刺客
これまでも、ルシアン様は皇弟に注視していた。
「皇弟はミチルを手に入れようとするだろう」
「その確信は何処からかお尋ねしても?」
ルシアン様は机の上に置いてあった書類を私に差し出した。それは、兄が調べさせた皇弟のものだった。
いつの間にこんなものを調べていたのか。
「セラは皇弟と会って直ぐに調べさせていた」
紙をめくるうちに、兄が重点的に調べさせていた内容が見えてきた。
私も調べさせたが、兄の視点とは若干違う。
皇弟は何の為に皇国に来たのか。皇帝による命なのか。はたまた単独行動なのか。皇弟の性格や、才能などだ。
つまり目的が知りたかった。
兄もその辺はざっくりと調べさせてはいたが、皇弟と皇帝の血縁関係と、幼少時の二人の関係性。二人の性格と才能。異性の好みなど。とにかく、兄は内面を調べさせている。
読み進めていくうちに、皇弟が何故皇都に来たのかが見えた。私の視点では判然としなかった事が、兄の調書で判明した。
「皇弟の行動原理をセラは調べさせている」
美しくて優しい兄は、優秀だがサーシス家を継ぐのに向いていないと思っていた。
謀を厭うラトリア様を次期当主として認める兄を、信じられなかった。
私にとって主人とは"絶対的な存在"で、私を引っ張ってくれる存在な訳だが、兄のミチル様への接し方を見ていても、違うのは分かっていた。
兄にとって主人とは、どんな方だったとしても、その主人の欠点を補う働きを自分がする、というものだった。
アルト一門を率いる宗主がそれでは困ると思っていたし、今でもその考えは変わらない。ラトリア様がいくら優秀であったとしても、お仕えしたいとは思えない。
命をかけてお仕えしたいと思えるのはルシアン様だ。
どれだけ迷われてもいいが、最後の決断の痛みに耐えられない方が宗主になられては困る。
相容れないものはあるが、兄の視点が自分にはないものであり、自分では見つけ出せないものを見つけ出せている。これを自分のものにしなくてはいけないと思った。
ディンブーラ皇国内の事であればこれまで通りで良い。
だが、ルシアン様が対応しようとしているのは、雷帝国皇弟だ。一つの失敗が大国同士の亀裂となり得る。
読み間違えてはいけない。その為にも、どれだけ細かい情報でも拾う必要があるし、正確さが求められる。
「つまり、皇弟の帝都での振る舞いは、全て偽りという事ですか」
「そうらしい」
皇帝と皇弟は同じ母から生まれた。母は正妃であり、どちらが皇帝になってもおかしくない。
甘い汁を吸う為に兄弟の仲を違わせようとする愚か者達が多かった事も調書には書かれている。
だが、兄弟は仲が良かった。弟は兄を慕い、兄は弟を慈しんだ。
それが狂い始めたのは、兄が皇帝として即位して数年が経過してからだった。
賢帝と称されていた兄だったが、一向に子に恵まれなかった。何十人もの妃がいるにも関わらず。
そうなると、世継ぎは自ずと弟になる。
これまで自分を敬っていた筈の者達が、弟に接近していく。妃さえ、弟に色目を使う始末だった。
聡い弟が、兄と自分の関係性に変化が訪れた事に気付かぬ筈もなく、弟はどれだけ勧められても妃を持とうとはしなかった。力のある貴族と縁続きになり、力を持つ事を恐れたし、子が出来る事を恐れた。
少しずつ内面に歪みを抱いていた兄は、帝国を拡大する事で己の価値を示そうとした。
兄が最も信頼していたスタンキナが、ハウミーニア王国に入り込んだにも関わらず、アルト家当主により看破され、失敗に終わる。
それを裏切りと受け止め、兄はスタンキナの娘リュドミラを手篭めにし、失意のリュドミラは塔から身を投げて死んだ。
兄は臣下に対して疑ぐり深くなり、己の地位を脅かせないように、軍事力を持てないように増税をしていく。
この頃から、弟は兄を愚物と扱うようになるが、これは演技であり、自分を持ち上げさせない為に傲慢な態度を取った。
それにより、兄から様々な権限が奪われた。そうなるように、外界との接点が制限されるように仕向けた。
己の行動が全て兄に筒抜けになるようにして、少しでも兄の自分への疑いを減らそうとした。
それでも兄は弟を疑う事が止められず、遂には命を狙うようになった。
そして、皇国に亡命して来た。
ため息が溢れた。
「皇弟は元々、私を自分の替え玉にする事を考えていただろうが、妻のミチルが皇族となれば、私を易々と替え玉にする事は出来なくなる。私の立場は辺境国の公爵嫡男だけではない。皇国皇族の伴侶が追加された」
