054.旅立ちと皇都のシクミ

ルシアンがカーライルに戻る日はあっさりとやって来た。


いつもなら目覚めた時にルシアンはベッドにいないのに、今日に限って隣に横になっていて、私をじっと見つめていた。

ヨダレとか垂らしてなかったかな、とひやりとしたのは一瞬で、その真剣な眼差しに、胸がざわついた。


「…ルシアン?」


起きようとした私を、ルシアンは抱き寄せた。

すっぽりとルシアンの胸におさまってしまう。


「しばらく会えなくなるんですから、もう少しこうしていたい」


何というか、嫌なフラグが立ちまくりな感じがして、イライラしてきた。


「早く帰って来て下さいませ」


「そんな可愛い事を言われると、行きたくなくなってしまいますね」


ルシアンの手が私の頰を撫でる。


行かないで、と言いたいけど、この言い方だと行く事は確定なんだろう。


粛清後くらいだったろうか、ルシアンがいつも通りじゃなくなったのは。

出迎えをさせてもらえなくなり、皇城にも行っては駄目になった。

それらしい事を言われたけど、実際それもあるんだろうけど、それだけじゃない気がした。

肝試しの時もおかしかった。あきらかに、自分から私を遠ざけていた。

粛清で全てを失った者達に命を狙われているんだろうか?

それであれば私も危険だ。だから私を屋敷に軟禁した?

