猫を獅子にする案に便乗す<言綏視点>
某の前に、酒らしきものが入った玻璃の盃が置かれたが、断る。
「変な物は入れておらんぞ」
「いえ、ここに来る前に既に嗜みました故、これ以上飲んでは眠ぅなりますので遠慮致しまする」
「何を飲んだのだ?」
「メスカル・デ・テキーラを割らずに頂戴しました」
アスラン王がギョッとした顔をする。
無理もない。大変に強い酒であった。
「……テキーラは強いぞ?」
「なかなかに強い酒に御座りましたなぁ」
「ザルか?」
「ワクと呼ばれております」
ワク……と王の隣の御仁が呟く。
「飲み物は結構にて、お話をお願いしとぅ御座ります」
王は仕切り直しとばかりに咳払いをする。
「これまで我らオーリーはマグダレナの民に無礼を働いている。先にこちらの目論見を明かすのがせめてもの礼儀だろう」
白く濁った酒で咽喉を潤して王の話は続く。
「何処まで知り得ているかは分からんが、我らオーリーはイリダに情報を操作される事で分断されて来た。
王族は民から憎まれるように。王は民の命を守る為に上級貴族共の傀儡になるしかなかった。余も王として、民を守る為に傀儡でいる事に甘んじて来た。
──だが、イリダがマグダレナを我が物としようとしているとショロトルに聞かされ、腹を括る事にした」
ショロトル──アルト伯から教えていただいたイリダ王族の名である。
「イリダはマグダレナを属国とし、エネルギーを生産し続ける存在として飼うつもりでいる」
人が人を飼う。その傲慢さに虫唾が走るが、話を遮らぬよう、軽い相槌をうち、続きを促す。
「オーリーを労働力として使役し、マグダレナを家畜化する。それがイリダの考えだ」
何とも厭わしい話である。公方様から聞かされた際に、イリダの気質が分かっていたにも関わらず、あまりの不快さに表情を隠しきれなんだ。
「
「奴らは人の姿をした魔物だ。人とはここまで傲慢に、残虐になれるものかと思った」
下唇を噛み、眉間に皺を寄せる王の姿に、二条様を思い出す。あちらはあちらで、上手く行っていようか?
某が気付いていないとお考えであろうが、あまりに落ち着きなく視線が彷徨っていた。酒を注ぐ杯を用意しに立ち上がられた際に、懐から何かお出しになっていた様子からして、ロイエ殿に処方された頓服薬を飲まれたのであろう。隠せてはおらぬが、某に秘して何か為さろうとされているのは明白。
そも、杯をご自身で取りに行くなど普段なさらないと言う事すら失念されてらっしゃる始末。
本来であれば危険な事は避けていただきたい御身であるものの、事ここに至ってはそうも言っておられぬ。
若君が釣り上げた存在が大物である事と、怪我などされぬ事を祈るのみである。
ショロトル
「安寧に慣れ、享楽のみに生きる王侯貴族のお歴々の脳と言うのは、大概誤認してゆくものに御座りますよ。
己が神のように尊い存在であると勘違いし、己の為なら周囲が何でも受け入れると思い違いをしてゆく。
本来であればそのような傲岸不遜な人格にはならぬように教育を施されるものでしょうが、愚か者に囲まれて育てばさもありなん」
某の言葉に、アスラン王は眉間に皺を寄せた。
「諫言、耳に痛いが、その通りだ」
扇子を広げ、口元を隠す。
「イリダはもはや修復不能な程に腐り果てたる実。己が身の内に自浄作用を持たぬ国は遅かれ早かれ滅びるもの。
マグダレナに手など出さずば、もう少し延命出来たでありましょうになぁ。
その事だが、とアスラン王は某を直視する。
「マグダレナに遣わした者達は、帝国には入れたが皇国には入れなかった。そなたを遣わしたのは皇国か?」
「否。マグダレナに御座ります。今はとあるお方のお働きにより、大陸は一つに纏まっておりますからなぁ。
大陸の全ての民がイリダを迎え撃つ事になりましょうな」
それから、燕国も。
「その、とある方とは?」
ミチル様がいなければあぁも纏まる事はなかったと二条様は仰せであるが、あらしゃらずとも、アルト公なら別の者で代替させていよう。ただ、ミチル様あればこそ、無益な血が流れなんだと言える。
「リオン・アルト──魔王のような方に御座りまするよ」
「魔王……?」
怪訝な顔で聞き返される。当然の反応である。
人を形容するに、魔の王だなどと。
「アスラン王もいつかお会いする機会があればお分かりになりましょうな。
某も母国では神童と呼ばれ、それなりに自負もあり申したが、彼の御仁にお目にかかり、世界の広さと己の未熟さを痛感した次第に御座りますよ」
思い出して笑う。
本当に、世界は広く面白い。
「それは、どう言う意味だ?」
「気が付けばアルト公の手の上で踊っているので御座りますよ。誰も彼もが。出し抜けたと思ぅたとしても、それはほんの僅かな間。必ず絡め取られるのです」
「そのような者がいるのか……恐ろしいな。だが、今回の事で言えば心強いとも言える」
王はため息を吐く。
「その、ショロトルと言う御仁と、オメテオトルと言う女人の事に御座りまするが」
そう切り出すと、王が何とも言えぬ顔をした。何か可笑しな事を言うたか? 某の疑問に直ぐに気付いたのだろう。
いや、と首を横に振ると、王は息を吐いた。先程よりも深い息を。
「ドレイクからは聞いていないようだな。
ショロトルは狂人だ」
……狂人? 狂人がこれ程の謀を企てたと?
