私のなりたい姿<アレクシア視点>

ため息を吐く気はなかったのに、つい、ため息がこぼれてしまった。


「姫、眉間に皺が寄ってますよ?」


そう言って苦笑するのは、フィオニア様。

せっかくのフィオニア様とのお茶会だと言うのに、いけない。


皇都にフィオニア様が戻って来てから、こうしてたまにお茶会に付き合っていただいている。

さすがに二人きりにはなれないけれど。


「申し訳ございません。近頃起きている事を思うと…」


「それも無理からぬ事です。帝国の皇弟の事、それから我が主人の事で、要らぬご負担をおかけしております」


フィオニア様はアルト伯爵のみを主人と仰ぎ、絶対的な忠誠を誓ってらっしゃる。


「伯爵の事は、むしろこちらがご負担をおかけしておりますもの。本来なら本国で父君の公爵から宰相としての手ほどきを受けるべき所を、一年という時を皇都で過ごしていただき、皇国の為にご尽力いただいているのですから、私達が配慮するのは当然の事。

それなのに、皇都の貴族がミチル様にあのような振る舞いをする事を止められない私の不甲斐なさに、忸怩たる思いでございますわ」


夫人であるミチル様も、皇室で働く者達の為に、変成術を用いて有用な道具を作成して下さり、業務の処理効率を高めて下さっているというのに。更にウィルニア教団の傷跡を消す為の祝祭をマグダレナ教会の教皇聖下と共に考える等、皇国の為に動いて下さっている。皇都に住む貴族であれば、感謝こそすれ、嫌がらせを行うなんて。

叔母さまのお言葉ではないけれど、本当にどうしようもない者達が多くて、頭が痛くなってしまう。


「ミチル様は、どのように思ってらっしゃるのか、フィオニア様、ご存知ですか?」


私に怒ってらっしゃるのではないかしら。そうであっても全然不思議ではないもの。


フィオニア様は、ゆったりと紅茶を口に運ぶと、「ミチル様から姫や皇室への不満を聞いた事はありませんね」とおっしゃった。


「もっとも、あの方は、あまり不満を口にはなさいませんが」


私が耳にしているだけでも、それなりに嫌がらせをされていると聞くのに。


「お強いのですね」


「ミチル様は我慢をなさいますからね。

主人はあの通り、ミチル様の事しか考えておりませんから、これ以上ミチル様に無理はさせたくないと、本国に帰りたいという思いを抱いておりますが」


伯爵が私とキースに、カーライル王国に帰りたいと言ったのはついこの前の事。


「そうですよね…」


初めて伯爵に会った時に、全てを拒絶するようなあの目と、美しさに驚いて、お祖父様から妻を溺愛していると聞いてまた驚いた。

何処か人間味のない伯爵が愛してやまない、屋敷に閉じ込めてしまう程の存在に会ってみたかった。

無理を言って妻であるミチル様を皇都に連れて来ていただいて、謁見したあの時、あぁ、なるほど、と妙に納得した。


人形のように美しくて、儚げで、それなのに強さも垣間見えるミチル様を、伯爵は、狂おしいぐらいに愛してらっしゃるのが、向けられている視線からも分かって。

謁見を終えてお茶会に招待した後、伯爵はミチル様しか見ていなかった。あんなにも、誰かを想う事が可能なのかと思う程に、伯爵の全身全霊はミチル様だけに向いていて。

その様子が、私はとても好ましく感じられたし、正直羨ましいと思った。

…私も、そんな風に、思っていただけたらと。


それだけミチル様を愛してらっしゃる伯爵が、このような状況を良しとする筈もなくて。


「主人の怒りを抑えようと、ツォード・オドレイ殿には、少し痛い目にあっていただきました」


ふふふ、と楽しそうに微笑むフィオニア様。


「まぁ…あの噂はフィオニア様が?」


オドレイ家嫡男のツォード・オドレイが賊に襲われて不能になってしまって、後継者から外されて領地に送られた、という噂。

ミチル様に嫌がらせをした妹を私が領地に下がらせた事に、兄であるツォードが腹を立て、ミチル様の元に押しかけたのを、父であるオドレイ侯爵が怒り、廃嫡にして領地に送った、というのが本当の所だけれど、そうなればオドレイ家は事実上終わる。

