オメテオトルの謎<言綏視点>

二条様は困ったように某を見る。何か言いたげな顔で。けれど何も言わずに別の方に視線を彷徨わせると、しばらくしてまた、こちらを見やる。


「仰せになりたい事があるのであれば仰せになられませ。その口は飾りで御座いまするか?

ちらちらと盗み見されて、鬱陶しい事この上ありませぬ」


言葉に詰まったのか、口をきつく結ぶ。俯いて、蚊の鳴くような声でおっしゃった。


「……勝手をして悪いとは思っておる」


だが、と言葉を繋ぐと、某を真っ直ぐに見据え「謝らぬぞ」と言って別の方に身体ごとお向けになる。


……本当に、この方は。

呆れてため息しか出ぬ。


されど、あの時の若君を思い出すと、今でも胸が疼く。

父である公方様に、あのように正面から向かわれたのはいつ以来だったか。

ずっと様々なものから目を背け続けた二条様が、はっきりとご自身の言葉で仰せになる事も珍しいと言うのに、その上、事を成し遂げし折には自分を公方にしてくれ、などと。


燕国の汚名を雪げれば良いと思ぅていたに、これではそうもいかぬ。

何としても、無事に成し遂げて、否、それ以上の成果を上げて、二条様に公方の座に就いていただかなければなるまい。




イリダの都──エテメンアンキ──に向かう前にラルナダルト家の宮殿に来ないかと、二条様と某にアルト伯からお誘いが舞い込んだ。


「ミチル殿が皇族の養子に入ったのは知り得ていたが、まさか本当に皇族であったなどと。真実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ」


アルト伯の妻、ミチル様はディンブーラ皇国の皇女を曽祖母に持つれっきとしたお血筋の方だった事が判明し、祖母君おほばぎみの生家であるラルナダルト家を再興なされ、家名を継がれたとの事。


小高い丘を登り切ると濃い色をした森が視界を埋め尽くす。その奥に小山のような宮殿が見えた。

森は思ったよりも深くなく、直ぐに視界が開けた。果たしてそこには大きな湖が広がり、その中央に宮殿が座している。

ラルナダルト家の宮殿で、至星宮と呼ばれるその宮は、宮殿ではあるものの、何処か神殿を彷彿とさせるような神秘的な雰囲気を醸し出していた。空気が静謐である。


「ようこそ、源之丞殿、多岐殿」


わざわざアルト伯が出迎えてくれた事に、二条様への親愛の情が偽りでは無い事が分かる。


「お招きいただき、感謝します、ルシアン殿」


久方ぶりの友を前にして、二条様の顔は喜色をあらわにされている。


案内されたサロンには既に一人の女人がいた。

二条様と私に気付き、立ち上がるとカーテシーをした。


「ご無沙汰しております、源之丞様」


二条様へにっこりと微笑まれた後、某を見て微笑まれる。


「初めまして、多岐様」


……これはまた、なんと。


若君の言葉を疑った訳ではないが、帝国において絶世の美女と呼ぶに相応しい皇帝の(前)正妃を幾度となく目にしてきたし、(前)側妃達も花のように美しかった。

今更どんな美女が出て来ても驚くまいと思っていたのだが、どうしてどうして、世の中は広いものだ。


ミチル様に向けて深々とお辞儀をし、挨拶をさせていただく。皇国の皇族に相対するのは初めてであるが、ミチル様から醸される空気は柔らかく、皇族などに見られる高圧的なものもない。元々そのようにお育ちになられなかった訳であるから、纏われる雰囲気にも納得がいくというもの。


