082.準備完了
年が明けて二週間程して、新年のお祝いとしてアルト公爵家に集まった。
「おや。」
サロンに入り、ルシアンを見たお義父様がにやりと笑った。
「そのマフラーはミチルが編んだのだね?」
「そうです。」
そう、ルシアンはプレゼントしてからずっと、マフラーを手元から離さない。
「いいなー。ミチル、兄上にも」
ラトリア様は言い終える前に、ルシアンの視線を受けて黙り、首を横に振った。
「兄上も早くご結婚なさって下さい。」
お?!
「お義兄様、そのような方がいらっしゃるなんて、存じ上げませんでしたわ。」
わくわく。ラトリア様のコイバナ!
私とルシアンの前に緑茶の注がれたカップが置かれる。
それと、きんつば。
前世ではあまり得意ではなかったけど、小豆が貴重に感じるようになってからは、きんつばも好きになった。
あんこがしみるのですよ、あの甘さが…!
ラトリア様は苦笑した。
「それはそうだよ、いないもの。」
えぇーっ…。
「仕方ないよ、ラトリアの初恋の相手はセラだし。」
お義父様がそう言ってため息を吐く。
?!
「…お義兄様…お気持ちは分かりますけれど…愛妾は正妻をお迎えになられてからの方がいいですよ?」
そうか…それも無理ないよねぇ、セラ、本当に美人だもんなぁ。小さい頃も美人だったろうし。それとも可愛いだろうか?
「父上!ミチルに誤解を与えるような言い方はお止め下さい!義妹に嫌われたら恨みますよ…!」
あはは、とお義父様は笑う。
ルシアンはきんつばをカットすると、私の口に運ぶ。
きんつばはつぶあんだよね。
あんこの中のつぶの食感が良いんだよね。美味しい。
「美味しいですか?」
食べてて喋れないので頷く。
「あーん。」
口元に運ばれたきんつばをまた食べる。
あんこの周りの皮の厚みが絶妙だなぁ。凄いなぁ、さすがアルト公爵家のパティシエ!
屋敷にいるのと同じように食べた後、みんなから注がれる視線に、しまった!!と思った時にはもう色々遅かった。
年明けからずっと、毎食ルシアンは私に手ずから食べさせた。己の意思で口に出来るのは飲み物だけ。
それがすっかり身に付いている己に、恐怖した。
だらだらと流れる冷や汗と、羞恥で顔が熱い。
私の様子を気にせず、ルシアンは私の頰にキスをする。
慌ててルシアンから離れようとして逆に捕まり、膝の上に…。
しかもまた、頰にキスをしてる。
一体どうしたって言うんだ!
家でもこんなにしない…いや、してるな…ってそうじゃなくて!
「ルシアン…っ、駄目です!皆さんがいらっしゃいます!」
言ってから自分の発言も問題だったことに気付く。
逆を言えば、皆がいなければいい、という風にも取れる。
ぼ、墓穴掘ってしまった…。
「これはこれは…。」
こぼれる笑みを手で隠すものの、隠しきれていないお義父様に、扇子で口元を隠しているものの、目がにこにこしているお義母様。
ラトリア様も満面の笑みで私とルシアンを見る。
「マタニティドレスのデザインもやってみようかしら。」
お義母様?!
マタニティだなんて、そんな直球な?!
「それはいいね。ベビードレスもあるから、シーニャは忙しくなりそうだね?」
お義父様まで?!
しかもそれ、生まれてるし!?
「甥がいいなぁ。あぁ、でもミチルによく似た姪なら可愛いだろうなぁ。」
トドメを刺さないで、ラトリア様!!
ついでに言えばルシアン似がいいです!
ああああああぁぁ!!
誰か助けてぇぇぇっ!
