062.鈍感

私が逃亡ブートキャンプをしてる間に、ルシアンはいつの間にやらノウランドに行って現地視察をして来たらしい。

思っていた以上に順調でしたよ、と教えてもらった。

私も行きたかったと言ったら、まだまだ安定していない場所に領主夫妻が行って、気を遣わせたりしたくないから、今回は領主であることを伏せてのお忍び視察だったみたい。


「罠のかけ方が独特で、とても勉強になりました。

獣を追い込むあの方法は使えそうです。」


と、目を細めて爽やかな笑顔でルシアンは言ってたけど、その罠とか追い込みとかは、一体誰に…?

怖くて聞けない私は、思わず目を逸らしてしまった。

…どうか、私ではありませんように…。


アレクサンドリア領での塩トマト育成は順調らしく、アビスがそのトマトを収穫したものを送ってくれた。


ミートソースとか、ピザとか、色んなもの作りたい!と言ったのに、ロイエに今は特訓に集中なさって下さいと却下された。

ロイエ…厳しいよ…。


ブートキャンプ後にアビスから届く報告書を読んでいたところ、教会での子供たちへの教育も始まっていると書いてあった。

領主、つまり私、から寄付金をもらえるようになって、教会も余裕が出て来たみたいだし。

勉強だけでなく、生活に必要なこと、掃除とか洗濯とか料理も教えてもらってるみたい。

生きていく力は、大事ですよー。


スラム街の住人たちも、清潔にした上で医者に診療してもらって、アビス率いる役所の人たちと面談をしたらしい。

役所の人たち、と表現したけど、ギルドの人たちだね。

適正を見るらしい。

多くの人が、適正のある職に就けるようになればいいとは思っているけど、全員がそうならないことは分かってる。

何ていうの、自由人というか、社会の枠にハマれない人っていうのは確かに存在する。

そういう人たちまでどうこう出来るとは思ってない。

犯罪が起きにくい環境を作りたいのだ。

生きる為なら、倫理観のボーダーは下がるからね。

ちなみに、清潔にしても住む所のない彼らを、このままにしておくとまた不潔になってしまうので、役所から命じられる仕事をしてもらって、簡単な食と住を提供している。

生活保護ドイツ版的な。


カウチに横になる。

アビスからの報告書と、セラからの報告書を見る。


「良いことなのに素直に喜べないよー。」


「何がですか?」


「!」


慌てて体を起こしてカウチに姿勢を正す。私の横に座ると、ルシアンは私をひょいと抱き上げて膝に座らせる。


「…ルシアン、いつからそこに?」


「少し前から。」


いつもそうなんだけど、ルシアンが部屋に入って来たのに気が付かないんだよね。

セラ曰く、以前はちゃんとノックして声をかけてたんだけど、私があまりに別のことに集中してて、気が付かないから最近はノックだけして入室してるらしい。

いつもすんません…。


「それで、どうしたんですか?」


「あ、えぇと、今年は天候がとても安定していたので、大変有り難いことに、夏野菜が豊作なのです。どの領地も。」


「あぁ、国内殆どの領地が豊作となると、野菜の供給過多で販売価格が更に下がりますね。」


そうなんですよー。


私の手に持っていた書類をルシアンが手にする。


「ノウランドで買わせていただくとしても、確かにこの量は消費が難しいですね。」


本当そうなんですよー。


書類を手に考え込むルシアン。あぁ、一部の隙もないイケメンです。写真撮りたい。

それで時折こっそりと眺めるのですよ。至福!


「カーライル王国は今年、天候に恵まれましたが、サルタニアはそうではなかったようです。

長雨が続いて川が氾濫し、平地の耕作地の被害が甚大だと聞いております。

商人ギルドを通して各地の領主に働きかけ、野菜を集めてサルタニアに売りますか?」


おぉ!

凄い!無駄がない!しかも喜ばれそう!


そして諸外国の状況も、チェックしてるんだね、さすが宰相家。


「その場合、値段は高めに設定しないで欲しいのです。」


「何故?」


「ゴネられている内に野菜の鮮度が下がってしまったら、全てが無駄になってしまいますもの。

通常より安めの価格設定にして、返品不可で買っていただきたいのです。」


「確かに。」


ロイエ、とルシアンが声をかける。


なんとロイエまで室内にいた!

