私に科せられた罰<アレクシア視点>
フィオニア様の看病を続ける私の元に、ミチルの祖母から面会を求める手紙が届いた。
断る理由も無い私は、お待ちしております、と返した。
退位の日は決まってはいないものの、私が皇位を退く事は受け入れられたようで、私の世話をする者数人を置いて殆どの者が引き払っていった。
時折お祖父様がいらっしゃるのと、フィオニア様のお兄様のセラフィナ様がいらっしゃるぐらいで、静かなもの。
セラフィナ様はいらっしゃる時にいつも、ミチルが摘んだと言う花をフィオニア様に下さる。
私に会いたくないのだろうな、と思っていたら、ミチルは身を狙われてるから、ラルナダルト宮から出られないのだと教えてくれた。
大丈夫なのかと問えば、ミチル自身は屋敷に閉じこもる事に苦痛を感じないから大丈夫と笑顔で返された。
彼女は、本当に強い。それに、彼女を心から愛するルシアン様がいる。むしろルシアン様はミチルを独占出来て喜んでいらっしゃるかも知れない。
フィオニア様は相変わらず眠ってらっしゃる。日に三度、魔石を口に入れる。
固形物なのに入れて大丈夫なのかと最初は不安になったけれど、魔石は口に入れると溶けて、吸収される。
毎日フィオニア様のお世話をさせていただく日々に、私の心は穏やかだった。
かつてない程に、穏やかな日々だった。
ミチルの祖母、イルレアナ様が私の元にいらっしゃったのは、返事をしてから一週間後だった。
「ようこそお越し下さいました、イルレアナ様」
声をかけると、顔を上げ、にっこりと微笑まれたイルレアナ様は、お年を召してらっしゃる筈なのに、何処か少女のような可愛らしさをお持ちの方だった。
イルレアナ様の隣に立つ老齢の男性も、顔を上げる。
「私の夫、ソルレです」
イルレアナ様の伴侶と言う事は、ミチルのお祖父様。
こうして見ていると、ミチルはお祖父様よりもお祖母様似なのだと言うのがよく分かる。
「これは、孫のレイ、失礼致しましたわ、ミチルに頼んで作ってもらったものです。身内の欲目が過ぎるとは思いますけれど、とても上手にお菓子を作るのですよ」
テーブルに置かれたお菓子は、皇都では見た事の無いものだった。
「先日、聖下が宮にお越しになった折に、聖下がお好きだからと作っていたものなのです。あまりに美味しかったので、おねだりして作ってもらいましたの」
ミチルと聖下は仲が良い。書面上の親子では無く、本当に仲睦まじかった。
だから、外に出られないミチルに、聖下から会いに行かれたのだろう。
イルレアナ様は一つ手に取り口に入れる。直ぐに顔が綻ぶ。本当に少女のようなお方。その様子を優しい眼差しで見つめるソルレ様。お二人の温かい関係性に、見ているこちらまで心が温まる。
私も手を伸ばして一ついただく。サクサクとして、とても美味しい。
うふふ、とイルレアナ様は笑った。
「私達がギウスにいる間に、皇国で何があったのかを家の者から聞いて、是非アレクシア陛下にお会いしたかったのです」
お顔は笑ってらっしゃるのに、イルレアナ様の目は笑っていなかった。
あぁ、あの事を耳にしたのだと、直ぐに分かった。
「私が何よりも大切に思っている孫娘が、皇国の侯爵風情に傷付けられたと聞いて、しかもまだ陛下がアルト公から罰せられないと聞いた時にはニヒトに特別なお願いをしようかと思った程です」
心臓がぎゅっと痛む。
怖い。
イルレアナ様からは、アルト公と同じものを感じる。
「それなのに、レイを犠牲にしてでも維持したかった皇国での立場を、いとも容易く捨てようとなさってると伺って、私、耳を疑ったのです。
私の可愛いレイが味わったあの恐怖は、一体何だったのかしら?」
「わた……くし……」
そこまで考えていなかった。私のような人間が皇位に就いていない方が良い、むしろいなくなった方が皆の為になると考えたのに。
「陛下が正しく差配なされば、あれだけの大規模な粛清が行われる事はなかったでしょう。貴女が傷付けたのはレイだけではないのです。罰せられた貴族全てが、貴女の失政の犠牲なのですよ?」
頭を鈍器か何かで殴られたような衝撃が走った。
私がちゃんとしていれば、ミチルがあのような目に遭う事は無かったとは思っていたけれど、加害者である者達の事までは思い至らなかった。
イルレアナ様はため息を吐いた。
「ですがこの件については、陛下も明確な被害者です」
私を見るイルレアナ様の目からは怒りが消えていた。
穏やかな眼差しで私を見つめていらして、その温かさに泣きそうになる。
「普通の令嬢として穏やかに生きていく方が、陛下のご気性には合ってらっしゃるのに、表に引きずり出したクレッシェン公もアルト公も罪深い。他の公家も同様です」
