不幸が過ぎる俺が転生したのは、魔王の眼の前でした。~超能力があれば剣と魔法の世界でも無双できますか?~
ジオニキ
あいつの近くに寄り付かない方がいい。呪われるぜ
得てして、物事のきっかけというものは些細なことに過ぎない。
誰も気にしないような小さなことが始まりとなり、気がつかないうちに手の施しようがないほどに大きな事象となる。それこそ、雪だるま式に。もしもあの時、ああしていれば。
その言葉がどんなに無意味なものであるのかを、この夏十七歳を迎えようとしている俺こと
ところで、“超不幸体質”という言葉を聞いたことがあるだろうか?
自分で言うのも何だが、俺は俺という人間を言い表す上でこれ以上相応しい言葉は他にないであろうと自負している。端的に言えば、俺は何かにつけて運がない。
思えば、それは幼い頃に母親が再婚して、名字が変わったことから始まったように思う。何その変な名前? と気になった人も多いだろう。実際よく言われるしな。
だが、俺の元の名前は
ノロイカケル、なんて冗談みたいな名前なってからというもの。道を歩けば鳥のフンが顔にあたり、遠足に行けば必ず雨が振り、人混みに入れば必ず財布をスられる。努力をすればするほど報われないなんてことは当たり前。
リレーの選手に選ばれたかと思えば本番当日に肉離れを起こすし、高校受験の日なんかは験げん担ぎに食べたカツ丼で食中毒を起こしたりもした。おかげで第一志望の高校に入れなかった苦い思い出もある。
ノロイカケルなんて名前なのに、皮肉にも俺自身が呪われているかのような運の無さ。俺はいつしか、”努力”なんてものが無駄なものであるということを学んでいた。
ただ運が悪い程度で何故そんなにも性根が歪んでしまっているのかと、疑問に思う意見もあることだろう。俺自身、第三者の立場だったのなら同様の意見を言うに違いない。
しかし、物事には限度というものがある。俺の超不幸体質というものは、そんな限度というものはとっくに突破していたのだ。
高校に入って、もうすぐ二度目の夏休みを迎えるという頃。もうそんな時期だというのに、俺はその特異な体質ゆえに、周囲の人間はどんどん自分から離れていき友人と呼べるものは一人として存在していなかった。
今日も今日とて、その身に降りかかる不幸を最小限にできるよう、とにかく目立たず波風立てないことだけを意識して過ごすだけの生活。
「あいつの近くに寄り付かない方がいい。呪われるぜ」
もうすぐ夏休みだと、浮かれている同級生達。時期が時期だけに殆どの人間はヘラヘラとして半ばお祭りムードだというのに、そんな時でも俺のことを指さしてはヒソヒソと噂している輩もいる。
まぁ、これはいつものことだ。名前に関してイジられる程度で怒るほど、俺もガキではない。
……強がるなって? 良いだろう、正直に言おう。
俺だって本当は友人の一人くらいは欲しい。しかし、俺は同級生達から避けられている。その理由は、以前は自分だけに降り掛かっていた不幸が、最近では身近な人間にまで及ぶようになっているからだ。
原因として思いつくのは一つ。それは、俺の忌々しい思い出だ。
※
冗談かと思うほどの質たちの悪い名前でも、俺は小学校低学年くらいまでは問題なく生活していた。きっかけは、確か小学三年生のときだ。無邪気だった子どもたちが徐々に色気づいてきた頃。
ついに俺の名前のことで弄られてしまったことが始まりである。
「ノロイだ! ノロイをかけられるぞ!」
それが決まり文句だった。
最初はからかっていただけだった同級生達の嫌がらせは、そう時間もかからずにエスカレートしていった。それは嫌がらせのレベルから簡単にイジメへと昇格し、物を隠されたり掃除の時に水をわざとかけられたり、先生に見えないように殴られたり蹴られたりは日常茶飯事。
ひどい時はコンパスで刺されたりなんかもした。
おかげで、俺の手足は常に生傷が絶えなかった。幸か不幸か親は俺のことに興味が無かったようで、大人たちにイジメが発覚することもなかったが。面倒ごとになるのは嫌だったので、これは俺にとって好都合だった。