でも、それなら肝試しの時に私と離れた理由が分からない。

私がお義母様やロシェル様と出かける事を伝えても、出かけちゃ駄目だとは言わないのだ。

だから、多分だけど狙われているのは私じゃない。


ルシアンは、何をしようとしてるのかは、絶対に教えてくれないと思う。

それは良い。でも、絶対に帰って来て欲しい。


不安で不安で仕方ない。

教えてくれなくていい。そんなの知りたくない。知ったら絶対に気が気じゃなくなる自信がある。

私はただ、ルシアンが私の元に帰って来て欲しいだけだ。


「愛しい人」


まぶたにキスされる。


「離れるのが辛い」


それから頰に。


「でも、貴女の側にこれからもいる為に、どうしても片付けなくてはならないのです。だから、行ってきます」


ルシアンはいつも、嘘は吐かない。全てを教えてくれなかったとしても。

だから、カーライルの方向に行くのだ。それは間違いない。カーライルに寄って、その先へ。

ディンブーラ皇国圏内で、ルシアンが危険な目に遭う場所はほとんど無い筈。

皇国圏内の境界線にあるカーライル王国の先にあるのは、雷帝国、もしくはギウス国。

どちらに行くのかは分からない。

和平条約を結んでいないギウス国は危険だろうけど、多分、雷帝国に行くんだろうと思う。

兄である皇帝に命を狙われる殿下にそっくりなルシアンが雷帝国に行くのは、普通に考えて悪手だ。それなのに行くのは、危険を犯さなくてはならない理由があるからで。


もし、そんな事になったら、私は絶対に殿下を許さない。


「ルシアンがなかなか戻って来なかったら、迎えに行きますわ」


困ったような顔をするルシアン。


「それは駄目です、ミチル」


「それなら早く帰って来て下さいませ。ルシアンがどう認識しているか分かりませんけれど、私、あまり堪え性がないのです」


「知りませんでした」と言ってルシアンは笑った。


「覚えておいて下さいませ」


「はい」


「それからもう一つ」


私をじっと見つめるルシアン。


「ルシアンのいない世界なんて、私は要らないのです」


生きていく中で大切に思える人は沢山出来た。

私を大切にしてくれる人も、以前と比べて格段に増えた。

だけど、この人を失いたくない、誰にも渡したくないと思うのはルシアンだけ。


ルシアンは、壊れ物に触れるように私にキスをした。




ゼファス様に御守りに何て書いてもらうのか迷った結果、"必勝祈願"と"旅行安全"だった。

欲張りなワタシ。


その二つの護符を、燕国の布で作った袋に入れ、花結びにした紐を付けた。

我ながら完璧。

その御守りを、馬車に乗り込もうとするルシアンに渡した。


「これは、御守りですか?」


御守りを手にして、ふ、と笑うルシアン。


「そうです。開けては駄目ですよ」


「分かりました」


ルシアンとお義父様が馬車に乗り込む。


後続の馬車に乗り込もうとするセラに声をかける。


「セラ、ルシアンを頼みます」


鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっていたセラだけど、すぐににっこり微笑んだ。


「善処するわ」


「それからこれを、ベネフィスに渡して下さいね」


ルシアンから聞いたところ、セラはベネフィスというお義父様の執事に徹底的に仕込まれるという話だった。

そのベネフィスに向けて、セラに関する手紙を書いた。


「気を付けて」


「ミチルちゃんもね」


私は笑顔を返すと、馬車から離れた。


皆を乗せた馬車は屋敷の庭を、軽快な音をさせながら駆け抜けて行った。


途端に暗い気持ちが押し寄せて来る。


息を吐いて、それから大きく息を吸った。




*****




建築ギルドと飲食ギルドが設立された。

ギルドはそれまで商人ギルドが対応していた熱中症対策を引き継いだ。


私はラトリア様と共に毎日皇城に出仕している。


お義母様はクレッシェン公爵邸からこちらの邸に移って来てくれた。

私が皇城に出仕する事になってしまって、ロシェル様が一人になってしまうと思っていたから、良かった。

私の為に来てもらったようなもんなのに、そんな人を一人にするとか、ありえんからね。

…まあ、私がいなくても楽しそうだけど。


宰相の執務室は広いので、私用の机を増やしても全然問題なかった。

私の直属の部下として、ステュアートやフローレス達が下に付く事になった。見知った人達というのはとてもありがたい。


私の秘書としてアビスが付いた。

ステュアートのお仕事取っちゃうんじゃ?と思ったけど、意外な事に、アビスと上手くやっている。

教会関連を主に担当しているのがアビスで、皇室関連を担当してるのがステュアート、みたいだ。


オリヴィエはいつも私の背後にいる。飽きないのかな、と思うけど、いつも楽しそうにしてる。

でもやっぱり私だったら耐えられないので、食後に軽く散歩に付き合ってもらってる。

その散歩も、気が付いたらアレクシア姫まで参加してるんだけどさ。

姫の護衛もあいまって、ゾロゾロと集団で皇城の庭を散策する日々です。

オリヴィエの気分転換に、と思って始めたのに、気が付けば自分の気分転換になってたのはちょっと申し訳なかったけど。


クロエはオリヴィエやアビスと同じように、常に私の側にいる。毒味役と、私のお世話がかりとして。


「ご主人様、本日決裁予定の書類になります」


今日も今日とて届く教会からの決裁書類の山。

さすがに慣れてきたけど、何でこんなにやってんのに減らないんだ…。

おかしい…そう思って見ていると、同じような内容が、各枢機卿から教皇宛に届いていた。

えー…いや、あらかじめ枢機卿同士で話し合っておいてよーとは思わないものの、無駄じゃないスか。

皇室のように部署が分かれている訳ではないから、どうしてもそうなってしまうんだろうなー。

って言うかコレ、ゼファス様の元に届く書類もそうなんじゃないの。


「アビス、この決裁については以前別の枢機卿からの上申書にもありました。同じ内容を個別に提出され、それぞれ対応するのは時間の無駄です。そう言ったものがないか一度確認してから私に見せてもらえますか?」


かしこまりました、とキレイな角度でお辞儀をしたアビスは、決裁書類を自席でチェックし始めた。


「殿下、失礼致します。

こちらが本日お目を通していただきたい書類になります」


「ありがとう、ステュアート」


ステュアートが皇室関連の書類を持ってやって来た。

皇室関連の書類は、ラトリア様に回す前に、私が一度チェックをしてから回す事にしている。

過去の記憶が上手く活用出来そうであれば、その旨を付箋紙に書いて付けておく。

根を詰めるのは良くないので、15時になったら、全員で隣室の会議室(本当は宰相が寝泊まりする為の部屋を改造)でお茶を飲んだり、軽食なりおやつを摘みながら、会議と言う名のブレインストーミングを行う。

誰か一人だけでは思い付かないような内容でも、気楽に話しているうちに何か思い付く、なんて事があったりする。

これはちょうど良いリフレッシュになるみたいで、休憩後はみんなスッキリした顔で職務に戻る。


フローレスが言っていたけど、このおやつ休憩をやるようになってから、宰相執務室にいた同僚達と、宰相補佐官室にいた同僚達の仲が改善されてきたらしい。

なんか知らんけど、色々あったもよう。

話をする内にお互いを認めたって事だろうか?


