017.酒は飲んでも呑まれるな

昨夜、何があったかを思い出していくたびに、よくない汗が額に浮かぶ。


そんな私を、隣で横になってるイケメンは、楽しそうに見ている。


首筋にいくつも見えるあの赤い点、もしかしなくても、私です…よね…。

記憶と一致する場所にあるし…ハハ…。


「覚えてるんですね」


良かった、と言ってルシアンは微笑み、私の腕を撫でる。


ひぇぇぇぇっ!


「昨日、あれだけ熱烈に私を愛して下さったのに、もし覚えていなかったら、記憶に焼き付くまで今夜も同じことをするしかないかな、と思っていましたから」


ひぃ…。

実は途中までしか記憶がないなんて言えない。言ったらまた…?!


上体を起こしたルシアンの身体にかかっていた布がはだけ、更に赤い点が見える。


私、一体、どれだけ付けたの、キスマーク??!!


顔どころでなく、全身が熱い!!


ルシアンは私の頰を撫で、キスをした。


「凄い、肩まで真っ赤になってますよ?」


そう言って私の肩にキスを落とす。


言葉にならず、はくはくと空気を噛む私に、容赦なくルシアンが言った。


「女神に感謝をしなくてはいけませんね」


や、やっぱり?!私、私、ルシアンを食べたの?!

肉食女子に開眼したと?!


重ねた枕を背もたれに寄りかかるルシアン。

布がギリ、際どい所で保たれてる。セーフ!

っていうか何で何も着てないのーっ!!

いや、私も着てなくって、さっきから布で身体を隠しているんだけどね?!


?!


あ、あんな、あんな際どい所にキスマークが?!

マジで?!

いやいやいや!!

私、そんな破廉恥な事を?!

知識はあるよ?!いい大人だったもの!

でもっ、でも…っ!

まさか私…っ?!


私の視線に気付いたルシアンがふふ、と微笑んだ。


「この徴が消えたら、また、付けて下さいね?」


む…無理…!!




ルシアンは私を置いて皇城に出仕しました。

あの首筋のキスマークは隠して行ってくれただろうか…隠してくれないと、2度と皇城に行けなくなる…。

いや、酔った己が悪いのは分かってますよ?!どう考えても、考えなくても、犯人私だし!


私は自室で安定の体育座りです。手慣れたもんですよ、体育座り。


「ミチルちゃんは本当に、大胆なんだか臆病なんだか、どっちなの?」


「臆病ですわ。ですから、今こんな状況に陥っております…」


「そうね」


セラが入れてくれたほうじ茶を半泣き状態で飲む。

私の正面に座ったセラも、ほうじ茶を飲んだ。


「遅かれ早かれじゃない?どうせミチルちゃんは逃げられなかったと思うわよ?」


デスヨネー…。


「とは言え、恥ずかしいものは恥ずかしいのです」


「まぁ、そうよね」とセラも納得する。


「セラも私と同じ目に合う呪いをかけておきます」


「なんでよ!」


「そして私と一緒に凹むのです」


道連れですよ、道連れ。


セラは呆れるようにため息を吐く。


「同じ目にあっても、ワタシは別に凹まないわよ」


なんですって?!

あんな恥ずかしい目にあっても、凹まないなんて、鋼メンタルなの?!


「ほら、昨夜も大して口にしていないのにお酒を飲んでるんだから、ちゃんと食べないと駄目よ?」


エマが作ってくれた梅おかかのおにぎりが、私をじっと見ている。美味しそうです。


そう、お酒に弱い上に空きっ腹だから、昨日はあんなに酔ったに違いない。


…そうか!


「お酒に強くなればいいのですね?!」


「どうやったらそういう発想に行き着いたのか教えてもらえるかしら?」


またセラにため息を吐かれた。


「お酒に強くなれば、お酒に呑まれなくなって、昨日のような醜態を晒す事がなくなるではありませんか」


「醜態というか、ただのいちゃいちゃでしょ…」


失態です!


…そう言えば、昨日ルシアンが飲んでいたお酒は、かなり強いような気がする。

記憶の中のルシアンは、全然酔ってなかった。

素面に見えてるけど実は酔っ払うタイプとか?


「セラ、ルシアンが酔った姿を見た事ありますか?」


「ないわ」


即答?!


「アルト家男子は基本酔わないわよ」


金属で身体が出来てるとかなの?!


「媚薬やら薬物やら酒やら、元々効きづらい一族な上に、幼い頃から仕込まれるからね、ルシアン様の年齢なら、まったく酔わないと思うわよ」


えぇ…アサシンファミリー容赦ないな…。


「だから、ミチルちゃんがいくらお酒に強くなろうと鍛えた所で、ルシアン様と飲み比べたら絶対に先に酔うんだから、無駄だと思うわよ?」


……そのようで。


「セラは?」


「酔うわよ?

