慈愛<ベネフィス視点>
胸元から懐中時計を取り出し、時間を確認すると、主人は立ち上がり、窓の前に立った。
「そろそろ教会に着く頃だね。おいでベネフィス」
言われるままに窓の前に立つ。
教会の尖塔が見える。
これだけ離れていたら何も見えないと思うのだが。
私の考えを見透かしたように、主人は言った。
「離れているから見えるものもあるんだよ」
「……左様にございますか」
「そうだよ」
何の変化もないまま、教会を見つめていた。どれぐらい見つめていたか分からない。
命じられたからには仕方がない。そう思っていた時、教会の窓から光が漏れ始めた。それは凝視しなければ気付かないような淡い光だった。
ゆっくりと光が周囲を満たしていく。
「始まったようだね」
「……あれは、何ですか」
「ミチルが歌っているんだよ」
「ミチル様が?」
思わず主人の顔を見てしまう。
「ラルナダルトの血を引く者は歌で奇跡を起こすのだ」
奇跡。
俄かには信じがたい事だが、教会から光が漏れているのは事実だ。
「大気中の魔素を、減らす事なく魔力へと変え、大地に恵みを与える力、それが皇家と公家に与えられた役割だ」
「役割、ですか?」
そうだ、と主人は教会を見つめたまま答える。
「魔素は天から注ぐもの。その魔素を魔力に変え、大地に巡らせる事でマグダレナの民は生きて来た。
そして感謝の祈りを女神に捧げる事で、この大陸は循環するのだよ、本来はね。
国が分裂し、祈りを捧げる事を忘れた皇家と公家。忘れずに祈りを捧げ続けたラルナダルト家」
「ミチル様のお祖母様がいらっしゃらなくなってからは、途切れていたのでは?」
「いや、ミチルの祖母は生きているよ。囚われているけれどね」
「……ギウスにいらっしゃるのですか?」
「察しが良いね」
ギウスに主人が求める"杖"があったとしても、これから戦争が始まるかも知れない状況下で、攻め込まれる帝国に入る事は、己の首を絞めるようなものだと思っていた。
何か考えあっての事とは思っていたが……。
「ここに来た理由はそれだけじゃないよ。
害虫が入り込んでいるようだから、早めに駆除しなくてはいけないというのもある」
害虫。
それが何を表すのかはまだ分からないが、そう遠くない内に対面する事になるのだろうと言う事は分かった。
だからこそ、あれだけの数のデューの配下を帝国に入れたのだろう。
「ほら見てごらん。女神に祈りが捧げられる瞬間だよ」
教会から金色の光が空に向かって溢れ、渦のようにうねりながら天に向かって行き、雲の中に吸い込まれていった。
「これは……」
あまりに不思議な光景に、言葉を失う。
「美しいだろう?」
そう言って主人はソファに戻った。
新しい紅茶を用意する為にカップを新しいものに変え、ロマーチカの花を入れ、ポットの中の紅茶をカップに注ぐ。
熱によりロマーチカの香りが広がる。
「ベネフィス、平民達の平均寿命を知っているかい?」
「50前後かと」
「マグダレナの民は余程不摂生をしなければ70ぐらいまで生きる。その差は何だと思う?」
「……生活の質が異なるからかと」
正解では無いのは分かっているが、他に思い付かない為、無難な答えを返す。
カップから立ち上る紅茶と、ロマーチカの香りを楽しむように顔を近付け、口元に笑みを浮かべて主人は言った。
「魔素は毒素なんだよ、ベネフィス。
長い間まともに循環されず、大気中の魔素の濃度は上がり続けている。オーリーやイリダの民にとっては生きているだけで体内から蝕まれるんだ」
毒。
「マグダレナの民は体内で魔素を吸収分解出来るからね、何も問題ない。むしろ薬のようなものだ。
この大陸はね、女神による加護の島なんだよ。マグダレナの民は愛し慈しまれ、そうでない民には生きにくい」
ふふふ、と笑う。
「ベネフィスは愛の反対は何だと思う?」
ぞわり、と背中が粟立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます