私の命<アレクシア視点>
ラトリアの元、皇族とはどうあるべきといった基本的な所から学び直した。
さすがアルト家の次期当主として育てられていただけあって、ラトリアの視点は多岐に渡った。
ブレない己を維持する為の心構えなども教えられたが、これはなかなか難しい。
どうしても主観が入ってしまって、客観視出来ない為、思考がブレてしまうのだ。
それも特訓だと言われて、日々練習を繰り返している。
知れば知る程、学べば学ぶ程、これまで私がやって来ていた事が、為政者の真似事でしかなかった事がよく分かってきた。
まず、答えが直ぐに出せなくなった。
立場が変われば視点も変わる。そう言った事を考慮しながらも、上に立つ者として決断していかなくてはならない。
その為には強い言葉も、態度も必要になる。
時には言葉を尽くして理解してもらわなくてはならない。ただいつもではない。あまりにそうしていると、おもねっていると思われてしまう。
その所為で周囲と距離が空く事もある。それでも、受け入れなくてはならない。
為政者は孤独だ。
そしてそれは必要な孤独だと、ラトリアは繰り返し言った。ようやく私はその意味が分かってきていた。
「大分、身に付かれたようで、安心致しました」
もうじきラトリアは帰国する。
帝国での皇位継承を巡る争いも終わり、ルシアン様が戻って来たからだ。
帰って欲しくないと思ってしまうけれど、そうすると私はまた、誰かに甘えてしまって、過ちを繰り返してしまう気がした。
「まだまだです」
戴冠式も目前に迫って来ている。
ずっと悩んでいた。
フィオニア様にも皇太子としての立場を返上した方が良いのではないかと言われていた。
正直に言ってしまえば、私よりも相応しい方はいる思う。
今は、お祖父様の為でも、叔母様の為でも、フィオニア様の為でもなく、ここにいる。
ここが自分の居場所だと思った訳ではないけれど。
皇太子としての自分に、正面から向き合おうと思えるようになっていた。
ラトリアが言った、幸せを探すようにとの言葉に、これまでとは違う気持ちで、日々を生きている。
美味しいものを口にすれば幸せだと感じるし、咲く花の美しさに気持ちが踊る事もある。
施策が上手くいき、皇都の民が喜んでいると聞けば飛び上がりたくなる程に幸せを感じる。
幸せはそこかしこにあって、当たり前だけれど、一人では生きていないのだと言う事を実感する。
何もかもが当たり前ではない事に、今更ながらに気付く。
小さな幸せを感じると、結構な頻度でフィオニア様を思い出してしまう。
もし、この幸せをフィオニア様と共有出来たならと思う。
そして、そんな幸せを、私はもうちょっとでルシアン様とミチルから奪う所だったのだと思い知らされる。
あの時、レーフ殿下が止めてくれなかったら。
何と言って二人に謝れば良いのだろう。謝って許される事ではない。未遂だったとは言え、ミチルの心に消えない傷を付けたろう。
そう思うと、傷付けた私が幸せを望んで良いのだろうかと思ってしまう。
「殿下、私達は前にしか進めない生き物です。
目の前の道がどれだけ茨の道であっても、前にしか進めません。辛くても」
ラトリアの言葉に、胸がしくりと痛む。
無かった事には出来ない。
自分の愚かさを抱えて生きていかねばならない。
「傷の無い薔薇も美しいですが、傷があっても、薔薇は美しいものです。
大小はあっても、傷の無い人間などいません。
傷を恐れて咲かずに終わるか、そのまま萎れるか、それはその人次第です」
優しく微笑んでラトリアは言った。
「美しく咲く事だけが花の生き方ではありません。
咲きたいように咲けば良い。貴女らしく生きれば良い」
そう言ってラトリアが差し出した黄色い薔薇は、小振りだけれど、可愛らしく、蕾を沢山持っていた。
「お別れです、殿下。
貴女の幸せをカーライルにて祈る事をお許し下さい」
涙が溢れた。みっともない程に、ボロボロと溢れた。
「ありがとう、ラトリア……、貴方に、会えて良かった。
貴方の幸せを私も、祈っています……」
ありがとう、ラトリア、ありがとう……。
*****
戴冠式を終えたけれど、まだ実感は湧かない。
これまでも伯母様の代わりを務めていた所為かも知れない。
ただ、陛下、と呼ばれると、己の未熟さが思い出されて、何とも言えない気持ちになる。
その重責を負う覚悟もないまま、この地位に就いた自覚がある。
分不相応とは、私の為にある言葉だと思う。
ミチルに"陛下"と呼ばれた時、彼女はただ、私の今の立場を言葉で表しただけなのに、何とも言えない気持ちになってしまった。
私はまだ、そんな風に呼んでもらえるような人間ではない。
笑顔でそう呼ぶのはやめて欲しいとお願いすると、ミチルは戸惑いながらも受け入れてくれた。
誰もが私を、その立場で呼ぶ。
陛下──と。
即位したのだから当然なのだけれど。
そう呼ばれるたびに、私が、消えて行く気がするのだ。
嫌われて当然な事をミチルにはした。
でも、私はミチルが好きで。許されないと分かっていても許されたい。それを口にはしないぐらいの節度はある。
勝手な事だと分かっている。
名前で呼んで欲しい。そうして、私を戒めて欲しい。
