084.深窓の令嬢とチョコレート

ルシアンが、リュドミラが私に悪影響を与えるようだから、公爵家に返す、と言った。


そんな事する必要ないと言えない私は、駄目な人間だ…。

だって、ホッとしてしまった。


リュドミラがルシアンをうっとり見つめる姿を見ると、胸が痛くなって、大好きな料理を食べても美味しく思えなくて、それがまた自分の心の狭さを責められているようで、食欲がなくなり、誰かと話すのも嫌になって、ベッドに潜り込みたくなる。


「リュドミラは私を通して、別の人間を見ているようです。」


え?


顔を上げると、ルシアンはいつも通り無表情で、ロイエがいつもより険しい顔をしていた。

セラも呆れたような顔をしている。


「どういうこと…ですか?」


「リュドミラは以前、危険な目に遭った際に、私によく似た人物に助けられたのだそうです。

その人物をリュドミラは想っていて、私の事を想っている訳ではないと。」


えぇ?

この超絶イケメンに似た人がもう一人いるってこと?!

信じられない!


でも、それって、本当に好き?

いや、恋愛レベル1のスライムのような私に言われたくはないだろうけど、リュドミラのそれは、恋なの?

誤魔化しではなく、本当の事なの?


こ、困る…。

なんかこれでリュドミラを公爵家に、って言ったら、私、悪者過ぎる…。


…こういうの苦手…。

どうしてこんな話を私に聞かせたんだろう。

あぁ、リュドミラを公爵家に帰したくないからか…。


「ある意味被害者のミチルちゃんに、その話を聞かせるのはおかしいと思うわ。

そんなの聞かされたら、ミチルちゃんはまた我慢するしかないじゃない。

ワタシは反対よ。」


セラが言ってくれた言葉に、すっと胸が軽くなった。

うぅ、セラ!一生付いて行きます!


「私は一言も、リュドミラを許して欲しいとは言ってません。」


ルシアンはため息を吐いた。


「彼女は預かりの身。他所に出す訳にはいかないので、この屋敷かアルト公爵家に置いています。

本人が何もせず匿ってもらうのは申し訳ないと言うので、侍女になってもらっているだけで、別に働いてもらう必要はない。

ミチルに不快な思いをさせる人間を側に置く気はありません。」


あれ?

そうなの?


「私はミチルの心を軽くしたいだけで、リュドミラの事はどうでも良い。」


わぁ…清々しいまでにルシアンはブレません。


セラの顔を見ると、にこっと微笑んでくれた。

おねーさま!