その後、全ての料理は、私に食べさせやすいようにと、ルシアンの前に置かれた…。
「議会で、女帝の産んだ皇族は3人共皇位継承権の剥奪が決まった。さすがに皇籍の剥奪まではしなかったようだ。
まぁ、そこまではやるなとバフェットには言っておいたけどね。」
お義父様はにこにこしながら言った。
遂に始まった。
女帝と皇女、皇太子を引き摺り下ろす計画は最終局面を迎えたのだな。
「来月、バフェット公爵の長子が立太子の儀を受けて、皇太子になる。」
ふふ、と楽しそうに笑うお義父様に、私はぞっとする。
隣のルシアンを見ると、にっこり私に微笑むと私のこめかみにキスをする。
違う!そうじゃないよ!
お義父様はラトリア様を見る。
ラトリア様は頷いた。
「あと僅かで完了するとの報告を受けております。問題ないかと。」
続けてお義父様はルシアンを見る。ルシアンも頷く。
「問題ありません。」
うんうん、とお義父様は頷いて、満面の笑みを浮かべた。
「あぁ、楽しみだね。」
生き生きし過ぎです、お義父様…。
この人、好きなんだろうな、こういうことがそもそも。
心がざわざわする。
例え相手が悪人でも、私は手を下せない。いや、なんて言うの、やり返すのレベルが違うからね。こっちのやり返すって、失脚だし、下手したら命奪うからね。
バフェット公爵に関して言えば、自分が実害を受けていない相手だからか、なんとなく気持ちが落ち着かない。
でも、アルト家がここまでやるって事は、バフェット公爵って相当エゲツないんだろうな。
アルト家は確かに怖い家ではあるけど、意味もなく他者を攻撃するような家ではなさそうだし。いや、裏の顔は分からないけど。アサシンだし。
そう言えば、皇太子って影薄いんだけど、どんな人なんだろう?
「立太子の儀を終えたら、皇女と皇太子は北の離宮に幽閉され、生涯をそこで過ごす。そうなれば二度と会う事はないだろうね。」
皇位継承権は無いにしても、皇籍が剥奪されないなら、利用価値が残ってしまいそうだけど、いいのかな。
「ミチル?何か思う事があるなら言ってみなさい。」
突然お義父様に話を振られてびっくりした。
「いえ…。」
いいから、と優しい笑顔で促される。
「はい…あの、皇女殿下は…皇位継承権を失いますが、皇籍は残る訳ですし、皇国圏内では無力になりますけれど、他の国からしたら価値はあるだろうと思ったのです。」
雷帝国とか、ギウス国がもしディンブーラ皇国を手に入れようとした時、魔力の器の有無なんてどうでも良いことだろうし。大事なのは、皇族の血を引いているかどうか、だし、皇籍が残ってるなら尚更、だ。
シン…と室内が静かになった。
やっちゃった?!またしても変な事言っちゃった?!
お義父様はふふ、と笑った。
「さすがミチルと言うべきなのかな。その辺はこちらも分かっているから問題ないよ、安心していい。」
そ、そうだよね。
私が思い付くようなこと、アルト家が思い付かない筈ないもんね。
ルシアンに頭撫でられた。
「?」
「ミチルは賢いなと思って。」
ルシアンに褒められた!
「聡明だとは聞いていたけど、ミチルは本当に聡いね。
もし他の国が皇女を利用するとしたら、どう利用すると思う?」
凄いねぇ、と感心したようにラトリア様に言われて、なんだか恥ずかしくなった。
子供が褒められたときみたいだ。
ちら、とルシアンを見ると、頷いている。
「例えば、私が帝国の皇帝であるなら、皇国の純血ですとか、魔力の器は障害にはなりません。
皇女が皇国の直系であること、皇籍を持っていることが重要です。」
それさえあれば、帝国が皇国を支配した時に言い訳が立つ。皇女との間に子供でも出来れば尚良し。
要するに、大義名分と言う奴だよね。
皇太子には価値は見出せないけど…なんだろう。貴方を擁立する、とか言って懐柔して、傀儡にするとか?
