008.向き合う
何で、って言われても……困る。
「あの……」
ルシアンはじっと私を見ている。
私の表情のちょっとした変化とかも、見逃したりしないんだろうな。
あんまり自分の気持ちを言語化するのは得意じゃないんだけど、逃してくれなさそう……だな……。
「アレクシア様の事は、嫌いではないです。私に好意を抱いてくれているのが分かりますし。基本的に良い人だと思います。それは、変わりません。
ただ、時折、もう会いたくないと思う時もあります」
紅茶をひと口飲む。
「……アレクシア様と、キース先生の甘い判断がなければ、あの事は無かったとは思います。
でも、悪いのは、実際に行動に移した人達で、アレクシア様がそそのかした訳ではないです」
息を吐く。
「……そう思える時と、思えない時があります。
お二人に私への悪意がなかった事は分かっています。
為政者ですから、それでは駄目な事も理解しています。
あの二人は為政者である事よりも、別の自分を優先したのだろうと、思うのです」
キース先生は宰相である自分よりも、愛する妻の願いを叶える夫である自分を優先してしまった。
アレクシア様は、世継ぎの御子として、嫌われたくないと思ってしまったのだろう。これまで限られた人間しかいない修道院の中にいて、突然これだけの人間と対峙する事になって、自分を見失ったのではないだろうか。
だから仕方なかったのだと言う意味ではなくて。
それでも、あの時キース先生やアレクシア様が厳しく貴族達を罰してくれていれば、防げた事は沢山あったと思う。やっぱり、どうしてもそれは頭から消えない。何処までいっても私は私だから、私の感情や感覚を切り離せない。二人がそうだったように、私もそうだ。
頭にあの時の事がチラつく。
未遂でも、怖い。
考えたくない。思い出したくない。お義母様の言葉で楽になったとは言え、何もかもが解消された訳じゃない。
「アレクシア様に気持ちをぶつけたら、楽になるのか、私には分からないです。ぶつけられた方が彼女は楽になるかも知れません。
私は忘れたい。無かった事にしたい。口にしたら曖昧だったものが形になる気がして、嫌なのです」
ルシアンの手が髪を撫でる。
もし、アレクシア様に、貴女がちゃんとしてくれていたら私はあんな目に遭わなかったのにと言ったら、アレクシア様は謝るだろう。泣いてしまうかも知れない。
でも、罵った所で私の中では何も解決しない。
あの人達は捕まって罰を受けた。死んでしまったりもした。キース様もただでは済んでないと聞く。
たとえアレクシア様が同じ目に遭っても、私の中から消えないのだ。なかった事には絶対にならない。すっきりなんてなる筈が無い。傷付いたアレクシア様を見て、私の傷が更に深くなるだけな気がする。
表面上片付いたように見えるだけなのだ。断罪される事で、皆の中で完結したように見えるだけ。でも、それもまた必要な事も分かってる。
当事者じゃなくても傷を負った。それを乗り越える為の区切りとして、必要な儀式のようなものだろう。
当事者の私も傷を負って、その傷がとても、とても深いのだ。傷口を見るのも嫌な程に。
私の中の恐怖も記憶も消えはしない。時間薬がぼかしてくれるとは思うけど、まだそれは先の事なのだと思う。
「上手く、言えなくてごめんなさい……。
私はまだ、あの時の事に向き合えていないのです。
私が、運良く助かっただけだと言う事も、分かってはいるのです。
……逃げている事も自覚しています」
分かっているんだ。
色んな事から自分が逃げている事は。
キャロルの事も。
ベンフラッドに誘拐された事も。
媚薬を盛られた事も。
私は、全くと言っていい程、怒っていない。
泣いたのも、僅かだ。
感情を発散させてない。それが良くない事は分かってる。
「……私は強くありません。強くなりたいと言う気持ちはあります。でも、飲み込めないものも、沢山あります。
私に起きた事を、いつも私よりも怒ってくれる人達。
それがどれだけ恵まれている事なのか、馬鹿な私でも分かってる。
