65、姉妹

「疲れたぁ~」


 自室に入ってすぐ、わたしは制服が皺にならないように私服に着替えてからベッドに倒れ込んだ。

 学校を休んでいた分を取り返そうといつも以上に試験勉強を頑張ったから、試験からの解放感も疲労感もひとしおだった。

 ……いつもより手応えはなかったけど。


 ごろりと寝返りを打って天井を見上げる。


 三日前。西条くんと別れた時の私の心境は自分でもビックリするぐらい穏やかだった。

 西条くんへの罪悪感と、彼を振り回した自分への嫌悪感はあったけど、失恋に対するショックとか、そういうものはなかった。

 ……もしかしたら、とっくに失恋していたから何も感じなかったのかもしれない。


 試験の間、勉強することでひとまず先送りにしていた問題が頭の中でぐるぐると渦巻き始める。

 悶々としていると、階下で扉が開く音がした。


「ただいまー」


 明るい揚羽の声が床越しに聞こえる。

 意識がキュッと引き締まって、そのまま私はベッドを降りた。


「おかえり~」


 部屋を出て階段を降りると、丁度揚羽が靴を脱ぎ終えていた。

 私の声に、靴を直していた揚羽が顔を上げる。


「あ、お姉ちゃん。ただいま~」


 にぱっとした笑顔を向けてくる。

 凄く上機嫌に見えるのは、気のせいじゃない。


「甘いもの食べてきたんだって?」

「あー、ハルくんが言ったの? パンケーキ食べてきた!」


 少しだけぷくぅと頬を膨らませてから、揚羽は嬉しそうに言った。

「やー、テストで疲れた頭に沁みたよぉ」なんておじいちゃんっぽい口調でおどける揚羽は、そのまま洗面所に行って手を洗い始めた。


 手洗いうがいをすませた揚羽と共に階段を上がっていると、不意に揚羽が気遣わし気な声を上げた。


「お姉ちゃん、どうかした?」

「……あはは、バレちゃった?」


 この妹はどうしてこう鋭いんだろう。

 これから揚羽にとあることを打ち明けようとしていたことを見抜かれてしまった。

 階段を上り切ったところで振り返ってこちらを見つめてくる揚羽の眼差しに、私はつい目を逸らしそうになる。

 なんとかすんでのところで目を見つめ返すけど、言おうと決めていた言葉は喉元まで出かかって止まってしまった。


 これから私がしようとしていることは、姉としても人間としても最低なことで。

 そのことに対する許しを得ようとは思っていない。

 だけど私なりのけじめとして、先に揚羽には伝えておきたい。


 ……なのに、肝心の言葉が中々口に出ない。

 揚羽の瞳を見ていると、決意が揺らいでしまう。


 そうして私が沈黙していると、揚羽はふと小さく笑った。


「いいよ、お姉ちゃん。何も言わなくても」

「え?」

「お姉ちゃんがあたしに何を言おうとしてるのか、なんとなくわかるから。お姉ちゃんたちのこと、ずっと見てたんだもん。……わかるよ」

「……っ」


 そう言って私を見上げてくる瞳には、強さがあった。

 長い間何かに耐え続けてきたかのような強さ。そして一抹の揺らぎ。


 ……揚羽のその甘言に、私はつい甘えそうになる。

 だけど、僅かに残った姉として譲れないものが、すんでのところでそれを思い止まらせる。


「ううん、大丈夫。……揚羽に伝えておきたいことがあるの」

「――――うん」


     ◆ ◆


 揚羽との話を終えて、今度は私が靴を履いた。

 玄関を出ようとすると背中から声がかけられる。


「ねー、お姉ちゃん」

「ん?」

「ハルくん、かっこいいでしょ?」


 そう言って来た揚羽は満面の笑顔を浮かべていた。

 私のことを気遣って言ってくれているんだと思う。

 私は少し返答に悩んでから、精一杯の笑顔を浮かべた。


「そうだね」

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