絶望<ルシアン視点>
僅かに動かすだけで痛みが全身を巡る。
膝から先が砲弾による爆発で無くなってしまった所為だ。
ロイエとアビスは、爆発だけでなく、魔力を吸われて動けなくなってしまった。
俺も同じ状況に陥ってもおかしくない筈なのに、何故動けているのかは不明だが、今はその事に考えを巡らせている余裕は無い。
早くミチルの元に行かねば。
奥歯を噛み締めながら、腕だけで前に進んで行く。
別々の場所に向かおうとしたあの時、ミチルがあんなに嫌がったのは、こうなる事が分かっていたのだろうか。
いくら彼女が特別な存在だからと言って、そんな事はあり得ないだろう。
そう思うのに、今は後悔が押し寄せる。
ミチルを至星宮に置いて、自分だけ皇都に向かおうとした時、彼女は怒った。
嫌がる事はしないと約束したのに、俺はまた、同じ過ちを犯したのだ。
虫の知らせでも何でも良い。彼女は俺と離れたくないと願ったのだから、叶えるべきだった。
それなのに、この様だ。
罰が当たった。
「……っ」
痛みがダイレクトに脊髄に響く。
その度に口の中に鉄の味が混じる。
この身体は長くは保たないだろう。
肋骨が折れていると思う。
両脚からの出血も、傷の割には多い。
「ミチル……」
もう、生きていないかも知れない。
見上げた先の要塞は、見るも無残な程に試作艦の砲撃を受けていた。
祈りは失敗した。
何度も魔力を奪われた。
守れなかった。
ミチルだけは守りたかったのに。
それでも、ミチルの元に行きたい。
要塞の上空に、再び光が灯る。
もしかして、皆、無事なのか?
…………いや、違う。さっきとは光が違う。
この光は、ミチルが歌う時に起きる、魔素が魔力に変わる時の光だ。
……ミチルが、生きてる?
赤、オレンジ、緑、青、七色の光が浮かんでは消えた。
何が起きてる──?
歌が、かすかだが、聞こえる。
間違いない、ミチルの声だ。
生きてる事が嬉しいのに、何故、こんなにも胸騒ぎが止まらないのか。
「止めろ」
駄目だと、脳の奥でもう一人の自分が叫ぶ。
「止めてくれ!」
止めなければ。
痛む度に奥歯を噛み、進んでいく。
前に進めない俺を嘲笑うように、要塞の上に光が集まっていく。
不意に、ミチルの声がした。
── 愛してます、ルシアン。
愛してます、誰よりも。
「ミチル……ッ!!」
要塞を光のドームが包み、その光は周囲をあっという間に飲み込んでいく。
俺も、何もかも、包むように。
温かく、優しくて、あまりの眩さに目を開けてはいられなかった。
目を開ける。
身体を起こす。
気絶していたようだ。
光に呑まれる前にあった身体の痛みが無い。
膝から先が元に戻っている。
何故──?
「ルシアン様!」
声のする方に顔を向ける。
ロイエとアビスだった。
馬を連れてこちらに駆けて来る。
「無事だったのか?」
「最後の魔力を吸われて意識を失ってからの事は覚えておりません。目覚めたら、怪我もなく、魔力も枯渇しておらず……戸惑いはありますが、今はミチル様の元へ向かいましょう」
馬に跨り、ミチルのいる要塞へと向かう。
何故馬も元通りに、生きているのか。
要塞は、意識を失う前に見たまま、砲撃による損傷を受けたままだった。
胸騒ぎは、収まる所か、酷くなる一方だった。
要塞の前で馬から降りる。
名乗ると扉は直ぐに開いた。滑り込むように中に入る。
城内は騒然としている。
呼び止める声を無視し、屋上を目指した。
駆け上がった屋上では、人の輪が出来ていた。
誰も何も話さない。
恐ろしく静かだった。
ミチルの姿が見えない。
分かっている。
あの輪の中に、ミチルはいる。
「アルト伯……」
俺の存在に気付いた人物の声に、輪が動いた。
イルレアナ様が、座った状態でミチルを抱きかかえている。
心臓の鼓動が早まる。
それなのに、全身の血を全て抜き取られたかのように、力が入らない。
ふらつく脚で、ミチルの前まで辿り着く。
イルレアナ様の腕の中にいるミチルは、青白い顔をしていた。
生気の、無い顔。
溢れ落ちるイルレアナ様の涙がミチルの上に溢れ落ちる。イルレアナ様が、震える手でミチルの頰を撫でる。
「ミチル、ルシアン様よ……会いたかったのでしょう? だから……起きて……っ」
悲痛な叫びだった。
痛かった。
胸が、とてつもなく。
手を伸ばしてミチルを抱き寄せる。
ミチルの首が、人形のように力なく傾いた。
体温の、感じられない身体。
「……ミチル……?」
呼び掛け、軽く揺らす。
啜り泣く声が聞こえる。
「ミチル?」
声が上手く出せない。かすれる。
咽喉が乾く。
頰に手を触れる。
冷たい頰に、胸が抉れそうになる。
「ミチル……ッ」
お願いだから。
誰か言ってくれ。
一時的に意識を失ってるだけだと。
そう願うのに、何処か冷静な自分がいる。
ミチルはもう、死んだのだと言う。
受け入れたくないのに、目の前の彼女が、それを肯定する。
力なく身体から離れる手。
生気のない唇。
いくら触れていても温かくならない身体。
ミチルの手に、何かが握られているのが見えた。
そっと手を広げると、婚約者だった際に送ったアレキサンドライトの、雫型のペンダントだった。
声が出なかった。
叫び出したかった。
鳩尾の辺りが、握り締められたように縮む。
苦しい。
胸が、心臓が潰れそうになる。
俺を、待っていてくれた?
だからこうして、ペンダントを……?
それなのに。
俺が守れなかったから。
間に合わなかったから。
俺が、あの時離れたから。
全てに後悔しかなくて。
やるせなさに、どうして良いのか分からない。
どうすれば良いのかなんて、答えなんて、一つしかない。
ミチルがいないのなら。
彼女のいない世界になんて、何の意味も無い。
死ねば良い。
短剣(ナイフ)を取り出し、首に突き刺そうとした腕を、強い力で止められる。
セラと、アビスだった。
「止めるな」
振り切るように短剣を首に当てようとして、手首を叩かれ、衝撃で短剣を落としてしまった。
慌てて拾おうとしたのを、アビスに奪われる。
「ルシアン様に何かあったら、ミチルちゃんに怒られるもの。絶対にさせません!」
今にも泣きそうになるのを、必死に堪えた顔でセラが言った。
「死なせてくれ。ミチルがいないなら、生きてる意味なんてない。生きていたくない!」
切実だった。
それが全てだった。
早く死ななければ。
ミチルが先に行ってしまう。
強く抱き締める。
壊す程に、強く。
「ミチル! ミチル! ミチル!!」
どうして、何で。
誰かお願いだ。
今すぐ俺を殺してくれ。
お願いだから。
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