皇都の貴族間のパワーバランスにはまだ手を付けたくない皇室としては、フィオニア様が流したという噂はとても有り難かった。


「先日のレーフ殿下を歓迎する夜会でも、殿下と踊れなかった令嬢が、ミチル様に危害を加えようとした所を、燕国からお越しの二条殿に助けていただいて事なきを得ましたが、そろそろ本気で対策を考えないといけません」


足をかけて転けさせようとするなんて、本当にとんでもない。

その令嬢は50歳を過ぎた方の後添えに入る事が決まった。令嬢は泣いて嫌がったとの事だけど、決めたのは令嬢の父である伯爵で、皇室の怒りから家を守ろうと、早々に手を打ってきて、結婚の許可が上がってきたのだった。


フィオニア様が今度はため息を吐いた。私もつられてため息を吐く。


「リリー・エルギン嬢はまだルシアン様を諦めてらっしゃらない様子ですし、その父君はあちらに関して手段を選ばないという噂を聞き及んでおります。

下手をすると主人が侯爵を手にかけそうで、それは何とか防ぎたいものです」


どうすれば、ミチル様を守って、伯爵のお力を引き続き借りられるのかしら。

ミチル様には友達になって欲しいとお願いしたけれど、全然守れてなくて、とてもではないけれど、友達だなんて言えない状況になってしまっている。


「リリー嬢の事はミチル様ご自身が何とか出来ると思いますが、侯爵は駄目でしょうね。あと、殿下をどうしたものかと」


レーフ殿下の事も頭痛のタネになっている。


「ミチル様は、その、殿下に興味はおありなのですか?」


あり得ないとは思うけれど、一応聞いてみたかった。

あれ程そっくりだし、身分も殿下の方が上になる。これまで伯爵に熱を上げていた令嬢達が殿下に夢中になっているとは聞いている。

そうなっていて欲しくない、という思いがある。

勝手な押し付けではあるけれど、ミチル様には、伯爵と添い遂げて欲しい。


フィオニア様は何かを思い出したようで、笑顔になった。


「ミチル様は大丈夫です。あの方は絶対にルシアン様を裏切りません」


ここまではっきり断言出来るような事があったのかしら?


「嫌いなんだそうですよ、殿下が」


くすくすと笑いながら、クッキーを口に入れる。


「嫌い?殿下を?それはまた、何故?」


殿下がミチル様に関心を抱いているとは聞いた事がないけれど、まさか、そういった行いをなさったのかしら??

確かにミチル様は恐ろしく美しいけれど。そんな命知らずな事…。


「殿下はルシアン様をご自身の替え玉にしようとしているんですよ。それがミチル様は分かるから、殿下の事を嫌悪なさってるのです。」


「まぁ!」


愛する人が、他の誰かの替え玉にされそうになったら、それは確かに嫌って当然ですわ。

でも、それ程、ミチル様は伯爵を愛してらっしゃるのね。


「伯爵とミチル様は相思相愛なのですね」


私がそう言うと、フィオニア様は困ったような顔になった。

何か変な事を言ったかしら?


「相思相愛ではあるんですが、愛の重さが永遠に釣り合わない気はしますね。主人の愛は重いですし」


「あら、淑女であれば、そこまで愛されるのはむしろ嬉しいのではないのですか?私も憧れますわ」


首を横に振ると、「限度というものがありますよ、姫」とおっしゃる。


限度を超えた重たい愛、ってどんなものなのかしら。


「主人は、ミチル様の全てを自分のものにする為なら、何でもします。今の所というのか、ミチル様が既に諦観の域に達していて、ルシアン様を受け入れているので平和なんですが…」


愛してるのに諦観…?

よくは分かりませんけれど、身近で見ている人達が不安になる程に、伯爵の想いが強い、という事はよく分かりましたわ。

やっぱり、ミチル様の事をちゃんと守らなくては。


それにしても、ミチル様ご本人の気持ちも聞いてみたい。


数回しかお話した事はないけれど、聡明さが滲み出ていて、落ち着いた振る舞いはとても品があって、物事にも動じず、堂々としてらっしゃって、私なんかよりよっぽど皇族に向いていると思う。

