飼い主<レペンス枢機卿補佐レイ視点>
確かに私はあの方の元で働きたいとは言ったが、今のこの状況はどうなのだろうと思う。
背格好と瞳の色が似ているからと言って髪の色を染められ、立場を偽り、ここにいる。
何度か身の危険を感じる事もあったが、付けられた護衛のお陰で事なきを得ている。とは言え、今回ばかりは駄目かも知れないと思う事もあった。
あの方の元で働きたい事は事実なのだが、このような状況は想定していなかった。
命を狙われるなんて聞いてない。まぁ、それも割と直ぐになくなったので良かった。でも、良くない。
元々得意では無い、人との交流をしなくて良いのは有難い。嫌、しなくて良いと言われてはいたが、やっても良いと言われていたので、努力はしてみた。私なりに。
…駄目だった訳だが。
目の前の人物は、先程から苛立ちを隠せていない。
先程と言うのは正しくない。先日からずっとだ。
長く側にいる訳ではないが、側にいて分かった事がある。
この男は笑顔の時、実は機嫌が悪い。苛立っている。反対に、無表情の時の方が機嫌が良いのだ。
立場がそうさせるのかも知れない。笑顔を常に振りまくその姿勢は、素直に凄いと思う。
窓の外から入り込む日は傾き、空は橙色から濃紺へと塗りつぶされていこうとしている。
秋も終わろうとしている。日もだいぶ短くなった。
祭は恙無く行われたのだろうか。
夕刻に届いた知らせには、本日皇城で行われた、皇帝による招集の顛末が書かれていたようだ。
この男の元には数多くの貴族が訪れる。情報を入手する事など、訳はないのだろう。
男の顔から笑顔が消える。
苛立ちが解消されたのだろうか? と言う事は、ある程度は想定内の事だったのかも知れない。
それぐらい思い付かなければ、このような大それた事を計画実行出来ようもないのだから、当然なのかも知れない。
多分何も得られないだろうが、もし使えそうな情報があったら集めておいてくれと言われたが、本当にあの男には裏がない。
どんな人間にもある、裏のようなものが見えない。
周囲の人間は慕っているが、私には得体が知れなくて不気味だ。
貴族も弱味を見せないようにするが、あの男のはそう言う物とも違うように思う。貴族のそれは侮られない為のものだが、あの男のは聖人であるように見せる為の物だ。
私も知らされていなければ、なんと素晴らしい人物なのかと思ったに違いない。
最初から疑った目で見ているから、ほんの僅かな違和感に気付けたものの、そうでなければ無理だったろうと思う。
それぐらい、完璧で胡散臭い。
今日は訪れる者も少ないだろうと言う事で、私達はいつもより早めに休む事を許可された。
だが私は、男が苛立ってまともにこなせていない仕事を片付けなくてはならない。
それに部屋に戻ってもする事もないし、皆と集まって皇城の噂をする気にもなれないから、仕事があるのは助かる。
蝋燭がゆらりと揺らめいた。
見ると、蝋燭がもうすぐ終わろうとしている。新しいものに継げ替えようと立ち上がり、棚から新しい蝋燭を取り出す。予備に置いておいた最後の蝋燭だった。忘れない内に予備を補充しておこう。
ランプを灯し、予備を取りに倉庫に向かう途中、人の話し声が聞こえた。もう誰もいない筈なのに。
男女の声だ。ここで働く者達は、異性の交わりを禁じられた者達ばかりだが、そうもいかない者達もいると聞く。
この声の主達もそうなのだろう。
何も見ず、何も聞かない事にして立ち去ろうとした時、断片的に聞こえてくる内容が甘くない事に気が付いた。
「貴方の……ようにしてきました……このような……申し訳ありませんわ」
「……貴女はよく……たよ。このような結末……残念……最終的……影響はありません」
女性の声に聞き覚えがあるような気がする。男性は、あの男のようだ。
真っ当な男ではないのは分かっている。あの立場でありながら、女性とこのように逢瀬を重ねていたのか。
「……良かった……お父様も……動いて……ものを。
私は……罪には問われな………貴方が……式典で……始末……もうすぐ……ですね」
「えぇ……少し……」
話の全体像は掴めていないが、これから何かを企てようとしている事は確かだ。
情報を入手出来るのならした方が良いのではないか? そう思った私は、影に隠れながらそっと声のする方に近付いた。
カコン、と足元で音がした。
聖堂に1枚、タイルが割れてしまっている箇所があったのを忘れていた。今、私が踏んだのはそれだ。
「誰だ!」
鋭い男の声にしばらく気配を消していたものの、あちらからは出入り口両方が見えている。
逃げられないと観念した私は、そっと陰から出て、向こうから見える位置に立った。
「……レイ、立ち聞きとは君とは思えない振る舞いだね」
男は物凄い笑顔だった。苛立っている。
「申し訳ございません、仕事を……片付けておりましたら、蝋燭が切れてしまいまして……取りに行こうと近道を……」
「……レーフ?」
女性が驚いた顔で私を見る。
レーフとは、この国の皇子、レーフ殿下の事だろうか? 殿下を呼び捨てに出来る人物?