「初めてお目にかかります、多岐 言綏と申します」


顔を上げると、アルト伯の刺すような視線を感じた。

ご案じめさるな。某、確かに美しいものを美しいと思う心はあれど、その為に命を捨てる気はござらん。

そう言った思いを込めて微笑みかけると、アルト伯は目を閉じた。どうやら伝わったようだ。


胸に抱えていた包みを差し出す。


「ミチル殿下が燕国のお菓子を召し上がられると聞き及びましたので、いくつか日持ちのするものを持参致しました。ご笑納下さりませ」


包みを、女人のように美しい背の高い御仁が受け取る。

二条様がおっしゃられていた、ミチル様の執事をお勤めのセラ殿だろう。背の高さと、服越しでも分かる筋肉がなければ、女人にしか見えないかんばせである。

大変に、美しい。

この見た目を持って男子として生きたのであれば、色々と大変だったであろうと、下種な考えが頭をぎる。


「落雁とアラレ、有平糖あるへいとうが入っております。お口に合うと良いのですが」


「まぁ……!」


頰を赤く染めて、ミチル様が包みに熱い眼差しを向け、セラ殿に笑顔を向ける。それから某の方を向かれて礼を仰せになる。本当に皇族らしくない。


「お喜び頂き、何よりに御座ります」


笑顔で返し、アルト伯に紙を差し出す。


「それからこちらをアルト伯に」


ミチル様に渡した菓子の作成方法を、職人から聞き出して書き記したものだ。

紙に書かれた内容を目にしたアルト伯は、目を細めて微笑む。


「細やかな気配り、感謝する」


「恐れ入ります」


全員が腰掛け、テーブルには菓子が並ぶ。


緑に着色されたマフィン、緑色の塊、緑色のマカロン。

これはまた奇怪な色をした菓子。菓子そのものは帝都でも見ていたもの。となれば、この緑をした物は何か?

二条様よりミチル様は燕国に大変お詳しいと伺っている。

歓迎されていると判断するなら、我が国の物を用いて下されたのではないかと思料する。

馴染みのある、緑。


「……緑茶に御座りまするか?」


某の言葉にミチル様が、花開くように微笑まれる。


「はい、抹茶を粉の中に混ぜております。こちらの生チョコレートは、中はチョコレートなのですが、周りは抹茶なのです」


成る程。

燕国の特産品である緑茶を斯様かようにお使いになるとは……これで味が優れていたり、目新しいものであれば、緑茶の利用範囲が飲む以外にも広がろうと言うもの。


「頂戴しても?」


勿論です、とのお言葉を頂いたので、遠慮なく食す。

…………ふむ。抹茶の苦味が甘さを抑えるからか、従来の物よりも大変食べやすい。

甘さと苦味がバランス良く、実に某の好みである。


「美味に御座りますな」


にこにこと音に出そうな程に微笑まれるミチル様を、アルト伯が柔らかく、慈愛に満ちた目で見つめる。

あの猛獣が借りてきた猫のように手懐けられている。恋とは恐ろしきものである。

──猛獣使い、と言う言葉が思い出された。




アルト伯はロイエ殿にお命じになり、イリダからの間者から諸々聞き出した模様。

隊長であるドレイクを懐柔した事で、他の間者達もそれなりに警戒を解いたとの事であるから、ロイエ殿の手腕は中々なものだ。薬物に大変長けた方でもあるし、そちらも併用されているとは思うが。