「それは……イルレアナ様、違います」
イルレアナ様は首を小さく傾げる。
この仕草を時折ミチルも見せる。ほんの少し傾げる。それがとても可愛らしい。私の好きな彼女の仕草の一つ。
「アルト公も、お祖父様も、何度もお尋ねになりました。普通の令嬢として生きる道もあるのだと。
ですが、私は、皆に必要とされたかったのです。だから提案を拒んで皇位を手に入れたのです。それなのに……」
私は、何て愚かな……。
何一つ覚悟も出来ていなかったのに、目先のものに釣られて悉く選択を間違えてきた。
今もそう。イルレアナ様のおっしゃるように、私の失敗の所為で多くの者が命を落とし、傷付いたと言うのに、辛くなったからと皇位を捨てようとしている。
涙が止まらない。
泣いて済む事では無い。謝っても、彼らの命は戻らない。ミチルが傷付いた事実も消えない。
イルレアナ様も、ソルレ様も、何も言わなかった。
慰められない事がむしろありがたかった。
泣き止むまで待って下さった二人は、何処からか濡らしたハンカチを持って来て下さった。
「随分泣いてらしたから、冷やされた方がよろしいわ」
「……ありがとうございます……」
「陛下が泣いてらっしゃる間、色々考えてみたのだけれど……」
「はい……」
「貴女は女皇に向いてらっしゃらないわ」
分かっていた事だし、自分でも位を辞するつもりでいる。それでも、はっきりと言われてしまうと胸が痛む。
「優しすぎるし、心が弱いもの」
困ったように微笑むイルレアナ様には、私を虐めようなんて言う思いはなさそうに見える。
率直な感想なのだと思う。
「公家の面々がミチルを女皇に据えようとするだろうからと、陛下に叱咤激励するつもりで来たのだけれど……」
あぁ、そうなんだ。
私をただ責めたいだけではなくて、私を励まそうとも思って下さっていたのだわ。
「陛下、次のお役目が最後です」
次のお役目……?
「今、皇国は千年前に行われていた女神への祈りの儀式を復古させようとしているのです。陛下がお継ぎになった名もその為です」
女神への祈りの話はお祖父様から聞いていた。
その為に錬成術も覚えさせられた。お祖父様が目の前で何度やって下さっても、なかなか出来なくて泣きながら練習した。
「その祈りの儀式は、祈る者の心に大きな負担を強いるものです」
心に大きな負担、と聞いて怖くなる。
「ですが、それは貴女にこそやっていただかなくてはなりません」
「私に……ですか?」
「そうです。陛下にはこの大陸に生きる者達の命を半分、奪っていただきます」
血の気が引いていく。
「お、お待ち下さい、命を奪うとは、どう言う事なのですか……?」
そこからイルレアナ様から聞かされた話は、俄かには信じ難い話だった。
イリダが攻めて来て、マグダレナの民を支配するのを防ぐ為に、女神に祈りを捧げる。その祈りは女神が作ったマグダレナを守る為のものであり、マグダレナの民ではないものの命を奪うと言うものだった。
祈りは皇国八公家と皇帝により執り行われる。最後の決定をするのは皇帝である私がしなくてはならないのだと。
「イリダと親交を結ぶ事は出来ないのですか?」
声が震える。
「イリダはもうずっと前からこの大陸に人を送っていて、魔力の結晶である魔石を動力源として手に入れているのです」
魔石を……?
胸がザワザワする。
「魔石を入手する為に殺された帝国民の数はかなりのものです。帝国と違って皇国は守護者がいますから、被害は少ないですが、まったく無かったとは言えないでしょう」
殺して、魔石を……。
あちらにはマグダレナの民と親交を深める気は無い、と言う事なのか……。
「陛下、アルト公からの手紙をお渡ししますわ」
イルレアナ様から渡された手紙には、アルト家の家紋である蘭の封蝋がしてあった。
封蝋を折り、中から二つ折りされた便箋を取り出し、そっと紙を開いた。
"親愛なるアレクシア陛下
ずっと貸しにしていた貴女への罰を与える時が来た。
アルト家は仇を成す者を絶対に許さない。
貴女は我がアルトの娘ミチルを幾度と無く傷付けた。
一度ならず、何度も。
もはや悪意の有無は関係無い程に。
貴女に与える罰は、皇位に就く者として犠牲を払う事。
マグダレナ以外を滅ぼす祈りを捧げなさい。
貴女が最後の祈りを捧げる事でマグダレナは守られ、イリダとオーリーは滅ぼされる。
そうしなければ、マグダレナの民は滅ぶ。
今度は間違えてはいけないよ。
間違えれば貴女は全てを失うのだから。
リオン・アルト"
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