どんなにイジメられてボロボロで帰って来ようと、学校から帰るといつも家の中は真っ暗であり、机の上にぽつんと五百円玉が置いてある。これは、夕食と朝食はこれで何とかしろという、親たちからのメッセージだった。
夕方頃におつかいを装ってスーパーで惣菜とおにぎりを買い、家で一人テレビを見ながら味気ない夕飯を食べる。食べ終わったら、その残骸が少しも残らないようゴミなどは綺麗にまとめておく。
小学生ながら、無理やり習慣づけられた行動だ。だってそうしないと、“アイツ”にこっ酷く殴られていたから。
アイツというのは、母親が再婚した相手。名前は
母親がそう呼んでいるから、俺もそう呼ぶだけ。……間違っても、あんな奴をお父さんだなんて呼びたくなかった。
母親も母親で、鉄哉さんの暴力に関しては黙認しているのでタチが悪い。俺が殴られようと蹴られようと、一切口を出さない。
俺には全く理由が分からないが、あんな奴に気に入られようとして母親は必死なのだろう。結局、母親も自分のことしか考えていないのだ。
俺の家では夜九時まで、すなわち鉄哉さん達が帰ってくるまでに自分の痕跡は消去し、部屋に籠もっていないと彼らの機嫌を損ねてしまう。
……まぁ、決まって夜九時ってわけでも無かったけど。夜九時を過ぎても親たちが帰ってこない場合は、俺は家の裏口に運動靴をそっと移しておくことにしていた。
なぜかというと、そういう時鉄哉さん達は深夜に酔っ払って帰ってくるからだ。
酒臭い匂いを撒き散らしながら、玄関でガーガーいびきを立てて寝てしまうためである。おかげで朝学校に行く時は大変だ。前に一度、家を出る時にうっかり起こしてしまったことがあった。
その時は学校に行く前だというのに、強烈なボディーブローを食らったものだ。アレは随分と堪えた。
そんな理由わけで、彼らの帰りが遅い翌日は裏口からこっそり出ていくことにしている。親たちは俺に全く興味がない。せいぜい日常生活のストレスの捌け口くらいにしか思っていないだろう。
俺もそのことに幼いながらに気づいていたので、家ではできるだけ自分の存在感を消すことにしていた。変に目立ったりしなければ、殴られたりしなくて済む。
いつも顔だけは殴られずにいるのは、学校にバレると面倒だからだろう。学校でもいじめられ、家でも暴力を受ける。ただでさえ厄介なのに、そこに先生まで巻き込んでしまっては本当に困ったことになるだろう。
学校から注意が入れば恐らく、いじめや家庭内暴力は悪化する。俺の周りにいるのはそういう奴らだ。
……話を戻そう。とにかく俺の小学校生活はそんな感じだったので、当初は沢山いた友達も徐々に減っていき、小学校を卒業する頃には友人と呼べるものは誰一人いやしなかった。
そんな俺も中学生にもなると、随分と背が伸びていた。身体が急に大人に近づいたことで、反撃を恐れたためか鉄哉さんの家庭内暴力は随分と減った。代わりに、学校でのイジメの方が苛烈になっていたが。
エスカレーター組の情報網により、中学校でもイジメは続いた。
人間とは不思議なもので、いくら悪事であっても周りが悪びれもなく行なっているのを見ると「自分もやって良いのかな」なんて勘違いをしてしまう。俺のことをほとんど知らないハズの中学からの同級生も、エスカレーター組と一緒になって俺のことを殴ったり蹴ったりしていた。
まぁ、それも今になって思うと仕方のないことだ。それが彼らにとっては日常であり、普通のことだったのだ。
何故なら、“みんなやっているから”。
無論、俺だってそんな状況を良しとしていたわけでは無かった。殴られれば痛いし、辛くて悲しい気分になる。家ではいないもののように扱われ、学校では酷いイジメを受ける。
それでもなんとか耐え忍ぶことができていたのは、俺にも心の支えがあったからだった。
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