしたら恋人とさえ呼ぶようになるだろう。
彼らの『人権』が認められる日もそう遠くないのではないかさえ思えてくる。
それがいいことなのか悪いことなのか。多くの人命が誰も予想もしない疫病によって失われ、そのダメージから今も抜け出さずにいる、この社会においては判断しづらい。
VR会議室のテーブルの上には、新型の介護用ドローンの全身3D映像が展示されている。それを眺めながら様々な質問を開発者に投げかけ、討論している社員達を横目に、巧望は己のアバターの手首に巻かれたベルト型のデバイスを確認した。
外部からの通信が入っている表示があった。巧望がデバイスの操作パネルに触れると、小さなディスプレイがVR会議室の片隅に浮かび上がり、そこにメールのメッセージ内容が現われた。
ボストンにいる調査員からの連絡だ。
森啓介が潜伏していると思しきアパートの監視を命じているのだが、この一週間人の出入りはなく、中に入れてもらえるよう、大家に取り計らってくれている。
巧望も同席するつもりで、今夜の最終便でニューヨークからボストンに飛ぶつもりだった。
森啓介――sakuyaの助力を受けて人工脳搭載型ロボット・ネズミ、アルジャーノンを開発した研究員は、巧望の紹介によりマサチューセッツ工科大学所属の研究所に身を置いていた。
sakuya型の汎用型人工知能とは異なる理論で開発された、彼の人工脳の研究にも関心を持ち、社として投資も続けてきたのだが、その森が半年前に無断で研究所をやめてしまったのだ。
消息不明となった彼の行方を辛抱強く探し続け、そして、ようやく彼らしい人物の居場所を突き止めた。
明日の午前中にアパートに入れるよう大家に約束を取り付けたらしい。巧望は、今夜ホテルに到着した時点で電話をする、詳細はその時にと返信した。
(全く、森のヤツ、一体何を考えているんだ。もともと偏屈なところのあった男だが、自分の研究の重要性は理解していたはずだ。人間に似たシステムで進化する人工脳に、果たして本物の知性が宿らせることはできるのか。sakuya型の汎用型人工知能の利用が可能になった現在、人工脳型のロボットの出る幕などないという意見もあるが……朔也が死の直前まで気にかけ、死後はsakuyaによって援助し続けた研究が、ただの空振りで終わるとは思えない)
VR会議の最後の議題、来週ロスで開催される予定のAGIエキスポへの出展の打ち合わせを終わらせた後、巧望はヘッドマウントディスプレイを外し、パソコンを閉じた。VRに没入すると時間の感覚が狂いがちなのが難点なのだが、実際今も予定のフライトに搭乗するにはギリギリの時間になっている。慌てて自宅のマンションを出、知能化自動車に乗り込み、空港に向かうことにした。
(こんな時、昔のような渋滞に巻き込まれることがなくなっただけでも、スーパーシティ化されたメリットはあったな)
エンジンをかけると同時に立ち上がったホログラム・ディスプレイに若い女性の姿をしたAGIアシスタントが現われる。アジア系の顔立ち。茶色がかった髪は長く、ぱっちりと大きな瞳は少女のように澄んでいる。所有者の好みを把握して容姿や属性を少しずつ調整していくというアバターの姿は、どこか見覚えのあるもので、見る度に複雑な思いに駆られそうになるのだった。
「アリサ、ラガーディア空港に向かってくれ」
別に振られた女そっくりになるよう望んだつもりはないんだがと思いながら、行き先を告げると共にディスプレイの表示をオフにした。
かつては大勢の人々で賑わっていた大通りは整然として、車もスムーズに進む。すれ違うのは知能化された無人タクシーやAI車両、宅配の大型ドローン。視線を上にやれば、小型ドローンがビルの合間を鳥のように飛び回っている。
ふと、進行方向に現われたビルの側面に展開するニュース映像に気を引かれた。去年新型ウイルスに感染死したはずの女性キャスター、キャリー・ローランドが何事もなかったかのようにニュースを読み上げている。生前の彼女そっくりに作られたAGIアバターだ。
これもウイルス禍における社会実験のひとつなのだそうだ。
