協力の要請<源之丞視点>

言綏はお気張りなさりませ、と言って出掛けて行った。

圧をかけていくな、と思うが、気の抜けぬ状況なのは事実なのだ。


言綏が用意しておいてくれた茶を煎れる。

イリダで販売するように持って来ていた茶葉を、自分たち用に少し取り置いていたものだ。

緑茶の苦味が今の私にはちょうど良く感じる。


オメテオトル殿が私に明かした秘密を、帰り道でも考えてはいたが、酔いも完全に醒めた今、もう一度きちんと自分の中で整理したいと思った。

助力の約束を覆す事はしないが、それでも。


もし自分が同じ事になった場合を考える。とてもではないが、誰にも言えぬ。言えぬが直ぐに周囲に知られよう。そうなれば私は公方の嫡男としての立場を失った事だろう。

執着したい場所では無い筈なのに、失うと思うと、途端に怖くなる。私自身の事がなかった事として扱われるのではないだろうか。

……きっと母上は哀しまれよう。


あるべきものが突然失われ、自分がなかったものとして扱われるかも知れぬ。そう思うだけで胸が騒つく。

想像するだけで不快なのだ。実際に己の事となったオメテオトル殿の心情はいかばかりであったかと思う。

──ここで言うなら、ショロトル殿と言うべきか。

安易に慰めの言葉など言えぬ。


これが元でショロトル殿は多重人格者になられたのだそうだ。初めて知った。多重人格と言うものを。

同じ事が己の身に起きた場合に、多重人格になるかは分からぬ。想像がつかぬのだ。

それに、私がならなかったからと言って、他の者はなるかも知れぬ。だからこそ、ショロトル殿はそうなった。

言綏はショロトル殿の事を私よりも知り得ていよう。知ったからとて何が変わるでもないが、知りたいと思う。


オメテオトル殿が私に言った願いは、きっと全てではないだろう。

ただ、彼女が言った願いは我らの願いと交わる。だからこそ、助力を約束した。


"呪われたイリダ王家を滅ぼしたいの。

私は、次の王だけれど、王になったからと言って出来る事は限られているわ。万能ではないのよ、王権も。

イリダ、オーリー双方の上位貴族の癒着と腐敗は凄まじくて、少しずつ力を削いでも別の勢力が出てくるだけ。

それに彼らに手を組まれれば厄介だわ。直ぐに玉座から下ろされてしまう。

だから、一度にまとめて葬るしかないの。

その為に、マグダレナへ戦争を仕掛けようとする私は大罪人よ。それでも、私はやらなくてはならない。そうしなければ、いずれマグダレナもオーリーもイリダも、全て滅ぶわ……"


私としても戦争など絶対に反対だ。いつも犠牲になるのは民である。欲を持ち、決定する者たちは大概安全な場所にいて命じるだけだ。己が痛みを伴わないからこそ、あのような非道な事が思い付ける。

……兄が良い見本だ。マグダレナの民が傷付く事など考えずに己の益だけを考えて行動した。


オメテオトル殿は、マグダレナへ攻め込む為に既に始まっている戦艦の整備に手を加えたいのだと言う。

戦艦に搭載する大砲などは当然と言うべきか、王直轄の研究施設が受け持つ。イリダは明確に軍と言うものを持ち得ぬ。強いて言うならオーリーの上位貴族がそれに該当するそうだが、必要以上の技術を持たせて反乱を起こされては困るからと、技術的な部分はイリダのみが掌握しているのだ。その機器を無力化まではいかずとも、威力を減らしたいと考えている。

そうして、マグダレナとの差を埋めて、腐った者達を全て戦争でまとめて海の藻屑にしたい。そう言った。


イリダ王家が滅んでも構わぬのかとの私の問いに、オメテオトル殿は微笑んで言った。


"直ぐにはなくならないわ。戦争ともなれば敗戦国がその賠償を行わなければならないもの。その責めを下級国民にさせられる訳ないでしょう? 最後は王族がその責任を取るの。それが王室に生まれた者の義務でしょう。