ルシアンに向き直って、言った。


「リュドミラと、私で話をさせて下さい。セラも一緒にいて下さい。」


ルシアンはちら、とセラを見る。セラは目を閉じて頷いた。


「分かりました。私は書斎に戻ります。」


立ち上がり、私の頰を心配そうに撫でるルシアンに、胸がぎゅっとした。


「大丈夫ですわ、セラがいます。ご心配をおかけして申し訳なく思います。」


首を横に振ると、私の頰にキスをしてルシアンはサロンを出て行った。

後を付いて出て行ったロイエが、少ししてリュドミラを連れて戻って来た。


部屋に入るなり、謝罪の為に蹲ろうとするリュドミラをセラが止めた。

わざとなのかそうじゃないのか分からないけど、一つ一つがわざとらしく見える人だなぁ、リュドミラって。


「そういうのは、いいわ。そこに立って。」


セラの声には気持ち、苛立ちが含まれていた。珍しい、セラがこんな反応するなんて。


「リュドミラ、呼び出してごめんなさい。」


「いえっ、考えなしの私が、全て悪いのです。」


震える声で言うリュドミラ。


うーん…このシーンだけ切り取って見ると、私がリュドミラを虐めてるみたいだよー…。

どうかこの態度がリュドミラの演技ではありませんように…オネガイシマス…。


「色んな人から、貴女は素行を窘められた筈よ?それなのに何故、あの態度を止めなかったのか、説明してくれないかしら?」


なるほど、セラの苛立ちはそこにあるのか。

他の誰かが、リュドミラのルシアンへの目は使用人としておかしいから、止めなさいと注意してくれたのに、リュドミラは改めなかったと。

うーん…それだけ聞くと、リュドミラはますます怪しいと言うか、確信犯と言うか…。


「私は…自分の立場を…本当の意味で理解していなかったのだと思います…。

このまま保護していただくのも申し訳なく思い、奥様付きの侍女にしていただいた意味を、よく考えておらず…。

あの方によく似た旦那様に憧れることを、許されると思っておりました。

よく似てらっしゃっても、私が想うのはあのお方で、旦那様ではありませんでしたから…。」


そこで言葉を区切ると、リュドミラは蹲って頭を下げた。


わっ!

貴族令嬢なのに、何てことを!


「それが、奥様のお心を傷付けるなど、考えもつかず…。

考えなくとも、私のような侍女が、ご自身の愛する方を見つめるなど、許される筈もありませんのに…。

本当に、申し訳ありませんでした…。」


頭が痛い。

ため息が出てしまう。


「リュドミラ、いえ、リュドミラ様、貴女に侍女は向かないと思いますわ。

お気付きになられているか分かりませんけれど、貴女は貴族言葉で話してらっしゃいますもの。」


はっ、とした顔で私を見上げるリュドミラ。


「どのような事情で貴女がアルト公爵家で保護されているのかは、私如きには分かりませんけれど、貴女は生まれついての令嬢でらっしゃいます。

侍女の真似事などせず、時が来るまで、己のするべきことをなせばよろしいと思います。」


セラに目配せをする。セラは頷き、リュドミラに手を差し出して立ち上がらせた。


「リュドミラ様、直ぐに公爵邸に戻る準備を致します。

お部屋にてお待ち下さい。」


セラの態度は、同じ使用人に向けるものではなかった。


リュドミラの目からポロポロと涙がこぼれる。


うわぁ…泣き出したよー…。

ますますもって私が虐めたみたいだよー…。


「心を入れ替えてお仕え致します!

ですからどうか!どうかもう一度機会をお与え下さいませ!」


えー…そんなこと言われてもー…。

っていうか、そこまでして働かなくてもいいんじゃないのかなー。


困ったなーと思っていたら、セラがため息を吐いた。


「今回の事はアルト公爵様には既に報告してあるわ。

公爵様がどのような判断を下されるかは分からないけど、それまで、ミチルちゃんに心して仕えなさい。

次はないわ。」


「は、はいっ!ありがとうございます!」


「とりあえず顔を洗って、他の者達に謝罪して来なさい。事の次第はワタシからルシアン様に報告しておくから。」


促されてリュドミラはサロンを出て行った。


セラ、優しいなぁ。チャンスをあげるなんて。


私としては、リュドミラがルシアンに色目?を使わなければそれで…ちょっとはもやもやが残るだろうけど。


「甘やかされる事に慣れきった令嬢って、面倒ね。」


セラとは思えない辛辣な言葉にぎょっとした。


「実はもう、公爵様から返事は来ているのよ。まだ預かっておけと。閉じ込めてもいいからって。

それでもルシアン様はミチルちゃんの為に絶対に返すとおっしゃってるの。」


閉じ込めていいって…凄いな…。


「セラ、彼女は何者なの?」


「…雷帝国から亡命している元伯爵令嬢、といった所かしらね…。」


雷帝国?!

アルト家…一体何処まで手を広げてるの…まさか大陸全土とか言わないよね…?


それにしても伯爵令嬢か…私と同じ爵位だ。

それなのにこの、品性の違い…ちょっと凹む。


「ごめんね、ミチルちゃん。もうちょっと様子見させてちょうだい。その上でどうしようもないなら、ワタシが責任持って始末するから。」


え?始末?

アルト公爵家に返す、じゃなくて?


セラはにっこり微笑んだ。

ソウデシタ。アルト家ってこういう家デシタ。




自室にセラと戻り、セラにチャイを淹れてもらった。


1月も半ばまできて、もうすぐ2月。

去年の今頃はカフェの開店でバタバタしていたし。

こんな風にのんびり愛するアンクルモアシリーズを読みながら美味しいお茶を飲んでるなんて、贅沢…。

前世での2月と言ったら、上司への義理チョコを何にするかで毎年悩んでいたなぁ…。

今年はルシアンにあげようかなー。チョコ。


「!」


私の人生初の…本命チョコを渡す相手が出来た…!