「当主様がミチル様を皇族になさった理由はそういった意味合いもあったのですね」
ルシアン様はコーヒーをひと口飲むと、ため息を吐いた。
「父上はミチルを皇国の建て直しに使う気でいる。
どう使うかは不明だが。その為にも皇族の立場があった方がやりやすいのだろう。
私の事は副産物といった所だ」
「対帝国、対ギウスの為にですか?」
「そうだろうが、下手したら南の大陸にまで目を向けていそうだ」
ため息の理由はそこだろう。
当主様は本当に底が知れない。
「それで、何故皇弟がミチル様を?」
ルシアン様がコーヒーを召し上がるのを見て、自分も咽喉が乾いている事に気付き、レシャンテ様が出して下さったコーヒーを飲む。
「皇弟は選択を迫られる」
「選択?」
「妄執に駆られた皇帝が、皇弟をこのままにしておくとは考えづらい。皇弟が皇都で死ねば、皇帝は皇国に堂々と攻め入る理由が出来る」
ぞわりとした。
「私の存在を知れば、私も狙われるだろう。
皇帝からすれば、それらしい死体が上がれば良い。皇城から出ない皇弟を狙うより、私を狙う方が手っ取り早い。
私はそのうち命を狙われる。これは私か皇弟か皇帝が死ぬまで続くだろう。
巻き込まれる可能性があるミチルを皇城には連れて行けない」
皇族になれば、警護が厚くなる。それも見越されているだろう。
必要以上に屋敷の警備を厚くすれば皇室から疑われるが、皇族がいるからと警備を増やすのは何ら問題がない。
「皇弟が諦めて帝国に戻る事を決意した場合、手ぶらでは帰らないだろう」
「皇族であり、転生者であるミチル様を、連れて帰るという事ですか?」
「正妃にする訳ではないから人妻であっても構わない。むしろ、マグダレナ教会が庇護する者を皇国が独占する状況を打破したという事にもなる」
マグダレナ教会は大陸全土に広がる宗教だ。
ゼファス様は皇国の皇族というお立場があるから、巡礼しないものの、替わりに枢機卿が雷帝国に行く。
ディンブーラ皇国と違って、雷帝国ではマグダレナ教会は影響力を持つという。
「お待ち下さい。当主様は一体いつから、ミチル様を皇族にするつもりだったのですか?」
「バフェットの野望を潰す為にマグダレナ教会を使うと決めた時には思いついていたのだろう。そうでなければ、ゼファス様とミチルを会わせる必要がない」
頭が追い付かない。
「皇弟の事も見透かされていたと言う事ですか?」
ルシアン様は首を傾げた。
「さすがにないとは思うが、帝国内の事は概ね把握されていたとは思う。
それと、皇弟は愛に飢えている。家族の情があるからこそ、あのような状況においても兄を見捨てられない。
そんな皇弟が、一般的な貴族令嬢を妻としたい筈がない」
おっしゃられている事は分かる。
ミチル様はルシアン様だけを想ってらっしゃる。
貴族同士の政略的な結婚ではない関係が、お二人にはある。それを皇弟は目にしている。
そのミチル様の想いが自分に向く事を望むという事だ。
「ミチルに希望を抱く事は想像に難くない。
それに、ミチルが己の思った存在ではなかったとしても、利用価値はある。
いくら純粋な思いがどうのと言った所で、皇族だ。
潜在的な傲慢さは持ち合わせているだろう」
皇族や王族は、我を通す事に罪悪感がないのだ。
「…いかがなさるおつもりですか?」
「決まっている。
皇都で死んでもらう訳にはいかないから、帰らざるを得ない状況を作るだけだ」
帰らざるを得ない状況。
「一度カーライルに戻る振りをして、雷帝国に入り、スタンキナと会う」
「本気ですか?!」
思わず腰が浮いてしまった。
「お前も来てくれ、フィオニア」
散歩にでも行こうと誘うかのようにルシアン様は言うと、コーヒーを飲む。
「当然お供致しますが、ルシアン様自ら行く必要はないのでは?」
ご自身の容姿が皇弟と瓜二つだと言うのに、敵地に入るなんて、正気の沙汰ではない。
「一度主君に裏切られた男を口説くのに、代理人が寄越した紙一枚でなんとかなるとでも?」
「それは…」
絶対に無理だろう。
かと言って、かつてスタンキナを捕らえ、アキレス健を切ったルシアン様が向かって無事な筈がない。
「スタンキナに会って、どうなさるおつもりですか?」
冷静にならねば。
呼吸を整え、コーヒーをふた口飲む。
「レジスタンスのリーダーになってもらおうかと思っている」
「レジスタンスですか?」
クーデターを起こさせるおつもりなのか?