「貴方、死んだと聞いていたのに、生きていたの?」
死んでいて欲しかったと言われているような、そんな印象を受ける言い方だ。
「だ、誰かとお間違えでは…」
「その者は少し前にディンブーラ皇国にいる教皇が送って来た補佐ですよ」
「よく見れば、髪と目の色が似ているだけですのね」
ローブを深く被っている為、こちらからは顔が見えないが、あちらからは見えるようだ。ただ、見間違えたあたり、はっきりとは見えなかったのだろう。
誤魔化してその場を立ち去ろうとした瞬間、男の、レペンス枢機卿の顔から笑顔が消えた。
「レイはいつも窓の外を見ていましたね。まるで誰かを想うように」
私の行動が噂になっていた事は知っている。
あれはそんなものではなくて、命を狙われた時に他の人間を巻き込まないように、誰もいない聖堂にいただけだ。
「こうしましょう。
レイはカテドラルに来た正妃に一目で恋に落ち、正妃も一目で恋に落ちた。このままでは幽閉されると思った正妃は逃げ、このカテドラルに来たのです。恋しいレイに会う為に」
女性はレペンスの胸に身体を寄せた。
「嫌だわ、レペンス。私が想っているのは貴方だ……け……」
女性の言葉が不自然に途切れた。
「何故……?」
レペンスは女性を軽く突き飛ばした。その衝撃でローブがめくれ、顔があらわになる。
そこにいたのは、正妃だった。以前カテドラルに来た時に見たから覚えている。
正妃の腹部から何かが生えている。短剣だ。
心の臓ではないようだが、かなり深く刺さっている。
正妃はレペンスから距離を取る。
「順番が狂ってはいますが……まぁ、何事も予定通りにはいかぬものです。
最終的に、辻褄が合うように調整する事が出来れば良い」
正妃の呼吸が早くなっていく。黒いローブは、短剣の刺さったあたりの色が更に濃くなっている。出血が激しいのだろう。助けねばと思うが、動けない。
レペンスが、もう一本短剣を手にしたからだ。
「レペ……ンス……」
「貴女は、とても良くやってくれました、本当に。心から感謝していますよ。
貴女は私の言い付けを愚直に守り、慈愛に満ちた正妃として、城の者達を虜にしていった。
誰もが貴女を助けたでしょう。健気で純粋無垢な正妃。口数が少なく、何を考えているのか分からない皇帝。
本当に、素晴らしい」
「私を……愛していたのでは……ないの……」
レペンスは答えなかった。
「嘘よ……」
正妃の目から涙が溢れた。
鈍感な私でも、分かる。
正妃はレペンスを愛し、愛されていると信じ、その野望の片棒を担いだのだ。
自分がただ利用されただけだったなんて、受け入れられる筈がない。
「貴方の為に……愛してもいない男に抱かれ……あの男を愛している振りをし……貴方を……貴方と一緒になる為に……」
レペンスの表情はずっと、無表情のままだ。
「貴女は、いざと言う時用だったんですよ。
もし、何かが障害になった時の為に、皇帝の直系である貴女を娶れば、私が即位する事に反対する者を黙らせる事が出来るから。
でも、今の貴女はただの敗者だ。私の足枷にしかならない。それでは困る。私は完全無欠の状態で皇帝になる必要があるんですよ」
正妃の額に夥しい量の汗が浮かぶ。私は我慢出来ず、正妃に駆け寄り、正妃の前に立った。
「自分の為に、全てを投げ打った女性に手をかけるなど、貴方に人の心はないのか」
レペンスはハッと笑った。
「そんなもの」
苦みばしった笑みを浮かべてレペンスは言った。
「平民の血が混じる娘を、私が愛する訳がないだろう」
背後で正妃が崩折れるのが分かった。
「おしゃべりは終わりにしましょう。
レイ、貴方はここで愛する女性と無理心中をはかって死ぬんですよ」
レペンスが私に向かって投げた短剣は、避ければ正妃に当たる。急所に当たらないように腕で身体を庇った。
痛みが走る。左の二の腕に短剣が刺さっている。私はそれを抜き、レペンスの反対に向けて放り投げると、手に持っていたランプを全力で投げ付けた。
「!」
正妃を抱え上げ、出口に向かって走る。
「……わた……くしの……事は……置いて……いき……なさ……い……」
「出来ません」
腕の中の正妃の呼吸は早い。全力疾走した後のように早い。顔全体にびっしりと汗が浮かんでいる。
正妃を連れて来た事が正しかったのかは分からない。でも、あの場で、自分だけ逃げる事は出来なかった。
夢中で走り続けた。何処に向かえばいいのかとか、何も考えられなかった。
走り疲れて、足が止まりかけた時、見覚えのある人物が立っていた。
「おや、ステュアートじゃないか」
アルト公だった。
執事も横に立っている。
「アルト……公……」
「彼女は正妃だね」
アルト公が目配せすると、執事があっという間に私の前まで来て、正妃の顔を覗き込み、一歩後ろに下がると首を横に振った。
腕の中の正妃は、目を閉じていた。口の端からは血が流れ、真っ白い顔をして。ローブのしみは恐ろしく広がっていた。
「彼女の飼い主は、随分だね。
ステュアート、怪我の治療をしなさい」
手には、正妃の血がべっとりとくっついていた。
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