私はマグダレナに行き、赦しを乞うつもりでいるわ。下級国民に罪はない事を分かってもらって、彼らの知識と技術をあちらとも共有すれば良いのよ。そうして魔石を正しい値段で購入させてもらって、イリダのエネルギー問題を解決し、イリダの大陸に今もある毒の研究を行うのよ。

今私たちがいるこの大陸は本来オーリーの民のもの。オーリーに返すべきよ。私たちイリダは、神が我らに作り賜いし大陸に戻るべきなの……。

アスラン王が新しく国を興し、イリダも新しく国を興すべきだわ"


何という深謀遠慮。

民には責を負わせぬよう配慮する。当たり前であるのに、それが出来ぬ者は存外多い。

権力者はどうしても、鈍化する。

そうならぬように、私も気をつけねばならぬ。


扉を叩く音に、我に返る。


「二条、起きてるー?」


ホルヘ殿の声だった。


立ち上がり、扉を開けると、湯気をたてたパンを手に持ったホルヘ殿とアドリアナ殿が、いつものように笑顔で立っていた。


「二条と一緒に食べようと思って買って来たんだよ」


遠慮なく二人は室内に入り、テーブルにパンを置く。


「焼きたてのコンチャだよ! コーヒーもあるよ」


巻貝のような渦模様が刻まれたコンチャと呼ばれたパンは、上に砂糖らしきものがたっぷりとまぶされている。

甘そうな匂いが部屋に広がる。


にこにこしながらコンチャに噛り付くホルヘ殿。コーヒーを注ぐアドリアナ殿。

二人とも、研究員でありながら連日ここにいるという違和感に気付いてないのであろうか? まさか私の元に来る事が研究の一環になる筈もない。


何と切り出したものか……。

私は演技は苦手だ。嘘はもっと苦手だ。

きっと今の私は、いつも通りではないだろうと思う。


「二条? 食べないの?」


「冷めちゃうよ?」


「……目的を教えてくれぬか?」


ホルヘ殿の笑顔が固まる。


「……従者に何か言われた?」


従者とは言綏の事だ。


私は首を横に振り、ホルヘとアドリアナを見た。

二人は手に持っていたコンチャを手から離した。


二人の顔から笑顔が消えた。

やはり、作られた笑顔なのだな。


「単刀直入に言えば、オレとアドリアナは、レジスタンスを率いてイリダ王家の転覆を目指してる。

もし失敗した場合は、燕国に亡命したい。それを受け入れてもらいたくて君に近付いたんだよ、燕国公方の御子息である二条様」


「成る程」


「驚かないのね?」


思わず苦笑する。


「……さすがに何か目論んで私に近付いている事ぐらいは分かる」


覚悟があるのか、元々話す機会を伺っていたのかは不明だが、随分すんなりと話してきたものだ。


「二条はこの国がマグダレナを攻めようとしているのは知ってる?」


アドリアナの言葉に私は頷いた。

彼女は眉間に皺を寄せて話し始めた。


「イリダの王族は頭がおかしいわ。マグダレナを征服して、オーリーの民と同じように支配するつもりなのよ、きっとね……」


冷めるから食べて、と言われたので、コンチャをひと口大に千切り、口に放り込む。思った通り甘い。続けてコーヒーを口に入れると、丁度良い塩梅になる。


「戦争には私たち下級国民やオーリーが行かされるに決まっているわ。マグダレナには毒が蔓延していて、それだけで死んでしまうと言うのに!」


吐き捨てるように言い放つアドリアナの様子に驚いていると、ホルヘが悲しげな顔で教えてくれた。


「マグダレナに行き、毒にやられて死んだ研究員は、アドリアナの恋人だったんだ」


あぁ、そうなのか。

だからレジスタンスを作ったんだろうか。


「このまま奴らの思うままにしていてはこの国は勿論、オーリーも、マグダレナも滅ぶ。どうしようもない国だが、オレはイリダという国を愛してるんだ。だから、何とかしたいんだ。