執務室内のお茶は、クロエにお願いしている。

クロエは疲れていそうな執務官の元にそっと寄っては、お茶を出している。

細やかな気遣いに感動したり、頰を赤らめてる執務官もいる。クロエ、アレな子だけど黙ってれば美少女だからね。


熱中症対策は大詰めを迎え、メインストリートには、ストリートに面する店舗と、街灯との間に大きかった布がちゃくちゃくと張られていく。

執務室の窓から、布が張られていく様が見える。


驚いた事に、皇都には上水道と下水道が通っている。下水道といっても、現代日本のような下水道ではない。

飲めない水だけど、側溝を通ったりする分にはなんら問題ない水が通る。ちなみに飽和量を超えた水は皇都の外にちゃんと流れる仕組みになってるらしい。でも、水が足りないからもうずっと流れてないみたいだけど。

浄化出来ればまた、話は違うんだろうけど、さすがにね。


大衆浴場はいつも排水で苦労していたようで、その水を側溝に流して良いという事になってとても喜んでいたようだ。ただ、さぁ流そう、となって新たに判明した事実があって、大衆浴場にはストップをかけている。


その事実というのが、オブツの事です。

皇都は毎年、オブツで大変凄まじい匂いになるらしい…。

昔は道に放り投げていたっていうんだから驚きだ。フランスかよ?!

って言うか、今までは側溝に捨ててたんだって!

側溝超汚いじゃんー、そんなつもりなかったのに、このまま水を流したりしちゃったら下水道になっちゃうじゃんー、噴水臭くなっちゃうじゃないのー。

ここまで上水道だの下水道だの考えられている皇都が、その辺を考えていない筈はない!

私は皇都建設時の資料を探してもらう事にした。


持って来てもらった皇都建設時の資料を読み始める。

どうでも良いけど凄い分厚さだな、この資料…。

一瞬心が挫けそうになったけど、汚臭溢れる皇都にさせたくないので、覚悟を決めて読み始める。


山から流れ込んだ水は上水道として皇都のあちこちに設置された井戸に繋がっていて、皇都民は好きに水を汲んで使用して良い事になっている。

水道代タダ!凄い!


生活排水は側溝に流す事になっているようだ。

詳細な資料に書いてあったんだけど、側溝に流されて水は、皇都をぐるりと囲む城壁に当たって地下に流れて行く際に、濾過をされる仕組みになっていた。

だから、物凄く汚れる事はないみたい。よく考えられてるなー、これ考えた人凄すぎない?かつての建築家天才?

でも今の人達を見てると凄い落差があるんだけど…。

………あ、転生者?

……

………

さてと、続き読もうかなー。


オブツに関しては、やっぱりちゃんと考えられてて、側溝のすぐ側に別の穴があった。そこに捨てればいいみたい。でも、これだと臭うんじゃ?と思っていたら、側溝に流れる水が一定量、オブツ用水路?にも流れ込むようになっていて、洗い流されるようになっていた。

オブツは最終的に皇都の外に集められるようになっていて、そこで発酵し、肥料として使えるようになってるとの事。

えぇー、凄い考えられてるのに、なんで使用を止められたんだろう?

……………女帝でした。

…ぶっちゃけ、害にしかならない人っているよね、うん。


さて、皇都民には協力を要請しなくてはならないけど、姫の人気高いって言うし、なんとかなるのでは?と日和見。


側溝に溜まっちゃってるオブツは何とか専用穴に入れなくちゃいけないんだけど、そんなの頼み辛いよねぇ…。

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