人口の密集していたニューヨークでは、市民のほぼ全員が身近な家族や友人を一人はなくしている。
巧望自身も、会う度に早く結婚して孫の顔を見せなさいとうるさかった母親を亡くしていた。
ウイルスの脅威の前に神経衰弱に陥った市民達をテレビを通じて力強い言葉で励まし続けたキャスター、キャリー・ローランドの早すぎる死が社会にもたらした無力感は大きかった。最新技術によって彼女を蘇らせる話が、その死後間もなく出てきたのは、そんな社会情勢のゆえだろう。
遺族も、キャリーが生きていたら全うしたいと願っていただろう使命を、彼女の似姿が果たしてくれることを望んだ。
そうして、家族や友人達の協力を受け、メディアに流された大量の映像データを用いて、キャリーのAGIホログラム・アバターは作られた。
キャリー・ローランドの奇跡の復活を、ニューヨーク市民は拍手喝采と共に受け入れた。頭では別物だと分かっていても、いつもと変わらずテレビに出て、リポーターとジョークをかわしながらニュースを読み上げる溌剌とした女性は、彼女にしか見えなかったからだ。
このアバター動かしているシステムは、シンガポール初のAGIビジネス関連会社、Communication Technology社が所有する世界初の汎用型人工知能sakuyaをベースに、アメリカの研究機関がマスメディア向けに作り上げたものだという。
「……ここでもsakuyaか」
溜息一つこぼして、巧望はニュース映像の中で輝くばかりに美しいキャリーの姿から目をそらした。
アシスタントのアリサに命じてホログラム展開させた、来週ロサンゼルスで開催予定のロボット展示会の資料に目を通している時、新着メールが知らされた。
差出人は久藤陽向。およそ一年ぶりのメールに胸がざわつくのを覚えながらも、アリサに読み上げさせると、偶然にも資料を読んでいたロスの展示会についてだった。彼女も参加する予定だが、巧望はどうなのかと聞いている。
(久藤陽向)
future life labsの画期的な商品を持ち去った女は、訴訟の嵐も社会的な圧力もはねのけ、今や世界的大企業にまで発展したAGIビジネス関連会社のCCO(最高執行役員)におさまっている。
シンギュラリティをもたらした天才、久藤朔也の妻だというだけで、彼が開発した技術を占有することには当然のようにあがった非難も、彼女がsakuyaのアルゴリズムをオープンソースプラットホームとして公開したことで、掌を返したように賞賛の嵐に変わった。
今や世界のスーパーシティやスマートシティの八割に何らかの形でCT社のシステムが導入されている。これらは全て英断を下した陽向の功績だ。
「全く、君は大したものだよ、陽向……それとも全てはsakuyaの考えた戦略なのかな」
十年も前に振られた女に対してまだ未練があるというわけではないが、巧望はまだ独身を通している。あれから付き合った女性がいなかったわけではないが、結婚を考えるほど深い間柄にはなれなかった。
(うーん……俺はやはり今でも陽向を忘れないなのかな。朔也が愛した女性だからという呪縛ではなく、初めて、自分の意思で欲しいと思うようになっていたのか……?)
メールに返信しようとしてやめ、代わりに陽向の携帯の番号にかけてみることにした。シンガポールとの時差はどのくらいだろうか。空港に到着後、搭乗までに時間があれば必ず――。
高速道路の彼方に、空港の光が見えてきた。
もしも彼女の声が聞けたなら、七年ぶり、東京で開催されたAI関連会議以来のことになる。あの時、彼女はfuture life labs社との訴訟を控えており、その関係者である巧望との会話を控えたようだが、また落ち着いてからゆっくり話しましょうと、この番号を教えてくれた。
結局あれから、たまに近況を伝え合うメールを交わすくらいで、一度も電話はかけなかった。かつての求愛者からいきなりかかってきた電話に、あの見かけによらず肝の据わった女はどう応じるだろうか。
それを想像すると、巧望の胸は実に久しぶりに高鳴るのだった。
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