あぁ、この鈍感さなんとかしないとだ…。


この前の逃走練習の時も、実はセラは私と同じ地下室にいて、部屋から出て行ったのはロイエだけ。

セラは物陰に隠れてじっと私を監視していたと。

二人とも出て行ったと思い込んでいた私は、足音の数も確認せず、後ろにはもう誰もいないと思って行動してた。

だからセラは私の後ろを、気付かれないように適度な距離を取って付いて来ていたのだそう。

玄関ホールの4人に意識を完全に向けていた私の横に来て、ゲームオーバーにしようとしたら私が全力疾走で逃げて、打ち合わせ通りにバルコニーのある部屋に行ったまでは良かったんだけど、そこで私が予想外の行動に出て、布団をロープに窓から出て行こうとして、あげくドレスが窓の桟に引っかかって落っこちるっていうね…。

ロイエとセラはあの後、心臓止まるかと思ったわよー、なんて言ってた。それぐらい私のあの行動は予想外だったらしい。

ただ、ルシアンだけは予想していたようで、布団をロープにして窓から降りて来るとは思っていたみたい。まさかドレスが引っかかって落ちて来るとは思ってなかったらしいけど。大慌てで私を下で抱きとめたそうな。

普通に、はい、捕まえたー、をしようとしてたんだって。返す返すも申し訳ない…。


もうすぐ夏休みも終わりだ。

皇女も私がブートキャンプしてる間に皇都に帰ったみたいだし。

問題が先送りになっただけで根本的解決に至った気は全然しないけど。

皇女の目的は何一つ達成されていないまま、強制送還だからね。直情的で即行動に移す皇女は、近くにいなければ問題なさそうだけど、問題は女帝だよね。

皇太子の皇位継承権が3位になって、期待していた?皇女は、何も達成しないまま帰国。

内密にしておきたかった、皇女と皇太子に平民の血が流れてしまっているということを、一部とは言え、私たちが知ってしまっている現状。

皇太子がその立場を失うなんてことになったら、私たちの命ヤバイかも!


「王室が近々発表をします。」


ついに、アルト家が陞爵される日が来るのか!

そしてそれはつまり…。


「ミチルが転生者であることも、発表されます。」


皇都にも報告されるらしい。それによって、周辺諸国にも伝わるのだそうだ。

ど、どうなるんだろう?私…。


「ミチルがまだ未婚だったなら、周辺諸国はこぞって接触を図ったでしょうが…思う程には生活に変化はないと思います、当面は。」


え、最後なんか気になる言い方した!


転生者って、そんなに魅力的なんだろうか?自分だとちょっとよく分からないなー。

産業革命とか起こしちゃってる訳でもないし、ちょこちょことしたことはやってるけど。

前の転生者なんかは、冷蔵庫とかレンジとか作っちゃうような天才だったのにね。

なんか大したことなくって、本当申し訳ないよ…。


「アルト家が公爵位になることを、よく皇国が許しましたね?」


「皇女がしたことを議会に報告して、ちょっとお願いしたぐらいでしょうか。」


そう言ってルシアンは微笑むけど、黒い!黒いよ!

絶対に、ちょっとお願い、なんて可愛いものではない筈!


皇女は目的を達成出来なかったどころか、議会に付け入られるようなことをしでかしちゃってます!


「ちょっと、ですか…?」


えぇ、と微笑む。


「これからも議会の方たちとは仲良くやっていきたいですから。」


仲良くに違う意味合いを感じるのは私だけでしょうか。


「あちらも、未知数の転生者の機嫌を損ねるのは悪手であると、判断したのでしょう。」


…なるほど。

皇女からの被害だけじゃなく、転生者のことも振って、アルト家の陞爵を認めさせたんだな。そもそも、こんなちょっかいを出されるのは世界広しと言えどアルト家だけだと思うけど。普通は陞爵に異論なんか出ないだろうし。

皇国側としても、皇女がアルト家に必要以上の接触することを良しとしなかった、と。

皇室以外の思惑合致、と言ったところかなー。

若干こちらからの圧があったようにも感じるけど、落とし所という奴だろうか。


「皇女は」


どうなってるのでしょうか?と言おうとしたら、ルシアンの指が私の口を封じた。


「せっかく二人きりなんですから、もう少し私に集中していただけませんか?」


イケメンに集中しろとな?!