本命…!

まさかの本命が、現れる日が来るなんて…!


「ミチルちゃん、どうしたの?顔が赤いわよ?」


「あ、あのですね、セラ。あっちの世界ではバレンタインデーというものがありまして。」


「バレンタインデー?」


訝しげに聞き返される。


「その日は、淑女から愛の告白をして良い日なのです。」


本当はチョコなんか関係ないし、女性からっていう縛りもないんだけどね。

日本式バレンタインデーを流行らせてみよう!


学園が始まったら、モニカにも相談しようっと。


それはそれとして、ルシアンにチョコを!


「どんなチョコをあげたら、ルシアンは喜んでくれるでしょうか…。」


「チョコを渡す時って、愛も伝えるのよね?」


「そうです。」


何て言おう。

いつもありがとうございます、とか?え、義理チョコだな、それだと。

本命です!…なんかおかしいな…。


「チョコと私を食べて、とか言ってみたら?喜んで食べてくれると思うわよ?」


「破廉恥!」




ルシアンって、好き嫌いないよね。

素晴らしい。

でも、甘いものはあんまり食べないかも。私が作った物は食べるけど。


「ルシアン、質問です。」


「何ですか?」


ルシアンは私の頰にキスをする。


もはや、お膝抱っこも、頰にキスも、受け入れてしまっている己に若干驚愕する。

前世では年齢=彼氏いない歴だった私が!まさかの!イケメンのお膝の上に慣れた挙句、ほっぺちゅーにまで慣れてしまうとは…恐ろしい…!

慣れって怖い!


「ルシアンが好きな甘い食べ物は何ですか?」


バレンタインの参考にするんだー。

オレンジのシロップ付けにした奴をチョコに浸すとか、ピールでもいいかな。

甘いけど酸っぱさもある味。ゆずピールのチョコがけとかも美味しかったなぁ。


「ミチルでしょうか。」


え?


「あの…甘い食べ物…ですよ?」


私は食べ物にあらず!

いや、なんとなく方向性が見えるので、ここは断固として拒否したい!


「私の好きな甘い食べ物はミチルだけですよ?」


やばいやばい、コレ、セラの言うチョコと私も食べてコースまっしぐらだよ?!


「の、飲み込めるもので!」


食べないで!


ふふ、とルシアンは笑うと頰を舐める。ぞわりとする。


「飲み込めなくても、美味しいですよ?」


ひっ。


「駄目ですー!」


「それで、私の甘い果実は何を始めようとしてるんですか?」


今不穏な枕詞入ったな。

スルーしよう、うん。

聞かないことにしないと大変なことになる…!


「あちらの世界の、私がいた国にあったイベントをこちらにも持ち込みたいなと思っているのです。」


「イベント?」


私の手のひらにキスをするルシアン。あわわ。ぞわぞわするよ…!


「本当は、聖バレンタインという方を悼み感謝する日なのですが、私のいた国の製菓を扱う営利団体が違うイベントにしてしまったのです。

その日は女性から愛の告白をしていい、ということにして、その際にはチョコレートを相手に渡すのです。」


「良いイベントですね。」


私の唇をさっきからルシアンは指でなぞってる。

危険危険。

とりあえず話は最後まで聞いてくれそうだけど、その後どうやって逃げよう…。


「そ、それでですね、カフェでチョコイベントをするのに合わせて、チョコの販売をしようと思うのです。

メッセージカードも付けて。」


「それは、私もいただけるのですか?」


「え?」


ルシアンが無表情になった。

おや?さっきまで甘々な顔だったのに、どうしたんだろう?


「?ルシアンに差し上げるものは、自分で作りますけれど…カフェのチョコの方が良いですか?」


途端にルシアンが笑顔になって、私にキスをし、そこからは話にならなかった…。

何で?!

何処でスイッチ押しちゃった?!

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