「……全部、はっきりさせないと、駄目ですか? 白や黒に分類しなければ駄目?」
顔を上げてルシアンを見る。
「はっきりさせれば、私とアレクシア様の関係は壊れると思います。それがルシアンのやりたい事ですか? それはルシアンがスッキリしたいからではないですか?」
ルシアンの瞳が揺れた。
「……そうですね。ミチルが付けられたのと同じだけの痛みを彼女にも負わせて、自分が何をしたのか思い知らせたい。後悔させたい。
……でも、ミチルはそれを望んでいないんですね」
「分からない……今はまだ、そう言った事を考える余裕がない、と言うのが率直な気持ちです。いつか変わるのかも知れない。もし彼女がまた、
同じような判断を下したら、許せなくなって爆発するのかも知れません」
私の代わりに怒ってくれるから、私の事で傷付いてくれるルシアン達がいるから、私はこうしていられるんじゃないかって思う。
分かってくれる人がいると言う事が、どれだけ私の心を助けてくれたか。
「私よりも、私の事で怒って下さって……ありがとう……」
言った瞬間に涙が溢れた。
「キャロルに襲われた時……頭が真っ白になって……」
唐突に、キャロルの事を話し始めた。
自分でも、何故今、キャロルの話なのかと。
「うん」
ルシアンは私の手から紅茶のカップを取って、離れた場所に置いた。
「前世の、最期の瞬間に見た、奥さんの目が思い出されて……怖くて……動けなくなって……」
「うん」
頭を丸ごと抱きかかえられた。ルシアンの体温と、匂いに包まれる。
「ベンフラッドに触られた時、気持ち悪さと恐怖で、息が止まるかと思った……あの目で見られるのも嫌で……運び出されたあの女の人みたいになるのかと思ったら耐えられなくて……」
「あぁ……」
涙がボロボロ溢れる。
「媚薬っ……は……自分が……自分じゃなくなる……みたいで……っ……中から……バラバラに壊れていくんじゃ……ないかって……ルシアンが……ルシアンが早く……来て……くれないから……っ」
何を、言ってるんだろう。
あの時、ルシアンは来てくれた。
来てくれたのに。
「ごめんなさい、ミチル。遅くなってしまって、一人にさせて、怖い思いをさせてしまった」
私を抱きしめる腕の力が増して、痛いのに、痛いけど、もっと強く抱きしめて欲しいと思う。
「皇帝にっ、命を狙われたから、全部解決する為に、帝国に行くの、だって…どうして教えてくれない……ですか……っ、そんなに、私、信用が、ないですか?」
泣きすぎてしゃっくりまで出て来た。
「そうではありません。本当に、貴女に心配させたくなくて、これ以上危険な目に遭わせたくない一心でした。
それが返って貴女を不安にさせて、孤独にさせていたなんて思いもよらなくて……。
自分だけが寂しく思っているのだと思っていました。いくらかは寂しいと感じてくれているとは思ってましたが、あんなに、辛い思いをさせていたなんて、思いもよらなかった」
ルシアンのおでこが、私のおでこに触れる。
「普段言葉にしない貴女が、あんな風に言葉にした意味を、もっと深く受け止めるべきでした。ごめんなさい、ミチル。見当違いな事ばかりする、愚かな夫で」
「嫌です、許さない、です」
困った顔で、ルシアンが私を見る。ハンカチーフで私の涙やらなんやらを拭いてくれる。
「ルシアンの……馬鹿……っ」
「……本当ですね……私は、本当にどうしようもない。
こんな私ですが、ミチルの気持ちのはけ口ぐらいにはなれると思います。もっと、ぶつけて下さい。全部、受け止めますから」
「……っ!!」
ルシアンの首に抱き付いた。私の背中を、温かくて大きい手が撫でる。
「ルシアン」
「はい」
「ルシアン……ッ」
「はい、ミチル。ここにいます」
*****
「……ルシアン、今日は何日目ですか?」
私からの不意の質問に、一瞬止まったものの、直ぐに答えが返ってきた。
「……お約束の日です」
「そうなのですね。では、約束を守らなくては」
ルシアンの身体をシーツの海に、押し倒す。
予想外だったようで、ルシアンの目は驚いていた。
黒く艶やかで柔らかな髪に、キスを落としていく。