「何と言えば良いのか。ショロトルはイリダ王家の正当な後継者として生まれた由緒正しい血筋の持ち主だ。
現王はショロトルの父の従兄弟にあたり、ショロトルがあまりに幼かった為に代わりに王位に就いているだけなのだ。だが、権力は人を狂わせる。王はショロトルが成人しても王位を譲らず、あろう事かショロトルの王位継承位を不当に下げた。誰もがショロトルを狙っていると言っていい。その所為なのか、ある時からショロトルは奇行を
女人の格好をし、言動までそのように振る舞う。そう振る舞っている時のショロトルは、オメテオトルと名乗っている。少年のように振る舞う際にはケツァと名乗る。この時が一番危険だ。ほんの些細な事も許さず、他者を傷付ける。最近は殆どイツラコリウキとして行動しているが」
イツラコリウキ。初めて聞く名である。
「イツラコリウキの時も女性の格好をする。言葉遣いも独特でな、人を食ったように話す。オメテオトルの時よりも若めの女性の格好をしている。それぞれ違いがあるようだが、こちらからすれば意味が分からぬ。見目が美しく様になるからまだ、見る側としても救われるのだが……。
理解に苦しむ。何故あのように狂った振る舞いをするのか」
何度めか分からぬため息を王は吐く。
命を狙われない為に狂人の振りをすると言う話は聞いた事がある。なんら不思議な事では無い。
帝国にいた際に
「それは、振る舞いの話では無いかも知れませぬよ」
「どう言う事だ?」
咽喉を酒で潤しながら、王は軽く訊ねる。
「一つの肉体に複数の人格を持つ者がいるので御座りますよ。実際にショロトル殿にお会いしておりませんから、明言は出来かねまするが……。
そうであると仮定して話を続けさせて頂きまするが、心身に何か大きな痛手を受け、それに耐えかねたショロトル殿は、己の心が崩壊しない為に無意識に新しい人格を作られた。それがオメテオトル殿、ケツァ殿、イツラコリウキ殿ではないかと、推察致しまする」
「別の人格だと……? そのような事が起こり得るのか?」
「あり得るとお答え致しまするが、振りである可能性も御座ります。
むしろ王から見て
アスラン王は低い声で唸り出した。王は目の前で見て、ずっと振りをしているのだと思ぅていたのだ。そうであれば振りである可能性が高いのかも知れぬ。
それにしても、多重人格やも知れぬとは。
悩ましき事。
「堂に入っているなとは思っていた。あまりにも器用に使い分けてもいて、本心が見えなくて不気味だったのだ。
だが、別の人格だと言われれば、恐ろしく納得がいく」
成る程。複数の人格をお持ちであると認識した方がしっくりくる程である、と。
そうであるとするならば、オメテオトルの守りたきショロトルと言う存在は、己の事であり、己の事ではない。
崩壊しようとする
イリダにしては随分と殊勝な考えをお持ちだと違和感があったが、むしろその方が得心がいく。枯れても腐っても、その御仁はイリダなのだ。
王になるべき人物が、命を狙われたぐらいで別人格を作り出したとは考えられぬ。
約定通りに現王を退ければ良いだけの事。それだけの大義名分がある。王位が理由であるなら、他者を傷付ける事を厭わぬケツァなる人格が邪魔な王族全てを屠れば良いだけの、些末な事と言える。いくら貴族共が姦しいとしても不可能では無い。
平たく言えば、ショロトルを崩壊せしむる理由は王位では無いと見る。もしくは、時期を選んでらっしゃるのか。
オメテオトルはミチル様を求めてらっしゃると聞く。マグダレナ大陸から出たら意味を成さない、けれどあの大陸においては余人をもって替えがたい力を持つミチル様を。
その具体的な理由は見えて来ぬ。
ミチル様を入手する為に、戦争をけしかけるのだとするなら? 愚かで厄介な王族、上級国民、オーリーの上級貴族全てを一度に葬れるのではないか?
己の手を汚さず、下級国民を傷付ける事なく。オーリーの民を犠牲にもせず。
それが主目的とは思えぬが、邪魔者を排する手段としては非常に効率的と言える。
マグダレナや我ら燕国からすれば甚だしく、迷惑極まりない。
被害を減らす為に某が此処で出来る事──。
「アスラン王、王の望みはどう言ったものに御座りましょうや?」
「余の望みは、イリダから独立し、オーリーの新しい国を興す事だ」
頷く。
さもありなん。それ以外無かろう。
「イリダの王侯貴族が考えるマグダレナ侵略に関する情報を、知り得る全てを某に渡して頂きとう御座ります」
「中途半端に手を出せば燕国もただでは済まぬぞ?」
扇子を広げる。
「王、侮られては困りまする。多岐家は軍術に長けた家。その知識で
口元を扇子で隠し、笑ってみせる。
「負けはしませぬよ」
塔の中でお互いの身を食い合うような事しかしてこなかった者共に、負けよう筈もない。
「全身全霊を持って、滅ぼして差し上げましょうなぁ」
微笑んで見せると、王の両隣の御仁が顔色を失くす。
「元は同じ祖を持つ方々への礼儀として、後顧の憂いを断つ為にも、完全に心を手折って差し上げましょう」
アスラン王の口元がひきつった。
「楽しくなりまする」
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