でも前に酔って大変な事になったから、飲まない事にしているし、大分鍛えたわ」


この美貌でほろ酔いとかされたら、血を見そう。


「セラ、大変だったのですね?」


貞操とか、大丈夫だったかな?


「何を想像したのよ?!」


「色々と?」


あんな事やこんな事を!


おでこを叩かれた。いたっ。


「ほら、馬鹿な事言ってないでおにぎり食べなさい」


「はぁい」


エマお手製のおにぎりを食べる。

あぁ、美味しい。


「まぁ、ミチルちゃんには申し訳ないけど、ルシアン様のご機嫌がすこぶる良いから、今日の皇城は平和だと思うわ。昨日あんな事があったからね」


あんな事?


ピンとこない私のおでこをセラがもう一度叩いた。


「ワインをかけられたの忘れたの?」


そうでした!


ミチル肉食女子開眼しちゃった疑惑で頭がいっぱいで、すっかり記憶から抜け落ちておりましたよ!


「その件で話もあるから、ルシアン様からしばらくミチルちゃんは皇城に出仕しなくていいと言われているわ」


カーライル王国に帰ろうとか言ってたもんな、ルシアン。


「昨日のあの令嬢は、オドレイ侯爵家の令嬢よ。

ルシアン様とミチルちゃんが城を出た後、アレクシア姫にオリヴィエが報告して、姫が大変お怒りになってね」


ほうほう。


「令嬢はシーズン中だと言うのに領地に帰されたらしいわ。まだ婚約者もいないと言うし、大失態よねぇ」


皇都の貴族のほとんどが集まる夜会で失態を犯し、次期皇帝の怒りを買った侯爵令嬢に、真っ当な婚約の話が舞い込む事はないだろうなぁ…足元を見られて、同じように疵のある相手や、何処ぞの後妻に収まるといった所だろうか。


やっぱり大事になってるー…。


「オドレイ侯爵もさすがに娘の事を庇いきれなかったみたいよ。ただ、オドレイ侯爵家嫡男のツォード様がルシアン様を逆恨みしてるみたい」


何で?!


「アルト伯爵が妹を誑かしただの、もっと妹に優しくしていれば妹もあんな事はしなかっただの、世迷言を言ってるらしくてね。侯爵は慌ててツォード様も領地に帰したみたいよ」


どういう思考回路なの…。

ミチルの理解の範疇を超えております!


ドアがノックされる。

どうぞ、と答えるとドアが開き、レシャンテがドアを開けてお辞儀をした。


「奥様、ツォード・オドレイ様が奥様にお会いしたいとお越しでらっしゃいますが、いかが致しますか?」


何で?!

領地に帰されたんじゃ?!

帰される前にうちに寄ったって事?!


セラが半眼になった。


「奥様は体調不良から先程お目覚めになられたばかりで、お会い出来る状態ではないからとお断り申し上げて下さい。それから、ルシアン様には知らせを」


「旦那様にはご連絡を出しました。

同じ事を申し上げてお断りしたんですが、何時間でも待つと仰せになって…」


レシャンテは息を吐くと、「始末したいのですが、あれでも侯爵家ですから、旦那様の命令を待っている所です」と言った。


始末て!


思わずため息が溢れる。


「セラ、リュドミラを呼んでくれますか?」


「ミチルちゃん?まさか会うつもりでいるの?」


「一対一で会う訳ではありませんし、ルシアンの手を煩わせたくないのです」


仕方ないわねぇ、と言ってセラはリュドミラとエマを呼び、二人には私の身支度を手伝ってもらった。


元々ワンピースぐらいは着ているから、メイクと髪を整えれば会える状態ではあったんだよね。

リュドミラはわざとらしく時間をかけて私の髪を梳いたりしていたので、半刻ぐらいは待たせたと思う。


セラとレシャンテ、イーギスとアメリアを伴ってサロンに入ると、ツォード様が私を値踏みするように見た。

立ち上がりもしませんよ!人様の家なのに!

侯爵家令息とは思えない程品がない。


「そなたがアルト伯爵夫人か。なるほど、男好きしそうな見た目をしている。

そもそも、この私を散々待たせるなど、どういう了見だ」


突然の来訪を謝罪するでもなく、挨拶するでもなく、イキナリそれですか?!


