前だけを見て来た<バフェット公視点>

このまま沈黙を続けても仕方ないと判断し、私から声をかける。


「リンデン」


「言うな」


即座に拒否される。


手に持っていた扇子をギリギリと握り締めている。握り締めすぎて、ただでさえ白い手が、更に白くなっている。


彼女は今日、政争に負けた。

ミチルの祖母、イルレアナ・ラルナダルトに。


ディンブーラ皇室において最も重要視されるのは、血の濃さである。

絶対に維持しなければならないとされてきた。

何も知らなかった以前は、ただの血統主義なのかと思っていた。そんなもの、どうでも良いとすら思っていた。

皇宮図書館で過去の女皇が残した文献を目にした今では、とてもではないがそんな事は口が裂けても言えん。

リンデンも、それは分かっている筈だが、ずっと憎しみに囚われていた彼女は、アレクシア陛下の存在により、ようやく前を見られるようになってきた矢先。


今回は、分が悪い。

こればかりは己の存在意義に関わる。


クレッシェンはそもそも、孫娘を女皇にしたかった訳ではない。彼女の望む事を援助した結果が、女皇だったのだ。

アレクシアは叔母であるリンデンの思いに応えたいと思ってしまった。


シドニア、バフェット、クレッシェンが組んだとしても、あちらは公家が五つ、アルト家門にレーゲンハイム家門が控えている。帝国皇帝とも先日の事で親交を深めているし、ギウスを救ったのはミチルだ。皇都民のミチル人気は高い。

公家が裏で手を回していたとしても、揺るぎない程の実績がある。

単純に血筋だからと息子を次期皇帝には推せない状況の上に、唯一無二の血筋。

勝率うんぬんの話ではない。最初から負け戦だ。


もし、リンデンがミチルの命を狙ったなら、リンデンも、息子も命を奪われるだろう。


「分かっているのだ……もう取り戻せない程に道を間違えてしまった事は」


自嘲気味にリンデンは言った。


「アレクシアを立派な女皇にする事。それをしるべとして生きてきた。だが、それは私の願望だ。頼れる者のいないあの子は私の願いを叶えたいと思って女皇になったのだろう……」


ため息を吐き、目を伏せる。

疲労がリンデンの美しい顔に色濃く出ている。


「全て、私の独り善がりが起こした事なのだ」


「そこまで分かっていて、諦められないのは、何に対してだ?」


「……私は一体何だったのかと思ってしまうのだ。

兄の死の切っ掛けを作った姉を憎み、姉の血筋だけは絶対に皇位に就けさせぬと決めて、手段も問わなかった。

図らずも兄の忘れ形見のアレクシアを得て、私は失ったものを取り返せた気がした。

それなのに、今こうして、私は全てを失おうとしている。己の愚かさによってな」


「そうではないだろう」


「違わぬ!」


「例え一瞬だとしても、デリア様の血を引くアレクシア様は皇帝になった。リンデンが言うように失敗しなかったとして、皇帝を退位なさる可能性は十分にあった」


リンデンは顔を上げて私を見た。


「アレクシア様は元々、皇帝になるべき方ではなかった。だが、彼女はなった。それは叔母であるリンデンの願いを叶えたかったからだ。その思いすら否定するのか?」


ひと筋の涙がリンデンの目から零れ落ちた。


「我らのやり方が正しくなかったとしても、我らなりの最上の手段を取り続けた。それは揺るぎない事実だろう」


リンデンの手を握り締める。


「イルレアナ様はアレクシア様とお会いになった際に、本当は女皇として努力せよと言いたかったのだそうだ」


「それは……」


「だが、アレクシア様の優しすぎる気性とその弱さから、諦めになられたと」


ボロボロと涙が滂沱の如く流れていく。


「あのお方は本当は女皇になどなりたくはないのだ、リンデン。だが、拒めばミチルを手に入れんとして他の公家が手を出す。貴女が何をするかも気にされている。ミチルを守る為に毒を食らう決意をされた。それがあのお方の正義なのだよ」


ハンカチーフをそっと頰に当て、流れる涙を拭き取る。

先ほどの激情が落ち着いてきたのか、大人しく私に涙を拭かれている。


弱くて寂しがりなリンデン。

誰もが誤解している。

本当は少女のように傷付きやすく脆い心の持ち主だと言うのに。皆、演技じみた男のような口調や振る舞いの彼女が、リンデン・バフェット・ディンブーラの真の姿だと思っている。


「公家の面々も、本来の公家の在り方を知ってしまった今、この国を正しい形に戻そうとしている。それが彼らの正義だ」


正義、とリンデンは呟く。私は頷いた。


「皆が、それぞれの立場での最善を尽くそうとしているのだ。我らがそうであったように」


それに、と言葉を続ける。


「今、一番慌てているのはミチルだと思うぞ」


私の言葉にリンデンは吹き出した。


「違いないな。アレは皇位になど興味がない所か、むしろ嫌がるだろう」


「そうだよ、リンデン。貴女は以前、ミチルを娘にしたいと言っただろう?

ミチルが女皇になったなら、アレクシア様を姪として愛し、支えたように、ミチルの事を娘として支えてあげると良い。あの者なら貴女の気持ちを受け入れるだろう」


リンデンはぎゅっと目をつぶった。


「そうだな……ミチルなら……まだ……許せる」


そっとリンデンを抱きしめる。

私の胸に顔を埋め、リンデンは声を殺して泣いた。


ずっとずっと、肩に力を入れて生きてきた。

愛する兄を流行病で失い、尊敬していた女性が行方不明になり、姉を愛せなくなった。

自制する所か勝手な事ばかりする姉に憎悪を向ける事でしか、リンデンは己の心の行き場がなかった。

アレクシア様が全てになっていた。


だが、もう、頑張らなくて良い。

誰も貴女から何も奪わないのだから。

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