唇で髪を噛んで、軽く引っ張ってみたり。そんな私を金色の瞳が笑いながら見つめる。
柳眉に、まぶたに、鼻筋に、口付けして。頰を甘噛みした。いつもいつも、攻め立てられる耳に唇を付けても、反応が薄い。息を吹きかけると、僅かに肩をすくませて、笑い声が漏れた。
「ミチル、くすぐったい」
腕が伸びてきて、私の頰を撫でる。
唇を重ねる。
角度を変えてもう一度口付ける。
下から私を見つめる金色の瞳から、色気がにじむ。
「私より色気があるなんて、許せませんわ」
そう言ってまぶたを噛むフリをし、キスを落としていると、背中に腕が回された。
「愛してます、ミチル」
「知っていますわ」
意地悪に返すも、ルシアンは嬉しそうに微笑む。
「それなら良かった」
「私がどれだけ想っているのか、ルシアンは分かってらっしゃらなかったんでしたわね」
「えぇ、愚かにも。そして勿体無くも」
思わず笑ってしまった。
あまりにもルシアンらしい言葉だったから。
伸びてきた腕が私の髪の紐を解いた。
「愚かな私に教えて、ミチル」
答える代わりにキスをする。
「私も、改めてミチルに伝えたいです。貴女を愛してやまない事を」
ルシアンの夜着の紐に手を伸ばし、解く。
「教えて下さい、ルシアン」
不安にならずに済むように、私に言って欲しい。
愛してると。
私も言うから。
何度でも、伝わるまで口にするから。
「お祖母様は、どうしてお祖父様と結婚なさったの?」
突然の私の問いに、祖母は面食らっていたけれど、直ぐにくすくすと笑い出した。
「おませさんだこと」
何故そんな質問をしたかと言えば、読んだばかりの絵本で、お姫様が王子様を振って騎士と結婚したからだ。
王子様を振るなんて! と驚いていた私に、祖母は、姫が心から求めていたのは、身分や贅沢ではなく、自分を心から愛してくれる人だったのよ、と言った。
だから、祖母に質問をした。
「お祖父様はね、鳥のように自由な人なのよ」
幼いながら、その言葉の言わんとする事は分かった。
祖父は貴族らしくなかった。
黙って立っていれば、年齢を感じさせない程の美丈夫で、若い頃はモテただろうなと思う。
「私にはお役目があったの。それはとても大事なものだった。それを失いそうになった時、どうすれば失わずに済むか悩んだわ。その反面、このしがらみから逃げられるのではないかとも思ってしまってね、迷っていたのよ。
そんな時に旅をしていたお祖父様と出会ってね、もう二度と会う事もないだろうと思った私は、素直な気持ちを話してしまったのね。それから、嫌味ったらしく貴方が自由で羨ましい、と言ったの」
思い出したのか、祖母はまたくすくすと少女のように笑った。
「"心のありようを縛るのは他者ではない、貴女自身だ。それに自由には責任が伴う"、なんて、しれっと言うのよ。
私、腹が立ってしまってね。更に文句を言いつのったのよ。黙ってお祖父様は聞いてくれていたわ。何日も何日も根気良く私の話を聞いてくれた」
話してる祖母の目はキラキラしていた。
夢見る少女のように。
「でも、お祖父様は旅の途中だったから、お別れの日は来てしまってね。離れがたかった私はお祖父様に噛み付いたのよ。逃げるのか、って。それで強引についてきたの。我ながらあんな大胆な事がよく出来たと思うわ」
うふふ、と笑う祖母に、あんぐりした。
大人しくて品が良くて淑女の鑑のような祖母が、祖父に噛み付いて(この意味もわかってなかった)強引について行ったなんて言うものだから。
「お祖母様は、ジョーネツテキ、です」
覚えたばかりの言葉を知ったフリをして使った。
「レイにもいつか、そういう殿方が現れるわ。それまでとは違う自分をさらけ出してでも、側にいたいと思えるような方がね」
現れたら、私も祖母のように強引に行くのだろうか?
出来たら強引に来てもらいたい。
とってもとっても好きになったら、私もジョーネツテキに、私らしくなく、強引に行くのだろうか。
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