私の周囲から放たれる冷気で私が凍る前に謝罪するか、とっとと帰ってくれないかなー…。


「辺境の田舎者風情が、我が妹と張り合おうなど、片腹痛い。さっさと伯爵と離縁して国に帰るといい。

そうすれば妹も伯爵の妻となり、伯爵も皇国貴族籍を賜りやすくなるというもの」


そう言って私を見るツォード様に、私は何と言っていいのか分からなかった。

いや、だって、頭おかしいんだもの、この人。


ルシアンは皇国の基盤を建て直す為に皇都に来ただけで、皇国貴族になろうなんて思ってない。

アルト公爵家の跡取りなんだから。


あー、もしかして昨日ルシアンに集っていた令嬢達も、そう言う目で見てるのかな?

その上で、私は、田舎から夫に捨てられないように追いかけて来た妻、って思われてるって事?


えぇ…?

かなり強引に連れて来られたのに?

いや、一年も離れて暮らすつもりはなかったけど…。


複数の足音がサロンに向かってくるのが聞こえた。

ルシアン、もしかして帰って来ちゃった?


ドアが開いた瞬間、「ツォード!貴様!」という怒声と、「父上?!」という悲鳴のような声が上がる。


どっかりとソファに腰掛けていたツォード様は、慌てて立ち上がるも、部屋に入ってきた中年男性に胸ぐらを掴まれた。


父上って言ってたから、きっとオドレイ侯爵ダネ…。


「大丈夫ですか?」


ルシアンは私を抱きしめた。


「ごめんなさい、昨日に引き続きミチルに怖い思いをさせてしまいましたね」


怖いっていうか…そうですね、同じ言語を発してる筈なのにコミュニケーション不能な恐怖なら若干感じました。

あまりの事に己のディンブーラ皇国語が不安に感じた程でしたよ。


「大丈夫ですわ、ルシアン。それより、お勤め中でしたのに、私の事でご迷惑をおかけして申し訳ありません」


夫人、と呼ばれたので、声のした方を向くと、オドレイ侯爵が頭を下げていた。


「!」


ツォード様の顔色が悪くなる。


「頭をお上げ下さい!私は大丈夫ですから!」


「この女もこう言っているではありませんか!」


こ、この女呼ばわり…。

フォローしたのに、酷すぎる。ミチル涙目です。


懲りないツォード様の言葉に、オドレイ侯爵はツォード様を殴った。

侯爵のこめかみに血管浮いてるもんな…。

それにしてもこのぼっちゃんが次期侯爵に…?


「アルト伯爵と夫人は、皇女殿下に請われて皇都に滞在している、食客だ。そのぐらいの意味も分からんのか?」


「いくら食客とは言え、辺境に住まう貴族など、皇国の貴族である我らとは違います、父上!」


オドレイ侯爵はルシアンに頭を下げると、「このような愚か者に育てたのは、親である私の責任だ。きちんと躾直したいと思う。だが、私には皇国貴族としての立場がある」と言うと、ツォード様を見下ろして言った。


「ツォード、貴様は廃嫡だ。次期オドレイ侯爵は次男のビジュレイにする」


「父上?!」


悲鳴のようにツォード様は侯爵に縋った。

それでも表情の変わらない父に衝撃を受けたのか、その場に座り込んだ。


「…おまえの…」


ん?何か呟いてる?


「おまえの所為だ!!」


勢いよく立ち上がり、ルシアンに摑みかかろうとした所、ツォード様の身体がくるりと回転して、床に倒れた。


押さえ込んでいるのはレシャンテ。

おぉ…っ!さすが、始末と言い切るだけあって、強い!

カッコいい!!


「旦那様に危害を加える事は許しません」


「連れて行け!」と、オドレイ侯爵が言うと、従者がツォード様を羽交い締めにして連れ去った。


侯爵は私の方を向き、改めて頭を下げた。


「本当に申し訳ない。

夫人は体調不良でお休みされていたと言うのに…」


「いえ…大丈夫ですわ…私よりも、オドレイ侯爵のご心痛の方が…」


悲しそうに微笑むと、失礼する、と言ってオドレイ侯爵は去って行った。


「ルシアンも、助けに来て下さってありがとう」


迷惑かけたくないと思っていたのに、結局助けてもらってしまったなぁ…。

一人で解決出来なくて、申し訳ない。


首を横に振ると、ルシアンは私の髪を撫でる。


「間に合って良かった」


カーライル王国に帰りたくなってきた…。

皇国、宇宙人多い。


「叔父に相談しなくてはならない件が増えましたので、皇城に戻ります」


レシャンテとセラを見てルシアンが言った。


「今後、ミチルが良いと言っても、皇国の貴族を屋敷に入れないように」


二人はかしこまりました、と答えて頭を下げる。


「ミチルも、いけませんよ」


「わかりました」


ルシアンを見送った後、ため息を吐く私を、セラが頭をポンポン、と軽く叩いて慰めてくれた。

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