そんなようなことを話すと、お義父様は2度頷いた。
「それを防ぐ為に、ミチルならどうする?」
「皇女と皇太子を子供の出来ない身体にします。」
大義名分は一瞬あれば良いものではない。
遠く離れた土地を支配し続けるだけの決定的な大義名分があるとするなら、それは皇帝の血族が治めることが必須になる。
もし、帝国みたいな国が本気で攻めて来たりしたら、幽閉されている皇女を救い出すのも大義名分になっちゃう。
錦の御旗的な。
一瞬はそれで良いとしても、継続的な支配を望むなら、子供は必須だ。
日本の戦国時代ではそう言うことが普通に行われていたしね。
「ふむ…。」
一瞬考え込んだように見えたお義父様は、次の瞬間、少年のように屈託のない笑顔になった。
きっととんでもないこと思い付いたに違いない。間違いない。
「ミチルは面白いね。話していると次々と色んな案が出てきて、刺激的だ。」
発想がおかしいってこと?
「そうだ、今度ゼファスが立太子式典の事で遊びに来るよ、ミチルも会いたいかい?」
「いえ、いいです。」
おや、とお義父様が意外、と言う顔をしてる。
「ゼファス様はやたらと私に聖女になれとおっしゃるから困ります。私はルシアンの妻なのです。」
言った瞬間、ルシアンにぎゅうぎゅうに抱き締められた。
ちょっ、苦しい!
「あれはゼファス流の半分冗談だから気にしないでいいよ。そもそもミチルをマグダレナ教会なんかにはあげないし。アルト家の大事な娘なのだから。」
にこにこ笑うお義父様に、ちょっとほっとした。
でも、冗談は半分なんだ…。半分本気ってこと?
「ルシアン、私は男の子でも女の子でも嬉しいよ。」
うんうん、とラトリア様も頷く。
ちょっ!
また!そうやって!!
「はい、父上、兄上。」
こういう時だけ仲良し親子にならないで!
リジーが申し訳なさそうに私に頭を下げた。
「これまで奥様には大変良くしていただいたのに、申し訳ありません…。」
「そう…でも、お母様がご病気なら仕方の無いことだわ。
親孝行を沢山してあげてね。
それから、お母様がまた元気になられて、気が向いたら戻って来てね。」
そう言ってリジーの手をぎゅっと握ると、リジーの目からはらはらと涙がこぼれた。
「奥様…ありがとうございます、ありがとうございます…!」
リジーのお母さんが重い病気を患ったらしく、その看護の為に職を辞したい、と言われたのだ。
いなくなってしまうのは寂しいけど、こればかりは仕方がない。
止めていい権利なんて私にはない。
ルシアンには、リジーにはとてもお世話になったので、給金を弾んで欲しいとお願いした。
何だったら私から出すと言ったら、ルシアンは大丈夫、分かっておりますよ、と快諾してくれた。
私にはエマがいるし、二人も侍女がいるなんて、贅沢だったし、と思っていたら数日後、ルシアンがそれはそれはキレイな侍女を連れて来た。
侍女の格好をしてるけど、貴族の令嬢といった方がしっくりくる。
だって、物腰が柔らかく、流れるような品の良い動作は、何処からどう見ても貴族令嬢だ。それも生粋の。
侍女は頰を赤らめてルシアンを見てる。
あ、これに似たシーン見たことあるよ。
キャロルがルシアンを見ていたときもこんな感じだった。
私のような擬似令嬢ではない、本物の令嬢。
美しく、穏やかそうで、ルシアンに対しても好意を持ってそう。
えーっと、あれですか。
アルト家は妻は一人だけど愛妾はオッケーとか、そういうことですか?
ルシアンに促されたその佳人は、私に向かってカーテシーをすると微笑んだ。
普通の侍女、カーテシーしないからね。はい、令嬢決定ですね。
セラが侯爵令息だったように、この人も…?
「初めてお目にかかります、奥様。」
なんとなく心がざわざわする。
「本日より奥様にお仕えさせていただきます、リュドミラ、と申します。誠心誠意お仕えさせていただきます。」
「よろしくお願いしますわ、リュドミラ。」
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