驕るなと、おまえはただのアレクシアなのだと、思い出させるのはミチルであって欲しい。
ごめんなさい、ミチル。
何処までも自分の事しか考えられない私を許して下さい。
*****
ギウス国が帝国に攻め込んだ。
宣戦布告などはなかったとの事。
そうなるだろうとオットー公から報告が上がっていた為、最初に聞かされた時のような驚きはなく、あぁ、現実のものになってしまったのだと、胸に黒いものが広がるような感覚がした。
「陛下におかれましては、帝国国内での戦闘が済みましたら、皇国および帝国の連合軍の総大将として、ギウスにご出陣いただきます」
戦争──。
どんな大義名分があった所で、それは侵略行為だ。
奪うと言う事でしかない。
その行為に、私は加わる。
本当なら拒否したい。でもそれは出来ない。私は皇国の皇帝だから。
戦争に参加したくないのは私だけじゃない。兵士にだって、加わりたくないと思っている者はいるだろう。
兵士にだけ手を汚させて、自分は高みの見物は駄目だと思う。私も、共に手を汚す覚悟をしなくては。
帝国の皇帝との顔合わせは、緊張からまともな応対が出来なかった。
クーデンホーフ公が呆れた目で見ている。ミチルも見ている。何より、フィオニア様がいる。
その事が、私の緊張を極限まで引き上げた。
皇太子に相応しくないとまで言われてしまった私が、女皇として皇帝と対面している。
粗相をしたらどうしようと思うと、作り笑いすら上手く出来ない。
ラトリアの言葉を思い出し、繰り返し己を律するように意識する。
それでも、己が参戦する話が出た時には身体が無意識に反応してしまった。
アルト公が、本戦の前に準備をすると言った。それが済めば本戦。
その日の夜、修道院を出て久しぶりに女神マグダレナに祈った。
早くこの戦争が終わるようにと。
目の前の光景が信じられなかった。
途中までは順調に進んでいた戦況は、日が暮れようとした時に急変した。
数え切れない程の騎馬隊が、私のいる軍に一斉に突撃して来た。
「陛下をお守りしろ!!」
「陛下!!」
ファランクスが私を守る為に陣を張ってくれたが、ギウスの騎馬隊の前には長くはもたない事は分かっていた。
一度目の衝突。
繰り返されれば全滅する事は一目で分かった。
たった一度の衝突で、何十人もの兵士が倒れていったのが見えた。
「皆、私の事には構わず逃げなさい!!」
私は女皇として相応しくない。分かっている。
だから、私なんかの為に命を犠牲にしないで欲しい。
「早く! 皆逃げて!」
声を張り上げて言うのに、誰も動かない。
お願い、逃げて!! 命を粗末にしないで!
「そんな訳には参りません! 陛下を守れ!!」
「駄目です! お願いだから逃げて!!」
二度目の衝突。
兵が更に倒れていく。
「やめて!! 皆! 逃げなさい!! 命令です!!」
絶叫するも、誰一人動かない。
私を守る兵士達に、槍が、弓が刺さる。
断末魔と血飛沫が嫌でも視界に入る。
鉄の臭い。
肉に、凶器が食い込む音。
大地が揺れ、土埃が舞う。
「いやああああああああああ!!」
騎馬隊が私目掛けて槍を投げようとした時だった。
「アレクシア!!!」
帝国の騎馬隊が数騎飛び込んで来た。
その姿に、目を見張る。
伸ばされた腕に思わず手を伸ばすと、強い力で馬上に引き上げられた。
「フィオニア様!!」
フィオニア様が、助けに来てくれた……!!
走って逃げる私達目掛けて弓が飛んでくる。その内の一本がフィオニア様の肩に刺さる。
痛みに耐えながら、フィオニア様はそのまま馬を走らせる。
帝国の馬では、ギウスの馬には相手にならなかったのだろう。あっと言う間に周囲を囲まれてしまう。
あぁ、もう、無理だ。
フィオニア様の命だけは助けなくては。
「フィオニア様、私を下ろしてください!」
「駄目だ!!」
肩の傷口の所為か、額にびっしりと脂汗をかいている。
最後に、想う方が助けに来てくれた。
姫ではなく、名を呼んでくれた。
お慕いしておりました、フィオニア様。
初めてお会いした時から、ずっと。
私はやっぱり、皇帝など向いていない。
こんな時に、愛しい人の事を考えてしまうのだから。
フィオニア様の腕の中から出ようするのに、強く抱きしめられて抜け出せない。
「このままではフィオニア様まで死んでしまいます! 離して!!」
「絶対離さない!!」
突然重心が傾いた。
乗っていた馬の脚がやられたようで、私とフィオニア様はそのまま大地に叩きつけられた。
「!!」
庇うように、ギウス兵と私の間にフィオニア様が入る。
「逃げて下さい!」
フィオニア様の肩越しに、ギウス兵が槍を振り上げるのが見える。
次の瞬間、左肩に痛みが走った。
「きゃあああああああ!!!!」
「アレクシア!!!」
フィオニア様の右肩に突き刺された槍が、貫通して私の左肩に刺さった。
骨が折れる程に強い力で抱きしめられる。
突然、フィオニア様が絶叫した。
「あああああああああああああああ!!!!」
頭の中で何かがパチン! パチン! と音を立てて弾けていく。視界が白くなり、音が消えていく。
私は、意識を手放した。
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