迷惑はかけないようにするつもりだ。駄目だった時に、レジスタンスのメンバーを燕国に受け入れて欲しい」


頼む、とホルヘ殿は頭を下げた。

アドリアナ殿が私を見つめる。


「……私はある人物に手伝うと約束をしたのだ」


顔を上げたホルヘ殿は、それは? と、聞いてきた。


「イリダ王族のショロトルと言う人物だ」


途端に二人の顔から表情が消える。

自分たちの計画が早々に失敗したと思ったのだろう。

アドリアナ殿の握り締めた手が震えている。


「ショロトル殿の望みは、イリダ王家の転覆なのだ」


「…………は?」


「え……?」


「私は口下手であるから、上手く説明出来なかったら申し訳ない。分からぬ事があったら聞いて欲しい」


二人は怪訝な顔のままだ。


「ショロトル様と言えば、次の王となられる方だ。そんな方が何故、王家を転覆させようなんて」


知られている断片的な情報だけで見ればそうなのだろう。

だが、そうではないのだ。


「ショロトル殿は、現状を打破する為に今回の戦争をけしかけた」


「ほらみなさ」


アドリアナ殿をホルヘ殿が止める。


「続きを話してくれ、二条」


「ショロトル殿はこのまま順当にいけば王位に就かれるだろうが、それでは結局この国を改善する事が出来ぬと思っている。知っての通り王族や上級国民、オーリーの上位貴族の癒着が甚だしい為だ。

癌となるこの者達の前にマグダレナという餌をチラつかせ、戦争に向かわせ、一網打尽にするつもりなのだ」


「……信じられないわ……」


「ショロトル様にメリットが無い」


ホルヘ殿が厳しい目を向ける。

その通りなのだ。オメテオトル殿は私に全てを話していないと思うのは、そこだ。


「多分だが、ショロトル殿はマグダレナ大陸に行きたいようだ」


二人は何か思案し始めた。

先に口を開いたのはアドリアナ殿だった。


「マグダレナ大陸に行って何をすると言うの?」


「詳しくは分からぬが、下級国民の助命嘆願をすると言っていた。それが王族としての勤めだと。あの口振りからして、王家もいずれは終わらせるつもりでいるのであろう」


アドリアナ殿が息を飲むのが分かった。


「オーリーはどうするつもりだ?」


「アスラン王には新しくオーリーの為の国を興してもらうつもりのようだ。その上でこの大陸をオーリーに返し、イリダ大陸の毒を解毒する研究を、してもらいたいとも仰せであった。エネルギーについては可能であればマグダレナから買わせてもらいたいとも」


二人は今度こそ茫然として、言葉も無いようだ。


「ショロトル殿は、ホルヘ殿とアドリアナ殿の力を貸して欲しいと仰せであった」


私の言葉に二人が反応する。


「マグダレナ侵攻用の戦艦を無力化するのに、筆頭研究員のお二人の力がどうしても必要だと」


「……本当に、滅ぼすつもりなのね?」


頷く。


「あのお方は本気だ」


アドリアナ殿は信じきれないのだろう。口を噤み、俯いて何かを考えている。


「二条、君は直接ショロトル様にお会いして、信用に足ると思えたのか?」


ホルヘ殿の問いに頷いた。


「多分だが、あの方はイリダ王室を憎んでいるだろうと思う。呪われたイリダと仰せだった」


それに、と言葉を繋げる。


「……本来なら誰にも知られたく無いであろう秘密を教えていただいた。その秘密は墓場まで持って行くつもりだ」


沈黙が続き、ホルヘは立ち上がった。


「少し考えさせてくれ」


「無論だ」


アドリアナの手を引いて二人は部屋を出て行った。

大きく息を吐き、椅子の背もたれに寄り掛かった。


二人がどう判断するかは分からぬが、伝えるべきは伝えたと思う。


すっかり冷めたコーヒーを飲みながら、コンチャにかじりついた。

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