血は続く
ながね
第1話
ふと目がさめると、空を飛んでいた。
僕の両腕は翼になっていて、翼にはたくさんの羽が生えていた。翼は豊かな膨らみを持って、よく風を捉えている。風のないときには、羽ばたかねばゆっくりと落ちてしまう。鳥を見て、あんな風に空を自由に飛び回れたらいいなぁ、と地上にいるときは思っていたが、やはり羽ばたくという努力なしには飛び続けられしないのだなと、飛んでみて分かった。しかし羽ばたくのもまた気持ちがいい。疲れはするが、気持ちのいい疲れだ。人の細い腕でいくら羽ばたいても、風は素っ気なく腕を避けて、まるでそこにいないようであった。しかし翼で羽ばたけば、空気というものはゆるやかな固さをもった物質として、確かにそこに存在しているのだということがよく分かった。
僕は鳥になったのだろうか。自分では顔が見えないので、よく分からない。しかしまぁ、そんなことはどうでもいいくらいに、とってもいい気分だ。空を飛べている。ただこの事実だけで、今の僕には十分だ。なんて気持ちがいいのだろう。動物の進化は本当にすごい。地面を這うことしかできなかった動物が、数億年の時間をかけて、空を飛べるようにさえなってしまうのだから。ちゃんと飛べるようになるまでには、何億という鳥のなりそこないたちが、数え切れないほどに、地面に叩きつけられたことだろう。飛びたい、もっと上へ、もっと高く、遠くへ行きたい。そんな気持ちが遺伝子に乗せられて、世代を超えて、この翼にたどり着いた。初めて本物の鳥になった彼はどんな気分だったのだろう。その瞬間、彼以前の全ての鳥はなりそこないで、彼だけが、鳥であった。天にも昇る心地、だったに違いない。
ドン、と、胸を打つ衝撃があった。豊かに膨れていた翼にはいくつも隙間が空いていて、風がそこからするすると逃げ出している。それに、翼にも力が入らない。重力に逆らえなくなった身体は地球の真ん中目がけて加速する。
どさっ
こうして地面に叩きつけられるのは何億年ぶりだろうか。
草の葉や枝を踏む音が聞こえる。一歩一歩、近づいてくる。もう身体はほとんど動かず、顔をそちらに向けることもできなかったが、一人の人間がこちらに歩いてくるのはよく見えた。やたらと周りの景色が広く見える。やっぱり顔も、鳥だったんだなぁ。
足音は僕の身体のすぐ横で止まり、目が合う。男はゆっくりとまぶたを閉じ、手を合わせた。景色が暗くなってゆく。音も、聞こえなくなってきた。不思議と静かな気持ちだ。地面もそんなに、悪くない。
目がさめると、いつもの天井があった。一滴分の涙が、目とまぶたの間に溜まっていた。早い朝の匂いがする。
いつぶりかの穏やかな目覚めだった。僕は朝ご飯の支度をする。昨日森で撃った一羽の鳥。羽を一枚一枚むしり取って、裸にする。それから、包丁を入れる。
刃先にかかる圧力から逃れるように、わずかに血が流れ出る。滴る血は、指と爪の間に溜まっていた。
血は続く ながね @katazukero
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