はぁ…なんなのこのイケメン、発言もイケメン過ぎる!


心臓の鼓動が早まる。


「学園生活も残すところ半年ですね。」


頰を撫でる指の感触に、緊張する。


こ、この流れはもしかして…?


何度か経験していることではあるけど、まだ慣れない。慣れる程の場数を経験していないのだ。

実のところ、ルシアンはそんなに私を求めない。片手で数えられるぐらい。

なるべく白の婚姻に近い状態でいようとしてくれてるのかなとか思ったり。

一回でもしちゃった時点でもう白の婚姻じゃないけども。

私の魅力の問題だろうか?…なんて思ったりして、もやもやしちゃう。


「明日もお休みですし。」


学園生活の残りの期間と、明日の休みが話として繋がらない。


さっぱり話の流れが分からないでいる私の頰に、ルシアンはキスをするとそのまま耳元で囁いた。


「朝まで貴女を愛しても、問題ありませんね。」


「!!」


問題大有りです!

そんなの死んじゃう!いや、本当に死ぬかは分からないけど!


慌ててルシアンから逃げようとしたけど、膝の上に座らされてる私の抵抗はあまり意味を成さなかったみたいで、がっちり腰をホールドされた。


さっきまでルシアンが私を求めないことを思い出して、がっかり気分になってたのに、いざとなると、ひよってしまうヘタレな自分。

でも、でもさ、こんな直球で言わなくてもいいと思わない?!

そんなこと言わずに、毎晩同衾はしてるんだから、そこで自然な流れでだね…。


「出来た場合は、卒業後の出産ですから、ミチルの身体への負担も少なくて済みそうですし。」


しゅっ…さん…?


思考が停止しかけたけど、次の瞬間、色んなことが高速でカチカチ回転して、理解した。


あぁ、そうか、この人、私が在学中に妊娠しないようにしてたんだ!

こちらの世界で妊娠を予防するアイテムの存在、聞いたことないし…いや、あるのかも知れないけど、淑女はそんなことを知っててはいかんだろう。いや、むしろ必要?

そう言った欲望が燃え上がってるだろう十代後半の少年たちが、その存在を知っていたら使わない訳はないだろうし、ってあああ、私何考えてるんだ!!


え、あれ?

もしかして、白の婚姻とか、する気なんて全然なかったってこと?

いや、ハジメテのときに私から迫ったから、それでなくなったのかも知れないけど。


だっ、駄目だ!

頭の中が混乱してきたっ!


恥ずかしくて死ぬ!


「ミチルの、その回転の良さは好きですよ。勘が良いかと思えば、ひどく鈍感だったりもして、そこも可愛い。

でも、今ので気付いたのでしょう?」


ふふ、とルシアンは笑う。

その艶っぽい笑顔に、緊張が高まる。


「ミチルのことが、欲しくて堪らなかった私が、耐えていた理由。」


欲しくて堪らなかった、という言葉が頭の中でリピートされる。


どうしよう!

ルシアンの発するワードが致命傷を与えて来ます!


するりとルシアンの手が私の首に触れる。


「鼓動が早いですね。」


うぅ、止めて、言葉にしないでー!


「意地悪ですわ…。」


「私がこんなに耐えているのに、ミチルは私を欲するでもなく、日々楽しそうにしてましたから。

これぐらい、許されるのでは?」


日々楽しいって、ブートキャンプでボロボロだったよ?!

確かにボロボロで毎日熟睡だったから、ルシアンがそう思ってても、お相手は出来なかったかも知れないけど。


「も、申し訳ありません…。」


前世も女だったし、今も女なので、男性側のそう言った切迫した状況は、概念としては知っててもやっぱり実感を伴わないというか…。


「ふふふ。可愛い。」


頰を舐められた!

ピンチです!


「愛してますよ、ミチル。」

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