伯が気になされたのは、何気無い言葉だそうである。

こちらからされるであろう質問に対しての返答は、あらかじめ用意されているのは想像に難くない。


間者の本質、間者の背後に立つ者の考え、そう言ったものは、他愛も無い会話から透けるものだ。

一人からではなく、複数人から話を聞く事で、間者内の人間関係、間者が全てオーリーに心を寄せているのか、など。

結果として、十人の内二人はイリダの、と言うよりもオメテオトルと言う御仁の手先であった。


「オメテオトルの目論見が見えませぬなぁ」


エテメンアンキに入り込む予定でいる身としては、もう少し情報が欲しい所ではあったので、此度の誘いは大変に有難い。

某の言葉に、アルト伯は頷く。


「為すべき事は変わらないが、知っているのと知らないのとでは貴殿達の行動指針が大きく変わる事は理解している」


差し出された紙には、色んな情報が書き記されている。

間者一人ひとりの目的と、オーリー内、イリダ内での立ち位置。性格。それから、交わされた会話。

一貫して全てに書かれているのは、ミチル様の事であった。

歌で魔力を生み出す姫をイリダ大陸に連れて来い、と。


この紙を見せていただく前に、アルト伯から女神マグダレナによる創世の説明を受けた。この大陸の仕組みを。

燕国ではかねてよりマグダレナ大陸からの風に毒が混じっている事が知られていた。

風の向きは人の力では変えられぬ。それに常に運ばれてくる訳でもなかった。定期的にマグダレナ大陸で収穫された作物を食する事でその毒は簡単に除去出来ていたのだ。

改めてアルト伯から説明された事で、諸々得心がいく。


マグダレナ大陸を支配し続けた皇国の長きに渡る歴史。

その分断劇の弊害として女神との関わりが断絶される。

結果、行き場のなくなった魔素が大陸中に蔓延し、その魔素が分解能力のない燕国にも、濃い毒として風にのって流れ込んだ。


ミチル様の中に脈々と流れる、女神に愛された皇女アスペルラの血。歌う事で大気中の魔素を魔力に変え、大規模な祈りの儀式を行わずとも女神へ祈りを捧げられる事が可能。唯一にして無二の能力を持つ一族。今尚、女神の愛を受ける一族と言って差し支えないであろう。

そのミチル様を、オメテオトルが欲している。


「これまでの流れでゆけば、ミチル様を魔力の源として欲しているように思えまするが……解せぬのは、いくらミチル様が特殊なお力を持っていたとしても、この大陸を出ればその力は有効に活用出来ぬ点に御座ります」


そんな事はオメテオトルも既に分かっている筈であろうに、何故?


「魔素を何かに溜め込んであちらに持ち込むとか?」


首を傾げながら二条様がおっしゃる。

某もそれは考えたが、燕国が所有する書物に、魔素についての記述があったのを思い出す。


「不可能に御座ります。アレはただの粒子では御座りませぬ。女神の意思を汲んだ毒に御座ります」


魔素を含んだ風は、マグダレナ大陸から一定距離を離れると、消える。

つまり、魔素を別の大陸で回収し、魔力に変換するなども出来ぬと言う事なのだ。

霧のようにマグダレナ大陸とその周辺海域を包み込むこの魔素と言う名の毒は、有害にもなり、無害にもなり得る。

女神がどれほど己の民を愛し、守ろうとしたのかが窺い知れる。


「溜められぬのであれば運べぬ。そのような場所にミチル殿を拉致したとして、何をすると言うのか……」


そこがオメテオトルの謎である。ミチル様を魔石を生み出す存在として利用する気なのであれば、マグダレナ大陸から出してはならぬ。

それなのに、イリダのいるオーリー大陸に連れて来いと命じている。

ドレイクが失敗しても、何としてもミチル様を手中に収めようとしている、その理由が見えて来ないのだ。


アルト伯を見るも、首を横に振られる。

何かを見落としているのかとも思ぅたが、誰一人思い至らぬ所からして、そうではないのであろう。

ミチル様も、ご自身の事ながら何一つ思い付かぬようで、困った顔をされる。


「潜入してみれば、何かしら判明するかも知れませぬ」


某の言葉に何人もが頷く。


「無事を祈ります」


ミチル様が某と若君に布袋を差し出された。

守り袋ではないか。燕国の守り袋までご存知とは。

思い掛けない餞に、驚く。


燕国の失態で御身に危険が及ぼうとしていると言うに、その燕国の者に斯様な物を下さるとは……。お人好しと言うのか……。

その優しさが、身に染みる。


「無事にお戻りになられる事、お二人の調査が上手くいく事、航路の安全。欲張りだとは思いますが、満願成就を祈念致しました」


かたじけのう御座ります」


手にした守り袋を頭より僅か上にして、頂戴する。

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