叔母様からの養女のお話は断られてしまったようだし。あれは断られて仕方がないとは思うけれど、ミチル様が私の従姉妹になって下さったらいいのに、とは思う。


「殿下の事はこちらも気にかけてみますわ。替え玉など、とんでもない事ですもの」


お祖父様が教えて下さった話では、カーライル王国は雷帝国とギウス国に睨みを効かせる重要な役割を担っているのだそうで。

ウィルニア教団の所為でハウミーニア国を滅ぼす事になった時には、アルト家に新しい国の王家を立ち上げてもらおうと思ったのだけれど、断られてしまったのだそう。

代わりにハウミーニアは何とかしますとカーライル王とアルト公爵は事もなげにおっしゃった。

お祖父様が、あの二人がそう言うのなら、大丈夫だと。

アルト公爵の名前の影に隠れてしまう事が多いけれど、カーライル王もなかなかの人物だそうで、そうでなければあの公爵が従う訳がない、との言葉には妙に納得した。

立太子式典で初めてお会いした時、アルト公爵の事を、素直に怖いと思った。絶対に、逆らってはいけないって。

その感覚をお祖父様に言ったら、その感覚を大事にしなさい、と。世の中には絶対に敵に回してはいけない人物というのはいて、その最たる人物がアルト公爵だと。


あの後お祖父様から話を伺ったけれど、女帝陛下と叔母様のバフェット公爵家との諍いの結末は、全てアルト公爵の手のひらの上で、踊らされていたようなものだと。

もっと恐ろしい結末に陥ってもおかしくなかったものを、これ程キレイにまとめた手腕は、凄まじいとも。

すべからく、全ての人間は公爵にかかればタダのコマになるとの事だった。

息子である伯爵は、父である公爵を超える事はないだろうけれど、彼自身も化け物と呼ぶに相応しい才能の持ち主だよ、とも。

それからお祖父様は、ミチル様も普通ではないとおっしゃっていた。宰相の器だと。


皇族としての血を引いているとはいえ、何の才能もない私には、ミチル様の宰相の器が羨ましい。

努力で何とかなるものであれば、是非にと思う。


美しく、聡明なミチル様に恋い焦がれているのは伯爵だけではなくて、私の護衛騎士のオリヴィエは一目惚れして、ミチル様に仕える為だけに、専属執事と婚約をした。

ミチル様がカーライル王国に帰る際には、オリヴィエは私の護衛騎士を辞め、彼女の護衛騎士になる。


妖精のようなあの神秘的な美しさと、品と、聡明さを併せ持つミチル様に仕えたいというオリヴィエの気持ちは、理解出来る。


ミチル様の事ばかり考えていたら、会いたくなってしまった。

私は彼女を妬ましいと思った事がない。

仲良くなりたい、という気持ちしかわいて来ない。




後日、開いたお茶会で、私もミチル様のように、執政の才能が欲しいと、ないものねだりをしてみた所、ミチル様はきょとんとした顔をなさって言った。


「姫には、為政者に必要な、物事を正しく見る目がお有りですのに。執政は他の者でも出来るでしょうが、正しき目で見て、その為に必要な人材を選び取る能力こそ、姫には必要なものでは?」


その言葉に、私の中の不安な気持ちが霧散するのが分かって。


「私の親友は、カーライル王国の王太子妃なのですけれど、彼女は夫である王太子に、この人の為に何かしたいと思わせる能力こそ、上に立つ者に必要だと言ったそうです」


鳥肌が立ったのを、ミチル様に知られないように、微笑み返すのが、私には精一杯でした。


珍しい事にミチル様はにっこりと微笑んで、「姫なら、大丈夫ですわ」と言って下さった。

その言葉に、涙が出そうになるのを、ハンカチを強く握って堪える。


「悩みが尽きないのです。どうすればより良くなるのかと、考えているのに、答えが出ないのです」


気が付けば、皇族なのに、弱音を吐いていて。でも、言葉を引っ込める事はもう出来なかった。


「正しい方向に持って行きたいというお心をお持ちだからこそ、悩まれるのです。より良くしようと思わない者は、そもそも悩みなど抱きませんもの。

悩む事も迷う事も悪い事ではありませんわ、姫。己を過信する事が、為政者が一番してはいけない事です」


私は、この時、どんな統治者を目指すのかを、決意した。


完璧な統治者には、なれない。

愚かな私はきっと足掻き続ける。

それでも、今日よりも明日が、良き日となるように、私は努力し続ける。

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