慟哭<ロイエ視点>
ミチル様を抱き締めて慟哭するルシアン様に、声をかけられる者はいなかった。
かけたとして、何と言えば良い。
ここにいる誰もが、ルシアン様がミチル様を心から愛していた事を知っている。
ミチル様と共に生きる為に、己を変えて、どんな苦労も惜しまず、ただひたすらに、ミチル様だけを求めた。
だからこそ、ミチル様が亡くなられた今、自ら命を捨てようとする事だけは確かだった。
凶器になりそうな物は全て、ルシアン様の周囲から遠去けられた。
一人にしてはならない。
それが、その場にいた者の総意だった。
ルシアン様はミチル様の亡骸を離そうとはしなかった。
眠らず、何も口にせず、ただ、ミチル様の髪や頰を、慈しむように撫でた。
まるで、そうしている内にミチル様が目覚めると信じて疑わないように。
緩やかな死を望んでいるとしか思えないルシアン様を、とにかくミチル様の亡骸から離し、眠らせなければならない。
その役割を担ったのは、父であるベネフィスだった。
ベリウム湾周辺にいて、試作艦により命を奪われた筈の者は、全て生き返った。そう、生き返った。私も含めて、皆。
その奇跡を起こしたのは、間違いなくミチル様だった。
試作艦が消滅した事を確認し、ここに集まったリオン様が目にしたのは、抜け殻になったルシアン様とミチル様の亡骸だった。
死した筈の自分達が生き返った事に、リオン様は気付いたのだろう。
リオン様が読み、ルシアン様が読み、私も読んだ雷帝国初代皇帝の日記を。
ミチル様は女神に願いを叶えてもらったのだろう。
これだけの人数を蘇生するような願いに、何の対価も無い筈が無い。
対価は、他でも無いミチル様ご自身。
皇帝の日記を読まずとも、ミチル様が助けてくれたのだと、誰もが感じていた。
あの日、セラは泣きながら言った。
"守る為に生きてきた。それなのに、守れなかった。
自分を、殺したいよ……"
それ以上は言わなかった。
今は、ミチル様の言葉を守る為に、ルシアン様を死なせない為に、セラはルシアン様の側に侍る。
イルレアナ様は、ルシアン様に抱かれるミチル様の頰を撫で、涙を零しながら言った。
"一人で、全てを抱えて……大変だったでしょうに……"
ソルレ様は、唇を噛み締めて、ミチル様をじっと見つめていた。
ゼファス様はミチル様の好きなお菓子を持っていらして、長い間ミチル様の顔を見つめて、去って行った。
皇帝はミチル様の姿を見て、その場に膝をつき、両手で顔を覆っていた。
族長は床に伏して、額をこすりつけ、その大きな身体を震わせた。
父 ベネフィスに気絶させられ、一週間ぶりに眠りに落ちたルシアン様から、ミチル様を離す。
亡骸をそのままには、しておけない。
侍女によって清められ、着替えたミチル様をベッドに横たわらせると、まるで眠っているかのようなその姿に、涙が抑えられなかった。
公家の面々がミチル様の元にやって来ては、言葉を見つけようとして、声を失って、去って行った。
「ミチルは、フィオニア様の様子と、似ていますね」
アレクシア陛下の言葉に、誰もが耳を疑った。
私達は諦めきれなかったのだろう。
アレクシア陛下のその言葉を信じたくて、調べてもらった。
結果は、アレクシア陛下が仰せの通りだった。
ミチル様は、かろうじて生きている。
フィオニアと同じで、いつ目覚めるのか、目覚めないまま亡くなられるのか、何一つ分からない。
分からないが、その報告を受けてから、ルシアン様はお食事を取られ、お休みになるようになった。
ただ、その目が映すのは、ミチル様だけだった。
*****
あの日、ミチル様の願いを受けて女神が起こした奇跡は、大陸の隅々まで渡った。
ディンブーラ皇国も、雷帝国も、ギウス国も、大地の隅々まで魔力が行き渡り、緑を取り戻した。
亜族に成り果てた者達も、人の姿を取り戻し、眠るように息を引き取っていった。
皇都の水源であった山には木が生い茂り、水を蓄えるようになった。
アレクシア陛下は正式に退位された。
皇嗣殿下であられたイルレアナ様が皇位を継いだ。
イルレアナ様は高齢だ。後継者となる筈だったミチル様が皇太子になるのは不可能だった。
それでも、皇位を継がれた。バフェット公爵夫人であり皇女であるリンデン殿下は、自身も、そのご子息にも皇位を継がれる事を良しとしなかった。
秘した訳でも、広めた訳でも無かったが、何処からかミチル様に関する情報は皇都に広まっていった。
命がけでマグダレナ大陸を守ったのだと。
私達はそのままにしておいた。事実そうであったし、皆の心に残って欲しかった。
ミチル様がいらしたら、本気で嫌がるだろうと思う。
民の会話にミチル様が上がる事で、ミチル様がまだそこにいると信じたかった。
イリダとの戦争は終わった。
問題は山積みだった。
敗戦国となったイリダが、こちらの大陸にやって来る。
賠償は凄まじい事になるだろう。
それだけの事をした。
誰もが許す気は無かった。
だが、そうした所でミチル様は戻らない──。
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