「旗印は皇弟だ。
重なる増税に喘ぐ国民は、皇弟に代替わりする事をあっけなく望むだろう。足りなければ、マグダレナ教会が出て行けば良い。
本当にクーデターを起こしたい訳ではない。皇弟が表舞台に出ざるを得ない状況を作り出したいだけだ。
皇弟は亡命していたのではなく、帝位を継ぐ為に皇国に誼を結びに来た。マグダレナ教会ともね」
「ミチル様を連れ去ろうとした場合はどうなさるのですか?」
「二度と、そんな事はさせない」
ルシアン様から発せられた威圧に、背中が泡立った。
「フィオニアにも、セラフィナにも、ロイエにも、働いてもらわねばならない」
「御意」
皇城への行き帰り時に、皇帝の刺客に襲われる可能性が高いだろうとルシアン様がおっしゃるので、是非にとお願いして屋敷に部屋をいただいた。
これまではキース様の補助をする為にと、クレッシェン公爵邸に部屋をいただいていたのだが、キース様はカーライルに戻られる事が確定している為、あの屋敷に私がいる意味はない。
ルシアン様の護衛騎士代わりとして、帯剣を許可していただいた。
腰にはルシアン様から賜った燕刀を常に挿しておく。
宰相代行になり、以前よりも皇城を出る時間は遅くなった。
キース様は執務能力は高いお方だったから、その方の代わりと、これまでのご自身の職務もとなると、必然的に負荷は倍になる。
私もお手伝いさせていただいてはいるが、宰相でなければ決定出来ない案件が多く、どうしてもルシアン様に業務が集中した。
ミチル様による業務仕分けが浸透していなかったら、帰る事すらままならなかっただろう。
皇城から屋敷への距離は然程遠くはないが、屋敷が高台の森の中にある為、人目のつかない道を通る。
襲われるとしたら、そこだろうとあたりをつけている。
突然、馬車が止まった。
書類に目を通していたルシアン様は、お越しのようだ、とおっしゃると、私に目配せをした。
「見て参ります」
馬車の扉をそっと開け、前方の御者の元に向かうと、御者が険しい顔で前の方を睨んでいる。
襲撃を予測して、腕に覚えのある者二人を御者として乗せている。
「挟まれたようです」
「なるほど。私は後方の刺客を仕留めて来る。戻るまで足止めを頼む」
御者は頷いた。
馬車の後方に回ると、黒装束の男が闇の中から現れた。
1、2、3…6人か。
相手が短剣を構えたので、私も抜刀した。
普通なら同時に姿を見せないだろうに、見せたのは私を侮っているか、まだ他にも刺客が隠れているか。
どちらにしろ、油断はならない。
中央の刺客が投げた短剣を刀で弾くと、左端の刺客と右端の刺客が同時に向かって来た。
右端の刺客の短剣を刀で受け、鞘で左端の刺客の短剣を受ける。
次の瞬間、二人の刺客は私から離れ、距離を取った。私も一歩後ろに下がる。
刺客6人相手に私一人というのは、少し分が悪い。
そう思った時、後ろから飛び道具が投げられ、正面の刺客の額に刺さって、その場に倒れた。
視線だけ向けると、ルシアン様が燕刀を手に立っていた。
「危険です」
「見れば分かる」
「ならば何故」
「待っているのは時間の無駄だ」
そう言って駆け出すルシアン様。
くそっ!
ルシアン様が狙いを定めているのとは反対の方向に駆ける。私達がほぼ同時に動いた事で、刺客達は戸惑ったようだった。
その隙を突いて刀で刺客を斬りつける。
右側から、潰したような声が聞こえる。仕止められたようだ。私も一人打ち倒し、すぐ横の刺客に切っ尖を向けた。
短剣を投げようとしていた腕を斬り落とし、痛みに身を屈ませたところを刀を突き刺す。
次の刺客を、と思い、視線を向けた時、立ち上がるルシアン様が見えた。足元に3人転がっている。
御者の方に向かうと、一人が腕に怪我をしていた。
刺客の数は4人。
「止血せよ。毒が仕込まれている可能性もある。動かさないように」
「申し訳ございません」
謝罪する御者を置いて、刺客に向かおうとした瞬間、後方から飛び道具が頰を掠めていった。
投げられた短剣のうち、2本が刺客の咽喉と腕に刺さった。
「命中率が低いな」
仕留めておきながら不満気なルシアン様は、私の横に立った。ちら、と私を見たかと思うと、駆け出して行く。
「ルシアン様!」
追い駆ける私を無視して、刺客の眼前まで体勢を低くした状態で潜り込むと、刀の柄を鳩尾に当て、よろけたところを首に刀をあて、斬る。
直ぐ側にいた刺客が短剣でルシアン様の首を狙ったのを、今しがた仕留めたばかりの刺客の身体の向きを変えた為、ルシアン様ではなく、短剣が仲間の刺客の首にめり込んだ。
「ぐぁ…っ!」
仲間に短剣を突き刺した事に動揺している隙をつき、袈裟斬りにする。
私は残りの一人が構える短剣に刀を当て、力で押した。両刃の短剣が刺客の首に当たる。刀を横に引くと、短剣もそのまま首にあたり、刺客はその場に崩折れた。
周囲の気配を探るが、これ以上襲ってくる気配はない。
「帝国の刺客でしょうか」
「そうだろうな」
馬車が通るのに邪魔になる為、刺客の遺体を道の横に寄せる。負傷した御者は馬車に乗せ、横にさせる。
ルシアン様は馬車に乗り込み、私は御者台に座った。
ルシアン様をお屋敷まで送り届けたら、刺客の遺体を調べねば。
ひと通り落ち着いてから刺客の遺体をレシャンテ様と見聞しに行くと、遺体は一つ残らず消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます