極端な話

りんたろう

評価の正当性は何処に宿るか?

「アタシね、ドビュッシーの生まれ変わりなの」


 思わずバイオリンをケースに入れる手を止めた。ゆっくりと顔をあげる。


 いままで一度も話したことのない女子だった。同じ弦楽部だということはわかるがどこのクラスなのか、何という名字なのかも知らない女子。


 その不細工な顔立ちは教室に差す茜に彩られても、やっぱり不細工だった。


「なんて?」


 聞き返しながら片付けに戻る。部活終了のミーティングまで二十分。電波女(しかも可愛くない)の戯言に付き合っている暇はない。


「アタシ、ドビュッシーの生まれ変わりよ」


「あ、そう」


 顔も見ずに言うと「信じてくれないのね」と悲し気のない声が聞こえた。それを無視し、譜面台を畳んでいると今度はピアノの鍵盤の蓋を開ける音が聞こえ、弾む音色が頭に反響しはじめる。


 アラベスク第一番。ドビュッシーの代表的なピアノ曲。


 なるほど。生まれ変わりを自称するからには相応の技術がいる。彼女の演奏はそのボーダーラインを越えていた。


 俺もピアノは五歳の頃からやらされていた。腱鞘炎になって、けれど我慢できずに弾いて、そしてもうどうしようもなくなるまでは。それまではいろんな賞をとってきた。神童ともてはやされてきた。


 だから演奏の良し悪しはわかる。そして彼女のアラベスクは今まで聞いた中で一番よかった。


「どう?信じる気にはなったかしら?」


 演奏を終えた彼女が俺に問う。俺は首を横に振った。


「一曲だけじゃわからないよ」


 彼女は微かに笑って頷いた。


「いいわ、明日も弾いてあげる」


 彼女が鍵盤の蓋を閉じた。以来彼女は俺に話しかけてこなかったし俺も彼女に話しかけなかった。


 他教室で練習していた面々と合流して軽いミーティングをし、帰宅した。



 翌日、やっぱりミーティングの二十分前。彼女は鍵盤の蓋を開けた。


 月の光。これも有名な作品。そして今まで聞いた中で一番の演奏。


 その翌日は、雨の庭。前二つの作品より知名度は無いが、やはり名曲である。今までで一番の演奏。


 そのまた翌日は、亜麻色の髪の乙女。有名作。今までで一番の演奏。



 そうやって彼女は毎日、俺にピアノ曲を聞かせた。知らない曲もいくつかあった。未発表のものもあったかもしれない。



 そして俺は彼女を信じることにした。


 彼女が生まれ変わりであろうとなかろうと、彼女の演奏が優れていることに違いはない。騙されてもいいと思えたのである。




「どうして俺に打ち明けたの?生まれ変わりだって」


 ある日の音楽室。初めて話した日のように部屋は赤く彩られていた。彼女はいたずらっぽく笑う。


「夢があるのよ。あなたに手伝って貰おうと思って」


 俺はその夢というのを尋ねた。


「アタシね、ピアノの発表会だったら誰も敵じゃないのよ。だかろ少し退屈してきて、だから趣向を変えてみようかと思って」


 彼女はそう前置きした。趣向が変わったとしても、この子は名曲を作り続けるんだろう。俺はそう楽観して、彼女の次の言葉を待った。


 彼女は夢を口にした。


 ああ。なんてことだ。それはきっと。


「無理だよ」


 俺は言った。彼女の動揺が表情から見てとれた。


「なんでよ」


「言えない」


「信じてないのね。私が生まれ変わりだって」


「信じてる」


「じゃあなんで」


 言えるわけがないじゃないか。


 


 日本のトップチャートには、君のような不細工は載らないんだよ。なんて。



 彼女の夢、日本のトップチャートに載る。これは叶わない。

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極端な話 りんたろう @rintaro819

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